2015年06月後半観たおすすめ邦画

2015年06月後半観たおすすめ邦画
 2015年06月後半観た邦画は30本。

『海と毒薬』監督熊井啓、1986年公開、2015/6/27掲載
 捕虜米兵に対する生体解剖と人肉食。色を削ぎ落したモノクロで挑戦した映像が映画の内容にちゃんと生きている。
 戦時中の病院つながりで『赤い天使』(2015/3/19掲載)もあわせてどうぞ。

【次点】

『絞死刑』監督大島渚、1968年公開、2015/6/17掲載
 死刑執行後、死刑囚が死ななかったら?というワンポイントアイディアに死刑制度や朝鮮人や国家の有り様まで絡んでくるコメディ。姉という女性が現れてダレるのが惜しい。
 死刑執行が詳細に描かれている『休暇』(2015/2/26掲載)もあわせてどうぞ。

『マルサの女2』監督伊丹十三、1988年公開、2015/6/22掲載
 宗教法人、地上げ、脱税とこれまたアイディアを映像としてちゃんと見せる手法は健在。ただ、三國連太郎と宮本信子の個人的付き合いはないので、『マルサの女』(2014/11/10掲載)の山崎努に見られたような人物の掘り下げは弱い。

『居酒屋ゆうれい』監督渡邊孝好、1994年公開、2015/6/26掲載
 三宅裕司と豊川悦司の扱いに疑問が残るけど、細かく丁寧な作りで映画全体としては十分楽しめる。

【残念】

『恋は舞い降りた。』監督長谷川康夫、1997年公開、2015/6/16掲載
 トレンディドラマを思わせる作りで役者陣も楽しそうに演じている。その割にセリフに含蓄があって会話が侮れない。ただし、ラストがひどい。唐沢寿明の怪我も蘇りも全く生かされない。ただ男女の出会いを再現するだけになっている。もったいない。

『群青の夜の羽毛布』監督磯村一路、2002年公開、2015/6/23掲載
 知り合った女の家にあがると開かずの間が。母と娘二人の家。徐々に異常性を示す母親。と、だれでも感じる他人の家にある秘密をホラー風味で描いていてなかなかおもしろい。ただし、これもラストで母娘関係の決着を付けずに恋愛関係で終わっていて、女の成長物語としては中途半端。これまた残念。
 開かずの間があるホラーとしては『おろち』(2014/5/14掲載)がある。木村佳乃が熱演怪演。

【駄作】

『交渉人 THE MOVIE』監督松田秀知、2010年公開、2015/6/29掲載
 『アンフェア the movie』(2015/5/25掲載)と同じ臭がする。金をかけ有名俳優を並べているのに脚本が粗雑。少なくとも映画内の辻褄は合わせておけ。過去の映画でやり尽くしているんだから少しは学んだら?

小児麻痺とゾンビは演技が同じ、映画『しいのみ學園』

 清水宏脚本監督映画『しいのみ學園』(1955年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 校庭、一人だけ脇で座り込んでいる小学生。野球に参加しようとするとミットを持ってないから断られる。制服を着て松葉杖で帰る。右足が麻痺している。途中自転車に乗る男。宇野重吉。自宅に帰ると妻の花井蘭子がいる。寝ている息子の足をマッサージしている。で、妻による回想になり息子の誕生後の経緯が語られる。
 ということで、まず宇野夫婦の間に生まれた子供が脊椎性の小児麻痺になり、小児麻痺児童の置かれた状況が説明される。野球道具を揃えると道具だけ取り上げられて野球に参加させてもらえない。宇野が子供たちにお願いすると、全員が集まり相談の上、足を引きずりながら校庭から去っていく。今も昔も身体障害者いじめは伝統なんだねえ。
 校庭に砂漠を蛇が歩き去ったような後が付いている。その先をカメラが映すと、息子が松葉杖で歩いている。いやはやこういう描写も手加減なしでなかなかいい。
 で、下の弟にも熱が出てもしやと思い病院へ。症状を説明された後の宇野、病院の廊下を歩く後ろ姿。場面転換して家の玄関。宇野が帰ると、奥からいざって歩く子供。弟も下半身麻痺。ここの展開も容赦無い。
 で、兄が言っていた「足の悪い子供の学校を作る」を両親が実現する運びとなる。
 学校名はしいのみ學園。大学教授?だった宇野の教え子香川京子も参加することになり、香川を中心とした学園生活が描かれる。
 全体的にほのぼの映像なのだけど、非常に印象的なシーンがある。河原にピクニック。てつおという子供だけ集団から離れた場所にいる。香川が近づき歌を歌い、てつおに続いて歌うように言うのだけど、てつお、なかなか歌わない。
 何度も香川が歌の冒頭を繰り返すものだから、河原に散らばっている子供たちが歌い出し、一人、一人とてつおと香川の元へ集まってくる。構図としてはてつお、香川をとらえてその遠景に子供たちがいて、一人、また一人と近づいてくるのだけど。これがゾンビに見える。
 身体障害者がいじめられるのは身体変形や欠損への畏怖が精神の根底にあることは確実。個として子供たちを捉えている分にはどんなに変な歩き方をしても人として見えるのだけど、集団で歩き始めるとゾンビに見えてしまう、ということをこの映画で発見。
 ゾンビ映画の中のゾンビは殺され役のその他大勢でしかない。それも公明正大な身体欠損を伴う大殺戮。自分と違うものは破壊もしくは抹殺してオッケーという心理。映画だからという安全装置があるので、ゾンビ映画を楽しんでいるのだけど、しかし、現実社会で安全装置が外れた事例はある。ドイツや日本で。

口パクですらない声なしヴォーカル佐藤健、映画『BECK』

 堤幸彦監督映画『BECK』(2010年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 バンドを組んだ若者が成長する姿を描くという点からバンドもの映画と分類していいと思う。
 これまで見たバンドもの映画をあげると、
『デトロイト・メタル・シティ』(2014/6/5掲載)、『NANA』(2014/6/12)、『フィッシュストーリー』(2014/6/25)、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』(2014/7/21)、『40歳問題』(2014/8/30)、『恋しくて』(2014/9/1)、『リンダリンダリンダ』(2014/9/2)、『爆裂都市 BURST CITY』(2014/12/6)、『すかんぴんウォーク』(2014/12/17)、『グッモーエビアン!』(2015/2/10)、『少年メリケンサック』(2015/3/21)、『東京フレンズ The Movie』(2015/4/27)、『NANA2』(2015/5/15)。とまあ、かなりの数の映画が作られている。
 これらの映画と『BECK』を比較してみると、バンド演奏はそこそこいい。吹き替え部分は映画前半部は気になるけど、後半になると見ているこちら側にもなれというのか免疫ができてくるのか、違和感なく見れるようになる。
 ライブの規模は大きめ。エンドロールに苗場のコンサートに協力した人の名前がズラーっと列挙される。エキストラの数や会場の広さ、会場の雰囲気など悪くない。
 だったら面白い映画じゃないの?と思うでしょ。これが悪い部分と相殺されて見事に見てもいいし見なくてもいいでき。
 映画冒頭に外人が犬をいじめるシーンがある。これを見てもわかるんだけど、外人設定がものすごく邪魔。水嶋ヒロに白人の友人がいるとか、小柄な黒人に付け狙われるとか、本当に外人設定が全て無駄。なくても物語になんにも関係ない。逆に外人設定すべてカットして、純粋にバンドの成長物語として100分ぐらに納めたほうが観客としてはありがたい。この内容で145分は冗長。
 で、どうも佐藤健は美声の持ち主という設定らしい。「らしい」と書いたけど、映画を見終わった今ですら美声なのかどうなのかわからない。
 というのも、なんと佐藤の歌声が一度も流れない。言っている意味わかるかなあ?佐藤が歌うシーンはあるわけ。だけど口動かしているだけで声は流れないの。口パクですらないんだよ。バカ過ぎる。バンドの映画で歌声を流さない。斬新すぎて頭がうに。
 月夜、釣り堀、忽那汐里の前で歌う佐藤、だけど声なし、からはじまって計6回歌うシーンがあるんだけど、一度も声が流れない。
 普通さあ「映画ラストを盛り上げるために取っておいたんだ」と思うでしょ。雨の中のコンサート、佐藤が歌います。口が動いているだけで声が流れない。もう一度書くけど、口パクですらないんだよ。うーん、やっぱりバカ過ぎる。
 佐藤と中村蒼の同級生でBECKのファンだという倉内沙莉。レオタード姿が奇妙にエロい。

三池崇史の実験フィルム?映画『IZO』

 三池崇史監督映画『IZO(いぞう)』(2004年公開)を観た。あえて言葉で表現すると人斬り以蔵と友川かずきによるコラボかな。見てもいいし見なくてもいい。
 人斬り以蔵が再生。時制も場所も関係なく人を斬りまくるというお話。だから物語はあってなきようなもの。
 人を斬るシーンは露悪的な表現もある。伊蔵が磔になっていて槍で刺されるシーン。脇腹に刺さった槍が首近くの肩口から切っ先が出てくる。それを抜いてまた刺す。何度も繰り返す。ここは三池っぽい。
 伊蔵が現れる時代も場所も様々。またその時代の中に別な時代が混入乱入したりとめちゃくちゃというかドタバタ。ただ、それによって面白い効果が出ている。
 例えば、時代劇。庶民の生活する長屋。SAT風武装集団が現れて、長屋の狭い通路やあばら屋を使った殺陣+銃撃戦が展開されるけど、ここはなかなかおもしろい。というか不思議な映像。
 その逆もあって、現代の繁華街に「御用だ御用だ」と捕物が始まる。回りにいるのは現代人の野次馬。ここも不思議映像。
 後、小学校の授業風景はブラックで笑った。女の先生が「愛とは?」「民主主義とは?」「国家とは?」と質問すると、小学生が現代社会批判を繰り広げる。廊下では子供たちの母親と思われる女達が伊蔵によって皆殺しになる。
 印象的な映像。松田龍平の付き人の女が伊蔵によって殺される。生首が転がると首の中から無数の蝶々が飛び出して開け放たれた障子戸から外へ逃げていく。その窓には巨大な花のようなものが映しだされ、残された身体は縮んでいき着物の中から巨大な青虫が出てくる。
 伊蔵と同じく友川かずきも時空間を飛び越えて偏在し、酒を呑みながら歌いまくる。
 イメージ映像の羅列のようにも見えるけど、よくある監督の自慰映画にはなっていない。というのも時制も場所も整合性は全くないんだけど、共通して伊蔵による皆殺しが描かれているので退屈ではない。侍、女子供、披露宴の新郎新婦、ヤクザ、不良グループ、武装集団、日本兵のゾンビとまああらゆるものが斬り殺される対象になる。
 戦争の記録映像などはさすがに釣りに感じるけど、物語を期待しなければ最後まで普通に見れる。

交渉人なのに交渉しない、映画『交渉人 THE MOVIE』

 松田秀知監督映画『交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦』(2010年公開)を観た。雑、適当、駄作。
 映画冒頭、ショッピングセンターでの立てこもり。
 まず、陣内孝則や筧利夫が詰めている指揮所。塚地武雅の前のスピーカーが手作り風。スピーカーユニットの口径が違う。通信用のスピーカーは明瞭度が命。まったく意味不明の小道具。
 ショッピングセンターの玄関前でしか出来事は起こらない。裏口とかはどうなっている?全体像すら映さない。
 人質が開放されて玄関から出てくるんだけど、内部で縛られていた人たちと数が合わない。出てくる人質が多すぎる。
 何と、犯人の一人、津川雅彦が「わざと」逮捕されるんだけど、映画最後まで説明がない。バカ過ぎる。
 ハイジャックした機内。
 林遣都がトイレの壁のパネルを外し貨物室に降り、荷物の中から銃を二丁取り出す。
 で、機内に場面転換。米倉涼子と筧が犯人が二人なら制圧できると見て動き出すと、反町隆史登場。手にピストルを握っている。えー、林が準備した銃の数は二丁だよねえ。反町、その銃、どこから持ってきた?機内に持ち込めるの?バカ過ぎる。林が貨物室から銃を持ち込む場面を延々と描きながら、反町は手荷物で持ち込んだの?バカなのか?バカ過ぎる。脚本、寺田敏雄。
 城田優と米倉の会話があるけど、物語に何の関係もない。ただただ無駄。映画の最後にも出てくるけど、これまた金魚の糞のように無駄。
 航空管制室に陣内と塚地が乗り込んできて、旅客機とのやりとりを録音するんだけど、爆笑。録音機材がカセットテープレコダー。2010年公開だよ!この映画、オーディオに関する小道具が狂っている。そういった意味では映画『こわい童謡 裏の章』(2015/6/5掲載)に並ぶオーディオ爆笑映画に分類できる。
 機内で筧や米倉を撃たずに急に別な男を撃つ。後で生き返って仲間と判明。その後、何も絡んでこない。ただただ、生き返って意外でしょ。犯人の仲間なんだよね、意外でしょ。というだけの場面。何の意味があるのかまったくわからない。なぜこんな場面を思いつくんだ。そしてなぜこの場面を挟み込む?ものすごーく発想が幼稚。脚本、寺田敏雄。
 津川の釈放シーン。伊武雅刀が駆け寄り長台詞。警察関係者棒立ち。津川撃たれる。こめかみを撃たれたのに、背後のショットに変わると背中に血が付いている。見せ方が下手くそすぎる。
 機内、爆弾のスイッチを筧が背中で押す。この映画はコメディなのかな?
 急に乗客の成宮寛貴が電子工学の専門家。もうなんでもありの後付オンパレード。脚本、寺田敏雄。
 米倉、心臓病なんだって。この物語に必要ある?
 窓ガラスが射撃で割れ、機内は負圧状態のはずなのに、その後、みんな普通に行動。誰かが窓ガラス修理した?それともみんな忘れた?脚本、寺田敏雄。
 スチュワーデスが何人か出てくるのに活躍を描かない。洋画『エグゼクエィブ・ディシジョン』の爪の垢でも煎じて飲んだらどうか。
 米倉が操縦して着陸。誰も助けにこない。
 そして、最大のバカ設定。米倉、交渉人なのに、犯人と交渉する場面が殆ど無い。映画冒頭の電話だけ。うーん、この映画は何が撮りたかったんだ?
 ♪死んだはずだよ 米倉さん 生きていたとは 説明ないから ただの後付 米倉さん エーサオー 駄作だなあ

沖縄米軍用地主必見、映画『密約 外務省機密漏洩事件』

 千野皓司監督映画『密約 外務省機密漏洩事件』(1988年公開)を観た。映画の出来は大したことない。教育映画としてなら見る価値あり。
 かいつまんで話すと沖縄返還時に日米で話し合いが持たれた請求権問題。アメリカ側が自発的に賠償に応じるという発表がなされるが、実は裏取引があり、費用はすべて日本政府が肩代わりすることになっていた。その事実をすっぱ抜いた記者と情報を漏らした外務省職員の裁判を描いた法廷劇。
 第一部は記者の北村和夫が外務省担当記者となり職員の有吉佐和子に会って情報を聴きだす過程が裁判と北村の回想によって描かれる。
 最初の印象は北村、おっさんすぎる。記者というより政治家にしか見えないタイプ。まあ、これまでも政治家の配役多い役者だし、年上の旦那がいるという前振りはあるけど、吉行が惚れるかなあ。配役ミスだと思うけど。
 後、裁判で被告が二人同時に立つということがあるのか。弁護側が裁判長に向かって左側。これまで見た裁判映画では弁護側は右側だった。と、若干、裁判風景は引っかかる。
 後、裁判所のドアの映像を背景に、いちいち公判の前に字幕とピアノのじゃんという効果音入れるの鬱陶しい。
 第二部になると傍聴席に大空真弓が現れる。この時点で氏素性は説明されない。ここからは吉行の裁判と吉行による回想になる。
 吉行から見ると記者の北村は情報をもらうためだけに吉行に近寄ってきたことがわかる描き方になっている。とにかく細かいことに気が回らないがははおやじ。吉行から手に入れた機密書類の扱いも雑だったのでは?と思わせる描き方。
 後、目合シーンは一切描かれない。ここは手抜き、もとい、映画的省略。性格描写としての雑な目合は描いておくべきところ。
 第三部になりフリーライター(作家?)の大空と北村の新聞社の後輩稲葉義男によって、裁判の全容や沖縄の現状などが説明される。二人が会って喫茶店で話し合うんだけど、もろ説明ゼリフ。若干白ける。
 大空の取材で吉行の裏の顔が浮かび上がったり、沖縄ロケがあったり、沖縄戦の歴史フィルムが流れたりする。
 ラストは北村と吉行の裁判が確定し、二人の顛末が語られる。稲葉はアメリカ勤務になることを告げて、大空と別れる。
 映画として出来は良くないけど、納税者の納めた税金の使われ方の問題が、いつのまにか男女の痴情のもつれにすり替えられていく過程が描かれていて教育映画としての意味はある。

第5回東宝シンデレラ長澤まさみ、映画『クロスファイア』

 金子修介監督映画『クロスファイア』(2000年公開)を観た。詰め込みすぎて整理できていない感じ。見てもいいし見なくてもいい。
 金網越しの女の子。公園で遊んでいる人々。女の子は一人、人形で遊んでいる。男が近づいてくる。ハンマーを持っている。配役。葬儀。家が若い男?女の子生きている。謝る女の子。母親と女の子、海。自分たちの家系の話をする。フレアが外にはみ出した日食時のような炎。タイトルどーん。
 うーん、わかりずらい。まず、女の子のしゃべり方がものすごくわざとらしい。一応、この冒頭シーン、後につながるんだけど、物語と全然関係ない。刑事の原田龍二と過去につながりがあるというだけ。女の子の能力を示すシーンでもあるけど、それにしては犯罪が見せたい風にも取れるし、見せ方として下手くそ。
 でまあ、女の子が成長すると矢田亜希子になっていて、会社で知り合った伊藤英明を巻き込みながら、超能力対決、悪の組織との死闘が繰り広げられる。というかなり無理な展開に。
 まず矢田の超能力の見せ方。濡れた郵便物から蒸気が出る。レストラン近くに駐車した白いベンツが燃える。人体を燃やせる。内部から膨張して爆発したように燃える。映画後半になると、熱の膜(シールド)が出てきて熱を跳ね返せる。矢田の顔の動きで人体を移動させることができる。さらに、雨を降らすことができる。うーん、矢田の能力、なんでもあり。設定が適当で緊張感がない。だってなんでも出来るんだもん。どうせ助かるんでしょ。
 音楽うるさい。火を使ったアクション、多め。映像は隅々まで光の当たったビデオ風というのかテレビドラマ風というのか、炎が主題のわりに今ひとつの画面。
 悪の黒幕が出始めると登場人物が多すぎて整理整頓ができていない感じ。何がやりたい団体なのか意味不明。
 刑事役の桃井かおり。いつもの通りの桃井。伊藤英明はセリフが棒読み。2000年だとこんな感じだだったんだ。
 びっくりしたのは施設にいる女の子。目立つ子だなあ、と見ていると何と長澤まさみ。遊園地の中でやっと気がついた。
 矢田亜希子、赤いロングTシャツ姿は可愛い。映画ラスト、伊藤の部屋のローソクに勝手に火が灯る。危なくてしょうがない。桃井が言うように二人で焼肉店始めればいいのに。

中学生にしては老けすぎ、映画『夜をぶっとばせ BLOW THE NIGHT!』

 曽根中生監督映画『夜をぶっとばせ BLOW THE NIGHT!』(1983年公開)を観た。中学生にしては俳優が老け過ぎだし、脈絡なくショットが挟まれるし、すぐに飽きる。
 ドラムの演奏シーンが止まりタイトルどーん。バンドの演奏を背景にオープニングロール。重要な関係のあるバンドなのかとおもいきや映画を最後まで見ても後半部にちらっと出てくるだけ。何が何だか。
 高田奈美江(高田奈美江)という登場人物と俳優が同一人物という珍しい主人公。チリチリのパーマで膨らませた髪、くるぶしまであるロングスカートと懐かしい不良スタイル。彼女の学校生活がまず描かれる。先生からは邪魔者扱いで、教室から極力外に出ていくように勧められ、学校に居場所がない。まあそれも当然で喧嘩や嫌がらせで授業を中断させるか、隠れていシンナーを吸っているか、その後、目合。とまあ、だれでも嫌がられる生活態度。
 取り巻く教師も腰が引けているけど、親も同様。互いに自分の世界にこもり我関せずな感じ。
 と、書いていると面白そうだけど、実は全然おもしろくない。というのも、登場人物の説明映像的なものは殆ど無い。多くの登場人物がその場その場で切り取られて嵌めこまれているので、誰の物語なのかもかなりあやし。
 例えば、日時が字幕で出て登場する女がいる。たまり場で制服から着替えて繁華街に繰り出すのだけど、この女と前での高田の生活が交互に描かれる。だけど、この二人がなぜ並列に描かれるのかは映画を最後まで見てもまったくわからない。
 ワンショットの長回しが多め。たまり場での着替えは、部屋に入り、パンストの取替までじっくり撮って部屋を出るまでがワンショット。
 教室内での女同士の喧嘩のシーンもワンショット。カメラ位置をまったく変えない観察するような感覚が味わえる。
 学校中で巻き起こる喧嘩のシーンは本当にドタバタしていて雰囲気は出ている。やっぱり中学生にしては老けすぎているなあ。
 17分ごろと68分ごろ。画面上部にマイクのようなものが垂れ下がってくる。映画『殉霊鬼』(2014/9/5掲載)でもマイクが映り込んでいた。
 映画後半部。バンドメンバー?と思われる人物たちが車三台で暴走。一台が海に落ちる。仲間はすぐに逃げるし、海に落ちた車の運転手は陸に上がり電話ボックスへ走る。救急車を呼んでいるのかとおもいきや知り合いと話しているみたい。うーん、映画に出てくる連中の行動が低能すぎて、本当によくわからん。

米兵を生体解剖後人肉食、映画『海と毒薬』

 熊井啓脚本監督映画『海と毒薬』(1986年公開)を観た。モノクロ映像が想像力を掻き立てる。逃げ場のないストーリーも素晴らしい。おすすめ。
 海、タイトルどーん。オープニングロール。風で流される砂。倉庫のような広い屋内に檻がある。中にサングラスで制服姿の岡田真澄、机を挟んで詰襟学生服姿の奥田瑛二。檻の角に記録係?の白人。檻の外にはMPの腕章を付けた白人。
 テーブルの上に岡田が写真を置いて、昭和20年五月ごろの話を奥田に尋問し始める。ここから回想に入り、帝大医学部研究生の奥田と渡辺謙の病院内での生活が描かれる。
 モノクロ映像が素晴らしい。病院屋上に二人が佇む場面。兵隊が体操をしている。高射砲がある。古びたコンクリートに生える雑草。と、カラーならウソっぽいところをあえてモノクロで色を捨てたことで、余計な映像情報も切り捨てられて感情移入がしやすい。予備知識無しでこの映画を観たので、一瞬、映画製作年度を20年ほど読み間違えたほど。監督の読み通り。
 その後、看護婦の根岸季衣の尋問と回想、渡辺の尋問と回想によって、軍部と協力した医学部内部で捕虜米兵に対する生体解剖の内容が詳細に描かれていく。
 その他にも映画を成功させている点が幾つもある。
 まず、九州弁。地方都市、中央から辺境でひっそりと行なわれていたありそうな感じを醸し出している。
 手術シーンがいい。手術室の床を流れ続ける水。無表情。ガーゼ、コッヘル、結紮(けっさつ)などの単語のみの会話。事務的に告げられる血圧、汗、床に捨てられるガーゼ、光を反射するメス。と、死に対する感覚が麻痺し始めている描写として非常にうまい。
 映画『赤い天使』(2015/3/19掲載)は『海と毒薬』とはおおよそ対局の凄まじく混乱した極限状態での手術シーンが、これもモノクロで描かれる。見比べることをおすすめする。
 隠蔽体質、渡辺が語る病院で死ぬのか空襲で死ぬのかの違いだという死に対する麻痺と諦観。ドイツ人女性ヒルダが根岸に語る神の話。奥田が親身に担当したおばちゃんの存在。など、非常に細かい設定を描いてからの生体解剖。このへんの流れは非常にうまい。
 後、気づいた点を書くと。生体解剖に立ち会い何もできなかった奥田が手術室を出ると廊下に響く赤ちゃんの声。死と生命の対比が強烈。
 空襲で疲れた奥田と渡辺がコンクリートの上に横たわる。ここカメラは俯瞰。岸田今日子がおばちゃんの死を告げに来る。カメラが横位置から三人を撮ると、野外の光が逆光で露出オーバー気味で画面が輝く。この辺りもモノクロゆえの印象的な画面構成。
 ラスト、日本兵将校たちは生体解剖された米兵の肝臓?をつまみにして酒盛り。ナレーションにより戦後関係者が釈放されたことが告げられる。

スタイルだけの配役佐藤江梨子、映画『キューティーハニー』

 庵野秀明監督映画『キューティーハニー』(2004年公開)を観た。結局、特撮ヒーローものに見えて、新鮮味なし。見てもいいし見なくてもいい。
 真面目な演出にすると細々と作りこまなけれいけないので、CGやアニメーションを使った割り切った作り。邦画でSFぽいことをやろうとすると予算が足りないので、戦隊物やヒーロものの特撮映画になってしまうのは悲しい現実。これを楽しめるのは子供か、一部の何かを押し殺して自分を捨てた大人くらい。その中に含まれないので当然飽きる。
 実写とアニメーションの中間的な映像表現に特別な名前をつけているようだが、面白さにつながらなければ意味は無い。
 佐藤江梨子を主役に配役した時点で半分終わっている。スタイルだけの配役であることは見え見え。同じような設定の映画『僕の彼女はサイボーグ』(2014/2/13掲載)と見比べると差は歴然。まず女優にかわいい素質があること。それを見つけて引き出す監督の腕があること。この二つがあるかないか見比べるとわかるはず。どちらかに二つともあってどちらかに二つともない。

一粒で二度美味しいという男の願望、映画『居酒屋ゆうれい』

 渡邊孝好監督映画『居酒屋ゆうれい』(1994年公開)を観た。気軽に見れば気軽に楽しめる。
 滝、オープニングロール。路上で猫がネズミを食べている。裏通り、飲み屋(スタジオセット?)。雨、かづさ屋という居酒屋の主人が荻原健一。手持ちのように手ブレしたカメラが階段をあがる。咳。雨音。室井滋が畳の間に寝ている。隣に荻原。「キスして」と室井。「あたし死ぬんだ」の後にお互いの目のアップ。鏡に浴衣で佇む室井のショット。荻原「ずっーと一人でいる。新しい世帯を持つ気はねえ」「嘘だったら、化けて出るよ」と室井。「しずこ!」と荻原が叫ぶと、木々が風で揺れるショットが挟まれて場面転換。棺桶が焼き窯に入る。若いころの二人の写真。タイトルどーん。マーチ風の音楽、配役。
 とまあ、映画冒頭の雰囲気は非常に良い。居酒屋はセットであることがすぐにわかるけど、そこはコメディですよという宣言であって、ここをちゃんとロケーションした本当の居酒屋にしてしまうと完全なお化け映画になってしまう。都会の雑踏の挟み込みも自然。このへんのバランスは良い。
 妻が死ぬ間際に後妻を取らないと約束してしまい、約束を破って妻を娶ると死んだ妻が化けて出る。という話、どこかで見覚えがあるなあとおもったら映画『日本で一番怖い話 江戸怪談』(2014/12/31掲載)の第一話「破られた約束」もまったく同じ。
 妻が成仏できずにお化けになって現れるので女の意志というのが全面に押し出されてしまうけど、女にとって前の夫などどうでもいいこと。別れられて清々する出来事。このパターンの話が再生産されるのは男の願望が影に隠されているからなのでは。つまり、前の妻にお化けになったとはいえ今もモテモテ。なおかつ憑依した女の肉体を二度楽しめる、という願望。
 幽霊として出てきた室井の演出は面白い。初登場シーンは荻原と山口が二階で布団を敷き、キスをする。テレビ(三遊亭圓楽の高座)にノイズが入り、二人が倒れて目合おうとすると、電灯が点滅、風が吹き、カーテンが揺れ、ハイライトで画面が飛んだ状態の中に室井が浴衣で座っている。暗闇からお化けが出てこないのは画期的。
 室井が怒ると映画『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』よろしく、風がふき長い髪がふわりと浮き逆光が射す。
 山口智子の撮り方も非常に良い。ゆるい普段着が見えそうで見えない所作。ときどき微妙にパンチラしていて、わかっているなあ、この監督!とサービスは良い。
 と、女二人と男一人の横恋慕の話としては面白いのだけど、脇の登場人物の話が今ひとつ納得出来ない。
 例えば、山口の元カノの豊川悦司。どうも室井が憑依した山口によって殺された(寿命だったということになっている)。だけどさあ、豊川は殺されるようなことした? ただ、山口にあって、ホテルに行くかどうかは山口の判断次第だよねえ。どちらかと言うと荻原に秘密のまま豊川に会いに行く山口のほうがそもそも問題あるんじゃないの。
 もう一つは三宅裕司の賭博。室井の命(すでに死んでいるので現世登場権)を剥奪してまで、結果を知る必要あるのだろうか。だってさあ、元々の借金は余貴美子の客の飲み代の付けが焦げ付いたわけでしょう。さらにそれをサラ金から借りた金で博打するなんて。助ける必要性がまったくわからない。
 西島秀俊が若い兄ちゃん役で出ていて物語に絡まないけど登場シーンは多い。
 居酒屋二階のテレビで佐伯幸三監督映画『幽霊繁盛記』が流れる。残念ながら未見。
 エンドロールに流れる平松愛理「あなたのいない休日」は微妙。軽すぎる気がする。もっとしっとりした曲のほうが良かったのでは。ねじ込まれたのかな?

AXIA全面協力の斉藤由貴イメージビデオ?『漂流姫』

 市川準脚本監督映画『漂流姫(HYO・RYU・KI)』(1986年製作)を観た。
 46分の短編。主演は取り憑かれ顔でここではないどこかを見ている黒く大きな瞳の斉藤由貴。AXIAカセットテープのCM製作中、金が余っているのでもっと撮りましょう。外国に行きましょう。香港がいいでしょう。とおらおら精神がかいま見える作品(あくまでも予想)。検索してもデータがない。劇場公開はされていないようなので、何の目的で作られたのかわからない。
 物語はあってなきようなもの。あってもなくていい感じ。夜の東京?の俯瞰映像。林立するビル。斉藤由貴禁止令が出たとナレーション。ときどき挟まれる斉藤の顔の一部分のアップ映像。例えば、目元とか、耳のイヤリングとか。斉藤由貴関連グッズが焼かれる。白いリボンの斉藤と男が小走り。男が撃たれる。手帳を海に捨てる男。斉藤と二人、船に乗っている。タイトルどーん。
 でまあ、ここから香港?と思われる映像になる。斉藤の追っかけと思われる観光客のグループ。殺し屋?などが斉藤を探している。斉藤と思われる女が安楽椅子に座っている。独特なデザインのイヤリング。斉藤の周りには男二人と女一人が付いている。ボディーガード?なのか。船の上で仕事をする、掃除したり、バスに乗ったり、とチャイナ服や普段着、メイド服とイメージビデオのようなシーンがところどころに挟まれる。また、突然、黒の背景に黒い服の斉藤由貴が出たAXIAのCM映像が挟まれる。実際にカセットテープも映る。
 音楽や効果音は独特。で、斉藤、殺し屋にも見つかりファンにも見つかり、記念写真、手形、サイン、キスなどを求められ「なぜ禁じられたか分かりますか?」斉藤「はい」とカメラ目線。斉藤、消費されてぼろぼろになり海岸の岩場に取り残される。
 エンドロールは主題歌「予感」(LP「チャイム」より)が流れる中、CM撮影と同じ黒い背景と黒い服の斉藤が現れ徐々にズームして表情を捕らえてストップ。という何度も繰り返し撮られたテイクが流れる。最後は変顔の後の笑い顔で終了。斉藤由貴ファンなら大満足なのか?

脚本・監督、市川準。コンセプト、秋山道男。プロデューサー、中村篤三、武政克彦、小滝祥平、市村朝一。撮影、上杉義雄、初取伸一、村上賢治。照明、渡辺光雄、若泉泰哲。録音、矢野勝久、横溝正俊。助監督、稲見芳樹、富岡忠文。音楽ディレクター、長岡和弘。作・編曲、板倉文。音楽ミキサー、飯泉俊之。編集、菅野善雄。サウンドエフェクト、小森護雄。

吸血鬼と未来設定が何も生かされない、映画『MOON CHILD』

 瀬々敬久監督映画『MOON CHILD』(2003年公開)を観た。吸血鬼である必要性もないし未来に設定する意味もない。雑。
 画角を狭めた映像で、男二人が繁華街の裏道を急いでいる。豊川悦司が口から血を流し座り込んでいる。もう一人はHYDE。ライトを持った人が二人に光を当てる。二人逃げる。逃げる姿に緊張感がない。このシーンだけで駄作の臭いが漂ってくる。
 タイトルどーん。2014年の字幕。手ブレして残像が残る映像が多い。後々こういう映像表現が多用されるけど邪魔。中国風の街並み。日本語を話す少年三人。孤児のようで犯罪でご飯を食べているよう。で、その中の一人がHYDEを見つけ助ける。で、事件に巻き込まれHYDEの正体が判明する場面なんだけど、吸血シーンを撮らない。せっかくの見せ場なのに撮らない。
 その後にも影響することなんだけど、ここで吸血鬼であることを印象づけるシーンがないものだから、HYDE、ただの不健康そうなヤンキーの兄ちゃんにしか見えない。演技も下手だし、配役ミスなのがまるわかり。
 子供の顔のアップから場面転換するとGacktの顔。2025年の字幕。銃撃戦。HYDEとGackt、銃弾を素早い動きで避けることができる。「あ、Gacktも吸血鬼になったんだあ」と思っていると、何と、別にGacktは普通の人間のまま。なぜ弾を避ける能力があるのか一切説明なし。なぜ吸血鬼と同じ能力があることを示すシーンを挟むのかの説明もなし。映画の作りが馬鹿すぎて、ここで猛烈に飽きる。
 結局、五人の男女が友だちになるんだけど、成長してその地域の縄張り争いに巻き込まれて、仲間がどんどん死んでいく、というだけのお話。
 そんな、もうこすり倒した話なので、そこに吸血鬼と未来にしたらいいじゃねえ、という安易な気持ちが見え見え。吸血鬼を描くつもりもなく、未来世界を描く気すらない。
 2025年の字幕が出るのに、周りの風景が普通に台湾?の街並み。未来になっても風景が変わらないのか?未来を示すガジェット類も何一つ出てこない。
 吸血鬼設定もあやふや。年をとらないで不死であることに悩んでいるんだけど、太陽光線に当たって豊川が死んでいくシーンがある。不死じゃないじゃん。ここ豊川である必要性全くなし。ただのちょい役。何か意味があるのかと思ったら何もない。本当にちょい役。
 映画後半の銃撃戦ではHYDE物陰に隠れて逃げまわっている。普通の人より役に立たない。
 一か所見る点があるとすれば、ロケ地。台湾?の猥雑な感じは大迫力。

ボケ老人と介護士のブレア・ウィッチ・P、映画『殯の森』

 河瀨直美脚本監督映画『殯の森』(2007年公開)を観た。10分くらいで飽きる。最後まで見るのは苦痛。
 ミュージカル映画は苦痛。映画という嘘の上にミュージカルという嘘が上乗せされている。映画という虚構のハードルを乗り越えてまた歌や踊りのハードルを超えなければならない。そんな映画に合わせるほど感情移入の能力はないし、義理もない。
 擬似ドキュメンタリー映画も構造は同じ。映画という虚構を飲み込んだ上に、ドキュメンタリーという本当に撮ってますよという嘘にまで付き合わされる。
 洋画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は見たことないので、邦画なら『ノロイ』(2014/4/28掲載)。こういう映画は本当につまらない。擬似ドキュメンタリーではないけど、自然な会話という映画の中でものすごく不自然な会話が展開される『ペタル ダンス』(2014/7/11掲載)。これも苦痛だった。
 映画冒頭、森の風景や葬儀の列など切り口は悪くない。だけどねえ、介護施設の映像になると途端に退屈で苦痛。
 この映画がどこへ向かっているのか、何を描くのかの説明映像がない。誰が主人公なのかも初めはわからない。こういう作りの映画は観客の意識をどこに集中させればいいのかの提示がないので、観客はすぐに集中力を使い果たす。つまり、あきる。
 ドキュメンタリー風の撮り方の中に、渡辺真起子と尾野真千子が現れると違和感バリバリ。こういうのが本当に苦痛。
 何で普通の農道だったのに山道に入っている?事故まで起こしているのにまず連絡して近くの人に助けを求めるだろう。ボケ老人やっと見つけたのに山道行くかあ?
 尾野真千子が焚き火の前で黒いキャミソールを脱いだように見えたけど、画面が暗いのと人物の影に隠れて確認できず。サービス悪。
 とまあ、映画の流れとして出来がいいとは思えないけど、何かしら映画の精神性みたいなものが評価されているようなので一言。
 あのー、沖縄出身在住者から言わせると、死者との別れの殯(もがり)なんてそんな感動的なものじゃないから。墓から大きな厨子甕だして。中から頭蓋骨とか骨を取り出して、海の水で洗って元に戻して、ハイおしまい。あくまでも事務的なこと。シーミー(清明祭)は墓の前で行なわれるお祝い、ぱーてぃーだから。山の中でめそめそなんて精神が暗すぎる。
 ヨーロッパの金出さないで映画見れる審査員には、オリエンタル趣味で受けるのかもしれないけど、映画館でこんな自慰作品見せられたら、二度と邦画見ないんじゃないかなあ。賞もらうことで道踏み外しているように見えるけど。大きなお世話か。嫌なら邦画を見なければいいだけの話。

過去の資産の食いつぶし、映画『椿三十郎』

 森田芳光監督映画『椿三十郎』(2007年公開)を観た。リメイクですらなくただのコピー、それも劣化した。
 画面構成、ショット、セリフ、など、黒澤明監督映画『椿三十郎』(2015/6/14掲載)とほぼ同じに作らている。同じに作る意味がどこにあるのかまったくわからないが、同じに作ったおかげで比較が容易になっている。これが見事に劣化コピー。邦画の実力、時代劇の凋落が見て取れる。
 まず、出だしからひどい。神社の中、九人の若侍が話し合いをしている。奥から椿三十郎こと織田裕二が姿を表わすのだけどこれがひどい。何とものまね。椿三十郎になりきるんじゃなくて三船敏郎の真似をしている。製作者側も俳優も何か自分の中の大切なモノを捨てている感じ。
 そこまでやるなら完全コピーを目指せばいいのに、大切なところは微妙に改変されている。それも改悪。
 例えば、椿三十郎が初めて室戸半兵衛の元を訪れるシーンがある。黒澤監督作だと、まず椿(三船敏郎)が小門の扉を叩く。カメラが大門の扉に移動して扉が開く。騎馬がローアングルのカメラに向かって進む。そこへ三船が画面右脇からカメラと近づいてくる馬との間に割って入る非常に迫力のある画になっている。
 同じシーンが森田監督版だと織田が小門を叩く。大門が開く。カメラの前を人馬が通りすぎる。それだけ。何でここはコピーしないんだ。織田がけがするから?できないのか、やる気が無いのか、まったくわからない。
 黒澤監督作の睦田夫人の話が長くて、椿三十郎が飽き飽きしながら手持ち無沙汰のためにふすまの文字をなぞるシーン。ここは笑いどころなんだけど、森田監督作だと碁石をいじるシーンになっている。合図に使う椿の色に合わせた演出のようだけど、碁石は黒と白。椿の色とは白しかあってない。わかりやすいかあ?この演出。微妙に中途半端な改変。
 でまあ、だれでも考えるのがラストシーン。オリジナルを超えられるのか?当然越えられません。演出を変えた上に金魚のフンのように二度も同じ場面を再現している。自信がなかったのかプレッシャーか上からの圧力なのか。ただの改悪。
 実はこのシーン以上にひどい部分がある。全てに決着がつき広間で若侍九人と城代家老睦田が再会するシーン。睦田役が藤田まこと。どひゃー、配役ミスすぎる。ここは馬面で頼りない人物だから面白いわけで、映画冒頭から何度も前フリしていたわけだし、一度も顔見せがなかったのもここのオチのため。それが藤田まこと。藤田といえば主水。貫禄ありすぎて笑えない。ここを見るだけでも映画をおもしろくしたいという気がないのがまるわかり。黒澤明もなめられたもんだ。

新鮮味なし、第一作で充分、映画『るろうに剣心 京都大火編』

 大友啓史監督映画『るろうに剣心 京都大火編』(2014年公開)を観た。第一作目を見ているなら見る必要なし。
 兵庫、明治11年の字幕。夜、荒れ果てた村を警察?兵隊?が走り回る。江口洋介がいる。煉瓦の壁の残る建物、何者かにどんどん殺されていく。火が燃えたぎる中に橋。包帯の男が立っている。江口が声をかける。燃え盛る火の中に吊るされた人がどんどん落ちていく。忍者風の男たちが襲いかかってくる。櫓が倒れて橋が途中で途絶える。包帯の男、声で藤原竜也だとわかる。
 タイトルどーん。芝居小屋、客席に佐藤健と武井咲がいる。場面転換して道場。映画『るろうに剣心』(2014/12/15掲載)で見られた青木崇高や蒼井優など関係者が出てきて佐藤側の生活を説明。
 で、佐藤が明治政府内務省に呼ばれ大悪人藤原の人斬りである氏素性やヒールぶりが説明され、藤原退治のため京都へ行くように命令される。
 でまあ、京都への途中、土屋太鳳に会って、子供に会って兄貴に会って村が襲われていてという流れは強引で、このへんで飽きる。ただ、この村で行なわれる移動しながらの殺陣は一番の見せ場。この映画で盛り上がるのはここだけ。
 で、京都で土屋の関係者が田中泯でとどんどん芋づる式。十本刀が招集されるも一人しか対決しないし、伊勢谷友介が佐藤を追いかける理由も無理くりで全然物語に絡んでこないしと飽き飽きしていると、第三作目への布石だと気づいて、げんなりする。
 京都で大火を起こすシーンの集団の殺陣はどこかで観たような感じで新鮮味はなし。巨大戦艦まで出てきて(もちろんCG)、大砲の前のちゃんばらが白々しい。武井、何故か殺されずに海に放り込まれる。意味不明。助けに海に飛び込む佐藤。場面転換して海岸に打ち上げられている。人が近寄り背中にしょって歩く。顔が映るとちょい役の福山雅治。これまた第三作目への布石。
 なんにも解決しないし、物語に絡んでこない人物も頻出して、時間の無駄。映画で次に持ち越す作りは銭儲けの臭いがぷんぷんしてあざとい。

本上まなみの目合シーンが下手、映画『群青の夜の羽毛布』

 磯村一路監督映画『群青の夜の羽毛布』(2002年公開)を観た。ホラー風のホームドラマといううまい作りなのに、目合シーンが下手すぎて台なし。
 住宅地の坂。キャスター付きキャリーバッグを引く本上まなみ。小日向文世の独白。コートを着た人の引きの画。階段、庭から居間にカメラが移り、廊下。本上が耳を抑えながらベッドの上に座っている。カメラ目線でタイトルどーん。と同時に本上の映像が油絵風になる。この冒頭シーン、映画を見終わらないと何が起こっているのか理解できない。丁寧な作りだけど少々残念。
 でまあ、スーパーでバイトしている玉木宏と本上が出会ってから話は転がっていくのだけど、微妙にホラー風味。
 廊下の奥から聞こえてくるトイピアノの音。玉木が廊下を進もうとするときつく禁止される。異常に料理が得意な本上の性格。暗めの室内。食事中会話がない。本上のつけ毛。ビールに混ぜられた薬。など、振っておいて回収がない前振りもあるけど、外からはうかがい知れない他人の家の秘密、みたいなものの表現として成功している。
 いやあ、兎にも角にもキャラ立ちしているのは本上の母親役の藤真利子。学校の先生をしている母親。学校では「くそばばあ」と呼ばれている(学校の映像はなし)。娘二人に対する締め付けが厳しく門限が午後10時。本上に男ができると品定め、面接で就職先や家族構成を聴き、バイクまで貸し与える。これらは親切心からではなく、玉木のことを家のローンの返済のための働き手としてしか考えていない。会話の時、相手が質問しているのに逆に質問し返すセリフ回しは非常にうまい。
 74分頃には、玉木チャレンジャーすぎる、お前はペタジーニか!という驚きの展開に。
 場面展開は月を挟んでの切り替え、並木道からの病院の廊下など、オーソドックスな手法。雨に濡れた本上が階段に座っている。階段のアップからの液体が流れての廊下の本上への場面展開にはびっくりした。ここは先を読ませない非常に早業編集でうまい。
 とまあ、うまい部分も多々見受けられるんだけど、これらを帳消しにするぐらい下手なのが目合シーン。特に、玉木と本上があることをきっかけにホテルに入る。まあ、かなり強引な展開であるけどしょうがない。車の中から場面転換したらもうベッドの上。で、玉木の回想のような感じで目合を描くのだけど、本上、発作起こしているのか?というほど下手。本上だけがあえいでいるショットが連続するのだけど撮りた方、演技ともに下手っぴー。このシーン、映画前半にあるのでかなり萎える。
 目合シーンが多い割に不自然にシーツをかぶっていてるし女優にやる気ないのがまるわかり。映画『三月のライオン』(2015/6/19掲載)に出ている由良宣子と裸の撮り方を見習ってほしい。
 他人の家にある開かずの間、女だけの家、登場する男が誰も役に立たない、厳しい母親、など、ホラー風味の面白い展開だけに、目合シーンの下手さが致命的。
 後、「だまればばあ、くそばばあ」と母親に反旗を翻す(自立する)シーンとしてうまいのだけど、ラストは意外なほどカタルシスがない。
 というのも本上、精神的には自立したかもしれないけど、経済的社会的に自立するシーンは描かれない。妹の野波麻帆と父親の小日向のその後は描かれるのに、問題の母親が描かれない。と、尻切れトンボというのか煮え切らない感じで終わる。
 できればラストはホラー風味をとことん延長して、玉木は本上と結婚する。新しい家を新築、母親と妹と住むことになり、女家族全員と肉体関係ができて、玉木が奥の部屋から出てこれなくなる。なーんていう小日向の代わりを玉木が代行する『群青の夜の羽毛布2』なんてものがあってもいいなあ、と妄想してしまう。そういった影響力はこの映画にはあるかも。目合シーンがちゃんと撮れていれば男女のどす黒い暗部までもが描けていたはずなのに、返す返すも残念。

昔もあったんだ恋愛バカ映画、映画『戦雲アジアの女王』

 野村浩将監督映画『戦雲アジアの女王』(1957年公開)を観た。隙がありすぎて意味不明なほど。見るのは時間の無駄。
 字幕による説明。清朝の王族の血を引く川島芳子。なぜだか知らないけど日本で育てられたらしい。荒涼とした丘陵地を赤い制服を着た人物を先頭を走り、多数の人馬(兵士)が後に続く。タイトルどーん。オープニングロール。
 場面転換して湖畔?大正15年秋の字幕。二頭の人馬。湖の奥に富士山。馬を止めると乗馬服姿の高倉みゆきと軍服姿の高島忠夫。いちゃいちゃしながら高島が高倉に銃の撃ち方を教えたかと思うと、急に、高倉、歌を歌い出す。それも中国語の歌のよう。急に和服姿の男が立っている。いろんなことが急でドゥマンギル。
 でまあ、高島、軍命で中国へ。いろいろあって高倉は政略結婚のため蒙古へ行くことに。でまあ、その後、いろいろあるんだけど、完全な恋愛バカ映画化。舞台が中国である必然性も無ければ、中国語すら出てこない。なんちゃって中国風映画。
 気になったことを書き出してみると。
 高倉の屋敷に高島が挨拶に行く場面。和服姿の男が出迎えるのだけど、庭箒を持って立っている。すごく広大な敷地なのにこの男は一人で庭箒一本で掃除をするのだろうか?ものすごく不自然。ただ別れの場面を作らないためだけにそこに置いておいただけの人物で、見ていて飽きる。
 日本に来た蒙古の特使、日本語。中国にわたっても全部日本語。歴史的なことなど描く気全くなし。
 蒙古に嫁いだ高倉。城壁と門。内部の宴会ホールと軍事会議をする場所、高倉の部屋と中庭ぐらいしか映らない。住民も一切映らない。一国の主にしては、小学校くらいのものすごく範囲の狭い国にしか見えないんだけど。
 結婚の祝いの席で女が城壁を抜け出す。普通に門から。それを追う宇津井健。敵が集合しているのを見届けて宇津井が戻って戦争が開始される。ものすご~くゆっくり。緊張感ゼロ。
 軍事会議の後、高倉が男一人を従えて移動している団体の荷物を調べる。運んでいるのは弾。案の定、見つかる。男、撃たれる。高倉捕まる。うーん、バカ過ぎる。出て行く高倉もバカだけど、送り出す軍隊もバカ。ただ国をピンチに陥れているだけ。
 高倉と高島と男。敵の牢屋から脱出する。脱出もひどいけど、城壁を抜けて荒野を走るところを機関銃掃射される。まったく当たらない。男が一発拳銃を撃つと、機関銃を撃っている男にあたる。緊張感まるでなし。
 高島が武器弾薬を爆破した(なぜそんな大掛かりなことが一人でできるかは不明)のに追いかけてきたのは一人だけ。
 高島、高倉の安国軍の武器を爆破した理由を語らない。事前に、高倉にちょっかいを出した丹波哲郎のシーンがあって、観客も高倉もみんな悪党が丹波だと気づいているのに、高島、爆破理由を喋らない。高倉もバカだけど、輪をかけたように高島もバカ。
 また一人で外に出る高倉。もう本当にバカ過ぎる。
 高島を乗せた馬車が襲われるシーン。いつの間にか高倉が馬を操っている。飛び乗るシーンはなし。アクションは苦手のようで撮る気なし。同じショットの使い回しと思われる部分あり。
 丘の上の墓。赤い軍服姿の高倉。高島が声だけで登場。死んでいるのに高倉と会話。
 高倉を先頭に兵隊の行進。どこの国の軍隊でも隊長がバカだと下の兵隊が苦労するという教訓かな。何度も出てくる「アジア平和の礎という大切な使命」というセリフが映画のちゃちな感じと差がありすぎて虚しさ百倍。もしかして、旧日本軍のバカさ加減を逆に表現していたりして。それならすごい映画だけど。なわけないわなあ、この作りじゃあ。

女のパンツの見せ方が本当にうまい、映画『マルサの女2』

 伊丹十三脚本監督映画『マルサの女2』(1988年公開)を観た。セリフでなく映像による説明を継承。
 宮本信子が後輩の益岡徹にソープランドの前で説明する場面。レイバン?のサングラスが印象的な宮本、肩越しに顔を近づけて話を聞く益岡。カメラと二人は固定、背景が360度回転する。
 三國連太郎の最初の取り調べ。取調室を俯瞰で撮る。それもシーリングファン(天井に取り付けられる空気撹拌用扇風機)の羽根越しの映像。羽根がゆっくりと影を作り印象的。
 三國が女を抱くと正妻で教祖の加藤治子が火の前で祈祷をしている場面を挟む。洞口依子を抱くと加藤の祈祷、柴田美保子を抱くと祈祷、と天丼になっている。
 天丼といえば、映画冒頭シーン。雨の中、子供たちが川?の中に石を投げ込んだりしていたずらしている。アップになると死体。蜥蜴の尻尾切りにあった地上げ屋。チビ政こと不破万作が背後から撃たれ絶命するシーン。死ぬ瞬間に子供たちが取り囲む。これも天丼。
 前作の『マルサの女』(2014/11/10)から引き継いでいる説明映像。例えば、『マルサの女』では山崎努によるコップの水を飲んではいけない溢れでた分を飲むんだよ、と金を貯めるコツを伝授する(『マルサの女2』でもコップの水のやりとりあり)。『マルサの女2』では三國が土地に絡む脱税方法を指南。クッションと仏像の置物?を使って説明する。どちらも演技派俳優による記憶に残るシーン。
 前作から引き継いでいるものに、びっこの登場がある。『マルサの女』では山崎がびっこ。『マルサの女2』では手荷物預かり所に紅白ストライプの紙袋を届ける女(神林泰子)がびっこ。
 演出の巧さ、まあ当たり前のことをちゃんとやっていることなんだけど。隠し部屋に設置された高周波?スピーカー(オーディオ的には問題だけど)。これを止めるため決死の形相で階段を登り電源スイッチを見つける津川雅彦。スイッチに手をかけ押す。音は小さくなるけど止まらない。もう一つスイッチがあってそれを押すとやっと音が止まる。と、ちゃんと三國の性格と面白さの持続を考えた演出。
 柴田が捕まり最上階の部屋で持ち物を調べられるシーン。いやいやバッグの中の物を取り出すのだけど、メモを破り捨てようとする。その手を掴んだ益岡が、指を一本一本こじ開けていく手のアップをわざわざ撮っている。
 マルサのビルの中の資料室。中から開けるには暗証番号が必要。大地康雄による「まるさこわいよ」の前振りあり。その後、きたろうと宮本の格闘。ナイフを出したきたろうにたいする宮本の説得。どこで観念するかによって罪状と刑期が変わってくることの説明、と、見せ場への流れがちゃんと作られている。
 『マルサの女』に比べると記号的演技も若干増えたかなあ。政治家先生を落とすとき寂しい曲が流れて泣く、とか、宗教法人から転び出る(まろびでる)感じとか。
 柴田が三國と目合終わってソファーに気だるく座っている。「お前ほどセックスが顔に出る女もめずらしい」。うまい。柴田が家宅捜索を受けそうになり上の階へ逃げるシーン。わざわざネグリジェをたくしあげて白いパンツを丸出しにして外壁を昇る。さらに大股開きで登る。岡本麗の場合は黒のドレス。階段に出ると風でスカートが舞い上がり白いパンツが見え隠れする。マリリン・モンローのパロディ。これが何度も何度もスカートが舞い上がるんだよねえ。とまあ、サービスてんこ盛り。「こう見えたらドキドキするよね」という場面やスチュエーションが散りばめられていて大満足だし、伊丹、腕あるなあ。
 逆光の中でスプレーを噴射する、拡大鏡越しにしゃべる、土下座の後は恫喝など、三國、芸達者。
 ラストは、『マルサの女』に比べると今ひとつ。巨悪まで捜査の手が伸びないのはわかるけど、『マルサの女』にあった査察対象者との付き合いが今回は薄い。三國がいくら吠えても山崎が持っていた悪いやつだけど一本芯が通っているという人物像にまではなっていない。だから三國のラストも不発な感じ。

猟銃持って自由に逃げ回れる不思議、映画『さまよう刃』

 益子昌一脚本監督映画『さまよう刃』(2009年公開)を観た。後半になると雑で飽きる。見てもいいし見なくてもいい。
 立体交差、黒塗り旧式の車が走っている。車内は暗くて見えない。中学もしくは高校の女生徒が歩いている。代わる代わる場面転換する。家の中、写真立てにティーンの女と寺尾聡が写っている。居間のテーブルに製図板と平行定規。娘から帰宅すると電話がかかる。夜道、引きの画。制服の女。黒い車が止まり女を引きずり込んで発車する。車の消えた道路がしばらく映り、タイトルどーん。
 その後、殺害現場で捜査する竹野内豊と伊東四朗、娘を殺された父親役の寺尾など、セリフ少なめで雰囲気はなかなか良い。特に、寺尾が使ったペンから指紋の採取を命令するあたりは、意表をつく冷徹な役作り。かなり期待が高まるけど、見ていると雑な部分がどんどん出てくる。
 寺尾の娘殺しに車を出して手伝った佐藤貴広。寺尾に情報を提供するんだけど、何故か寺尾の家の電話番号を知っている。寺尾の後にアパートを訪ねて犯人の一人黒田耕平を絶命させたような思わせぶりな作りになっているけど、靴跡とかナイフが違うとか証拠いっぱい残しているけど捜査はしないの?何で佐藤は映画の最後まで野放しなんだ?
 竹野内、酔っ払ってふらふら歩いたところでUターン、場面転換して部屋の中。それどこ?どうも竹野内の自分の部屋らしいんだけど、前振りがないので犯人の部屋かと思った。紛らわしくていらない場面。
 雪のつもるペンション地帯(コスモス村?)。宿泊したペンションの娘酒井美紀が寺尾を説得するのはわかる。だけどねえ、その父親の山谷初男の行動は意味不明。警官が来ると公務執行妨害はするは、弾が二発残っている猟銃と車を提供してしまう。その理由が「同じ娘を持つ父親だ」。ひどすぎる。ペンション経営している父娘にも過去があるのかなあ、と思ったら何にもなし。ここでかなり興味を失う。
 その後も雑。逃げた寺尾、廃墟とかしたペンションに潜り込むんだけど、車を普通にペンションの脇に駐車する。逃走中の犯人という緊張感まるでなし。
 逃げる寺尾、踏切で竹野内と見つめ合う。スローで長い。意外に民家に近い場所のペンションなんだという驚きもあるけど、電車が通り過ぎると寺尾いない。竹野内、空を見つめるだけ。何で?追えよ!
 逃げている娘殺しの犯人岡田亮輔。佐藤と歩行者天国のような路上で会う。佐藤、ナイフを取り出すけど刺さない。そういえば、ペンションで岡田を発見したのに寺尾、撃たなかった。早く刺せ、早く撃て、とイライラする。黒田を刺した時のスピーディーな感じはどうした?
 竹野内が情報提供したので寺尾も都会の駅に向かっている。情報によると寺尾らしき人物が監視カメラに写っていたんだとか。あのさあ、猟銃持って殺人の疑いがかかっている人がいるんだよねえ。足に怪我までしている。それがどうやって都会まで出てきたの?バカすぎない?どう考えてもこの時点で凶悪犯は寺尾だろう。緊急配備は?
 ラスト、寺尾が岡田に向かって猟銃を突きつけるけど、案の定、撃たない。発砲命令が出るけど、案の定、撃たない。伊東が撃ったみたいだけど、撃つシーンを撮らない。寺尾撃たれたようだけど、撃たれたシーンを撮らない。顔の演技だけ。周りは見てるだけ問題が発生しているし、スロー映像だったりと間延びが甚だしい。
 裁判所、伊東のナレーションで猟銃の中の弾は「くうほう」だったんだって。どういうこと?空砲なのか空包なのかで大きな違いが出てくるけど。途中でどうやって寺尾は手に入れた?それともペンションの山谷がわざと空包詰めていたとか?それとも弾を抜いて(空砲)いたということ?撃つ気がないならもう少しわかりやすく示してくれないと。この落ちは何が面白いんだかまったくわからない。

小学生レベルだけど今見ると味わい深い、映画『花より男子』

 楠田泰之監督映画『花より男子』(1995年公開)を観た。内容は小学生レベルですぐ飽きる。が、時代がにじみ出ていて味わい深い。
 スカートを左右にきゅっきゅと回す。鏡に写る内田有紀。紅を引く。指先確認してアパートを出る。子供たちに混じって歩く。英徳学園大学の看板。デザインが異様で巨大な施設。自動車が乗り付ける。女子学生が集まり騒ぎ出す。乗っているのはF4と呼ばれる男子学生。その中に谷原章介と藤木直人がいる。
 でまあ、しばらく大学生活が描かれるのだけど、これが本当に小学生レベルの行動。学校内での追いかけっこ、メリケン粉?がドアを開けると降ってくる、など。登場人物が低能すぎて、こちらの頭のなかもとろけそう。大学なのに講義風景が一度も出てこない。など、大学に設定した意味が全くないし、描く気すらさらさらないのがまるわかり。
 とまあ、映画としての出来は凄まじく低いのだけど、見る価値はちょっとだけある。
 内田のファッションが素晴らしい。特に普段着。ショートカット、タイトなミニスカート、小さめのTシャツにスニーカーがドンピシャ。白い長袖シャツとジーンズもいい。内田を愛でるという意味が発生していてアイドル映画になっている。
 後、今も活躍する俳優が若い姿で出ているのを発見できる。まあ前出の谷原と藤木が若いというより幼い。演技も硬い。今話題の藤原紀香も登場。ちゃらちゃらした女役ではしゃいでいる。ブティックの店員で清水ミチコが出ている。
 海外留学、巨大なダンスホール、ワンレングスボディーコンシャス、ダンパ、バンビー、trfなど、当時の風俗習慣が画面から噴出していて、時空の墓標のような価値はある映画。

嶋田久作以外の登場人物は何がしたいんだ?映画『修羅雪姫』

 佐藤信介監督映画『修羅雪姫』(2001年公開)を観た。駄作気味。見てもいいし見なくてもいい。
 字幕とセリフによる説明。建御雷家(たけみかづちけ)という殺し屋集団がいるらしい。砂漠風の広々とした場所に人が数人立っている。革ジャンを着ている。映画冒頭の解説から時代劇だと思い込んでいたので面食らう。
 草が生い茂る中に砂利道。車が走ってくる。男が一人刀を持っている。車が止まり男が出てきて銃を出す。草むらから人が出てきて車の男たちを斬る。アクションは粗め。ひどくもないけど良くもない。銃を全然撃たない。最後のほうでやっと撃つ。
 最初で言っておくけど、釈由美子のアクションはそれほどでもない。ところどころ吹き替え。アクションよりも敵にやられてあえいでいたり苦しんでいる演技のほうが長い。
 それに顔の色が黒め、いつも下から相手を睨みつけるような表情なので、全然かわいくない。野性的でもないし、女っぽくもないし性格設定が中途半端。
 でまあ、組を逃げた人は仲間に追われて殺されるシーンを描いてから、釈に母親の殺された本当の経緯を語って聞かせる老人が現れる。
 で、釈、母の仇嶋田久作と対決になるのだけど、やられそうになり組織を逃げ出す。当然、追手に追われるのだけど、深手を追いながらトラックの荷台に逃げ込む。運転手は伊藤英明。
 伊藤は七星石油という給油所をやっているようで、謎の女(真木よう子)がいたり、地下に縦書のコンピューターが動いていたりと何かしら意味ありげ。ときどき、佐野史郎とあってテロを実行したことやこれからの計画などを相談したりしている。
 ここまでは、まあ、なんとか面白そうかな?という気がしていたけど、その後は、だらだらと低空飛行に移る。
 まず、長曾我部蓉子が殺されると映画の牽引力がぱったりとなくなり、登場人物全員何がしたいのかまったくわからない。
 釈は建御雷家の血筋なのだから仕返しをして家を取り戻すべきなのに何もしない。アクションシーンになるのは嶋田が刺客を放っているから。全部受け身。ならば、逃げるためなのかというとそういう意志もなさそうで伊藤の家でだらだらしている。庭で伊藤とドラム缶を片付けているくらい暇そう。何故か刺客はこの家を見つけることがないというバカ設定。
 とまあ、主人公が何をしたいのかさっぱりわからないキャラなので、映画も迷走。
 さらに、周りの人物も何をしているのか何をしたいのかがまるっきりわからない。
 伊藤英明は説明したとおり、テロに加担しているようだけど、具体的な行動は映像で示されずセリフで回想するだけ。
 伊藤に指示を出している佐野も何をしているのかは映像として示されない。
 伊藤の妹こと真木が意味深な登場をしたわりにただ地下に籠もって何も喋らず殺されるだけ。俳優の無駄遣い。物語に何一つ関わってこない。
 でまあ、全体的に見てもしょぼい点が多い。SFのようなんだけど、SFぽいのは背景に将軍様や高速鉄道が走るだけ。CGなのがまるわかり。その他のガジェットは縦書のコンピューターのみ。なんちゃってSF。トホホ。
 最後まで見ると一番行動に筋道が通っているのは嶋田の方という情けないストーリに。脚本、佐藤信介、国井桂。
 伊藤も銃を持っているのに建御雷家は殺し屋なのに刀のみ。説明なし。ただ、殺陣のアクションを撮りたいからだということがまるわかり。その割に大したことないけどねえ。松重豊が長い木で襲いかかってくるのには笑った。
 あ、ちなみに梶芽衣子主演の『修羅雪姫』(2014/9/30掲載)と勘違いしないでね。雲泥の差だから。梶の眼力と所作に比べたら釈はただのションベン臭いタレントにしか見えないので比べる事のないように。

NHK「ブラタモリ」函館編で予習、映画『海炭市叙景』

 熊切和嘉監督映画『海炭市叙景』(2010年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 造船所で働く竹原ピストルと谷村美月。立ち退きを迫られるも一軒家に住む中里あき。プラネタリウム勤務の小林薫と妻の南果歩。プロパンガス屋黒田商会の社長加瀬亮の家族。浄水器販売のために東京から来た三浦誠己。と、章立てにすればオムニバス形式になるようなそれぞれ別々の家族や人物が描かれる。共通点といえば海炭市で起こっている出来事ということぐらい。
 映画冒頭造船所の進水式は迫力ある映像。つかみとして悪くない。映画『解夏』(2015/4/5掲載)でもちらっと造船所のシーンがあるけどこちらはおまけ程度。
 NHK「ブラタモリ」で函館を詳しく紹介していたはず。予習になって理解しやすかった。特に地形的な知識があると風景の意味も多少理解できるので、予備知識が邪魔しない良い例。
 映画『そこのみにて光輝く』(2015/1/25掲載)の池脇千鶴の姓が大城、『海炭市叙景』の小林の姓が比嘉。どちらも舞台は北海道でどちらも沖縄風の姓。
 竹原と谷村兄弟の話はわかりやすい。その地方に巨大企業があって一心同体の生活を送っていれば自殺なんてことも起こりえるだろう。
 だけどねえ、小林と加瀬と三浦の陰々滅々とした雰因気と何がしたいのかわからないキャラ設定はどういう理由なんだろう。日本の地方都市の閉塞感、なんだろうか。
 セリフ少なめ。映像で見せていてよい。車の中、路面電車の中からの車窓風景が実写。ちゃんと撮っている。
 加瀬がプロパンガスボンベを落として足を潰して動けなくなっているのに、アパートから降りてきたカップルがものすごく余裕が有るシーンは少し笑える。

いてもいいしいなくてもいい天使役深田恭子、映画『天使』

 宮坂まゆみ監督映画『天使』(2006年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 内田朝陽のコンビニ関係者。永瀬正敏、永作博美、森迫永依の三人。小出早織の中学校関係者。西田尚美と小林明実姉妹。これらの人々の間を背中に羽が生えセリフのない深田恭子が節操無く飛び回っているだけ。比喩でなく本当に飛び回っている。
 天使だからなにかやってくれるのかと普通は思う。例えば、洋画『素晴らしき哉、人生!』とか。『ベルリン 天使の詩』とかね(内容忘れた)。
 だけどねえ、この深田天使はなにもしない。唯一人間界で成果を上げた出来事は中学生の小出を助けたことくらい。欄干から線路に飛び込もうとする、そこに現れた深田。見ているだけ。深田にびっくりした小出、欄干から落ちてしまう。結果的に深田が拾いあげるんだけど、思いとどまらせるわけではないという変な天使。人間界の出来事など我関せず。キーホルダーを集めたりする。
 でまあ、後は、どういうわけかあちこちを渡り歩いてジン&ライムを貪り飲むだけ。本当に酒をたかっているだけ。それと、深田、正直、あんまりかわいくない。痩せ気味だし、目を釣り上げたメイクだし、セリフはないし、人格や性格設定を与えられていない感じ。
 とまあ、いいところも悪いところも引っかかるところが殆ど無かった。書くべきことが殆ど無い作品。眠そうだけど意志を感じさせる面構えの小出早織が印象的だったかな。

由良宣子の脱ぎっぷりはいいのだが、映画『三月のライオン』

 矢崎仁司監督映画『三月のライオン』(1992年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい、本当にどうでもいい。
 モノクロ写真。兄と妹がいる、と字幕で説明。兄は記憶喪失なので兄の恋人になることにした妹。徐々に明るくなると部屋の中に女(由良宣子)。裸になり窓に絵を描く。オープニングロール。病室のような室内、男(趙方豪)がいる。
 でまあ、由良が病室を訪れて趙を連れ出し新生活を送るのだけど、これが本当にどうでもいい。徐々に記憶を取り戻したりするけど、だからといって近親相姦の葛藤みたいなものも描かれず。由良は兄が好きだという割に売春のようなこともしているしとかなり意味不明。
 意味不明なのは思わせぶりなイメージ映像が多すぎるから。駄作にありがちな物語をちゃんと成立させる脚本が書けない時の常套的逃げ手法。例、足がしびれて立ち上がれない兄をくすぐる。お風呂に入っている趙。着衣のままの由良が背中に飛び乗り頭を洗う手伝いをする。など、見ていて「そんなことしないし」という白けた演出、映像が多くて本当に飽きる。
 特別な葛藤も争いもなく安易にラストは出産シーン。趙がアイスを二本持っている。結局、最後まで趙は知恵遅れのような役割を負わされている。兄である設定も記憶喪失も全く必要ない。
 良い点は。由良宣子の脱ぎっぷりが非常に良い。いつの間にかするっと脱いでいる。場面転換すると脱いでいる。勿体つけたりしない。非常に好感触。出し惜しみする最近の女優陣は爪の垢でも煎じて飲め。
 由良、ファッションも良い。オカッパ頭、赤いハイヒール、クーラーボックスをさげて歩きまわる姿はエキセントリック。赤いズボンつりをスカートに使い胸の前でエックスに交差させている点も目を引く。
 赤いハイヒールといえば、映画『セーラー服と機関銃』(2014/1/30掲載)のラスト、薬師丸ひろ子が紺のセーラー服に赤いハイヒールが邦画史上最高の超絶ファッション。由良の出で立ちはその次ぐらいに印象的。
 オーディ的に独特。変わった環境ノイズが入る。最も印象的なのは解体現場で使われている鉄球。ゆったりとした間隔で腹にこたえる衝撃音が繰り返される。
 まあ、この映画最大の問題点は趙の配役だろう。いくらなんでも妹が近親相姦までして恋人にしたい人物の外見が趙というのは完全な配役ミス。
 由良を賞味するならありだけど、映画としては本当に飽きるよ。

R15+なのに真木よう子のポロりなし、映画『さよなら渓谷』

 大森立嗣監督映画『さよなら渓谷』(2013年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 タイトルどーん。ゆっくりと明るくなっていく部屋の奥に組みつ解れずの男女。もう目合。女は真木よう子。おっととと、と意表を突かれただけに揺り戻しで期待は最高潮。なれど、真木、ポロリなし。背中越しの形が見えるだけ。邦画の出し惜しみはひどい。
 文化住宅のような団地の雰囲気は良く出来ている。映画『悪人』(2014/10/20掲載)『そこのみにて光輝く』(2015/1/25掲載)もそうだったけど、こういう日本の地方都市の寂れた感じは邦画の中でうまいなあと思う。まあ、もう本当に寂れてしまってそれが映り込んでしまっているとも言えるけど。
 真木の性格を表現するセリフがちょっとおもしろい。隣の家の女が子殺しをして逮捕される。報道番組の中の女の顔のモザイクが取れる。その番組を見ながら真木「今更モザイクが取れてもさとみさんは見れない」。何故か犯罪者側の視点。
 この騒動をきっかけに真木とその内縁の夫?大西信満の過去が明らかになっていく、というお話。
 大西が過去に犯した犯罪に真木が関係者だったことが判明するところまでは牽引力があり見ていられるけど、逃避行風の二人だけの描写になると停滞気味。バカ恋愛映画ではないけど、そこから話は広がらない。
 出てくる女優がぎすぎす役ばかりで映画全体に殺伐とした印象。まあ真木は被害者ではあるけど、大西との関係性では上に立って叱りつけている場面が多い。胸は大きいけど身体は痩せ過ぎで色っぽいとは言いがたいし、そう撮る気もないよう。
 鶴田真由が大森の妻役で出ているけど、冷蔵庫の開け閉めや夜食にも口出しするし、ラグビーをやめたことを詰ったりするギスギス女役で、こちらにもうるおいなし。セックスレスの夫婦で物理的な潤いもなし。
 顔大きめの鈴木杏が編集部の中で顔パックをしているシーンは笑ったけど、大森と何かしらあるわけでもなし。色気の役回りは演じていない。
 犯罪で出会った加害者の男と被害者の女。男が下手に出るので調子を合わせて生活、通報したりして容疑者プレイで遊んだ後に、飽きたのでまた失踪した女、という話にしか思えないんだけど。

ジョン・ローンが美形すぎる、映画『チャイナシャドー』

 柳町光男監督映画『SHADOW of CHINA(チャイナシャドー)』(1990年公開)を観た。数奇な運命のわりにあまり盛り上がらない。見てもいいし見なくてもいい。
 泣いている女の顔。人民服のような服装。タイトルどーん。泣いている大勢の人々、行進している。毛沢東の写真。文化大革命、四人組、など中国近代史が字幕で説明。地平線の見える平野。道を歩く男女(ジョン・ローンとヴィヴィアン・ウー)。村に入ると赤い旗を持っている人。村人に見つからないようにしている。列車の中の二人。べたべたしすぎで若干ひく。毛沢東の写真を踏む。川、腰まで浸かって進む。暗闇、ライトが付いて香港警察。ヴィヴィアン捕まる。ジョン逃げる。
 とまあ、ここまでが映画冒頭の説明映像。毛沢東の死後、中国を逃げ出した男女の物語だとわかる。ロケ地の風景も広大。暗めの映像が多く、悪そうな期待大。
 なんだけどねえ、その後、佐藤浩市が出てきて香港を取材。日本人の大林一夫を探している。成り行きでヴィヴィアンと仲良くなる。偶然、ヴィヴィアンは別れ別れになっていたジョンと出会い、そこに佐藤も立ち会う。事件前のドリカム状態になり面白くなるのかなあ、と思うと案外どうにもならない。
 まず、佐藤がおまけっぽい役柄。ヴィヴィアンと佐藤が付き合っていることにいきなりなっている。急に一緒に買物をしてヴィヴィアンの部屋に上がり込んでいる。恋愛シーンがまるで描かれてないので、観客は何でこんなことになっているのか面食らう。結婚まで言い出すとかなり白ける。
 後、ジョンが悪いやつという設定だけど、悪いことをしているシーンがまったく出てこない。部下を操っているわけでもなく、エリートビジネスマンにしか見えない。
 面白い場面は、ジョンが組織に入会を果たし、その祝いにとダンスをするのだけど、これが文化大革命?紅衛兵のダンス?ここはコミカル。
 後、ジョンは小柄だけど、顔の整い方は半端ない。めちゃくちゃ美形。
 日中戦争、中国の文化大革命、香港の中国返還などの歴史が入り混じって、猥雑な香港のロケ地と相まって雰囲気は出ている。
 ラスト、ジョンと佐藤が車の中。農道で止まる。奥にはゲート。カモを追い立てている農民が「中国の餌はまずいぞ」ということから香港と中国の国境だとわかる。ジョン、ゲートを抜けて中国へ。これまた農道。ジョンの後ろ姿、遠ざかっていく。映画冒頭は地平線の見える大平原だったのに、ラストは農道。うーん、中国っぽい。だけどジョンは何しに中国に帰るんだあ?

超ブラックコメディー朝鮮人R、映画『絞死刑』

 大島渚監督映画『絞死刑』(1968年公開)を観た。意表をつく展開で前半は絶好調。後半はダレる。
 オープニングロール、タイトルどーん。死刑制度に対するアンケート結果が字幕で表示される。死刑場の場所、内部の構造が映像とナレーションで解説。人物が登場し死刑執行が執り行われる。のだが、何と首吊り状態で時間が経過しても心拍が止まらない想定外の事態が発生。ここから刑場の関係者と死刑執行されても生きている朝鮮人のR君(尹隆道)によるドタバタ劇が開始される。
 いやはや、この展開はまったく読めなかった。刑場の中で記憶のないR君に記憶を取り戻してもらおうと、殺人現場の再現や幼いころの生活を刑務官全員参加で寸劇というのか舞台劇を実行。
 それでも思い出せないとなると、刑場を飛び出して野外で寸劇が続くのだけど、女を見つけ首を絞めて犯してしまう犯行現場になると、教育部長(渡辺文雄)がハッスルしすぎて本当に女を殺してしまう。場面転換して殺した女をどうするのか。女が見えている人、見えてない人が入り混じってずっーとドタバタ。このへんの素早い展開は非常に面白い。
 ただし、85分ごろ姉だという女が現れてから映画として停滞気味。朝鮮民族の置かれた状況や戦争と死刑で人が殺されることなどが語られるのだけど、刑場の中の畳の間で酒盛りしながら話されるだけ。映画前半部の動きのある面白い展開はなくなり重々しいセリフが続くだけ。語りたいことはわかるけど映画表現としては面白く無い。
 氷屋の奥でチマチョゴリで佇む老婆が不気味。椎名誠がエッセイで書いている会社の先輩がやっていたという宴会芸、よかちん踊りが映画の中に出てきてびっくり。渚印とも言うべき日の丸があちこちに掲揚されている。
 映画『休暇』(2015/2/26掲載)も合わせてみることをおすすめする。こちらは現代の死刑執行刑務官と犯罪者の話。死刑の過程が詳細に描かれていて教育映画としてもおすすめ。

吸血鬼設定が邪魔、映画『羊のうた』

 花堂純次監督映画『羊のうた』(2002年公開)を観た。吸血鬼設定が生かされないただの難病もの。
 ひつじの群れの中の狼はなんちゃという字幕。タイトルどーん。ピンぼけの映像。女らしきものが近づいてくる。滴る血?場面転換して教室。これまで見た邦画の中で教室風景がものすごく自然。高校時代にいそうな外見の生徒が散りばめられている。その中に紛れ込んでいる主人公と思しき人物。何と小栗旬。しばらく気が付かなかった。それほど自然でうまく撮っている。
 美術教室に美波。エキセントリックな顔つきと挙動がこれまたなかなか良い。ときどき挟まれる風景、回想のようなイメージショットなど思春期の雰囲気としては邦画の中でもトップクラスの出来の良さ。なのだが、、。
 引きの映像でスラっとした和服美人風で登場して期待したのだけど、結局加藤夏希。映画が進めば進むほどやっぱり加藤。ここもかなりがっかり。
 小栗の症状が吸血鬼だとわかってから物語が停滞。加藤の家で隠遁生活を送るだけでにっちもさっちも物語が動かない。隠遁先の日本家屋の撮り方は非常に良い。
 吸血鬼設定が性的イメージショットづくりに貢献していることは認める。例えば、血を吸いたい→目合たい、血のついた指をしゃぶる→フェラチオ、「吸って」→乳首吸引、などを連想することはやぶさかではない。まあ、基本、元ネタの吸血鬼自体セックスの暗喩だし。
 だけどねえ、吸血鬼映像がひとつも出てこない。具体的に人を襲うシーンがない。だから小栗や加藤が苦しんでいる表情や演技をするんだけど、ただ病気の発作にしか見えない。
 つまり、吸血鬼じゃなくて難病設定でこの映画成立するでしょう、と思ってしまうわけ。すぐに思いつくHIV設定でも十分いけるよねえ。
 映画前半部の小栗旬を中心とした高校生の生活風景は見る価値あり。その後は、性的表現すら加藤は指を吸わないし、押し倒しても何もしないしと表面的でやる気のなさが見え見えで御座なりだし、BGVとして見るならいいかも。

金魚の糞のようなラストで大失速、映画『恋は舞い降りた。』

 長谷川康夫監督映画『恋は舞い降りた。』(1997年公開)を観た。トレンディードラマ風味で面白いのにラストの切れ味が悪すぎる。残念。
 敷き詰めた石の間から生える四つ葉のクローバー。走る少年。車出発する。見送る少年。場面転換。車を運転する唐沢寿明。呼び出し音。アタッシャケースを開けると携帯電話だらけ。ホストの店でナンバーワンの男。女から金品を受け取り、同僚に厳しい。同じ車種の車に追い越されると腹が立ち抜き返す。このへん、性格描写と次への展開の前振りになっていてうまい。
 で、トンネルを抜けると雪。工事中の看板を無視してトンネルの中へ。事故。トンネルから唐沢出てくる。周りの人に怒鳴り散らすも誰も相手にしない。そこへ、玉置浩二が現れて状況説明。唐沢は危篤で仮の姿だけが存在している、という設定のよう。
 でまあ、本当は追い抜いた老人の運転している車が事故に合うはずだったり、これから初めて会話する女を幸せにすることが条件だったりと、生き返るための条件が示されて凄腕ホストの唐沢が街に繰り出す。
 で、三十手前、バツイチの江角マキコを幸せにするために奔走する唐澤の姿が描かれていく。
 ここまではなかなかおもしろい。まず、唐沢のオーバーアクション演技が、深刻な表情とのギャップが生まれて面白い。唐沢に負けず劣らず玉置のぶっ飛び芸も異様でコメディ映画を盛り上げている。
 途中、挟まれる唐沢と江角による「幸せとはなにか」に対する意見のぶつかり合いなかなか興味深い。コメディにしてはセリフがよく練られていて、考えさせられる部分もある。
 とまあ、気づかない内に心が接近していく二人をB'zの曲が盛り上げたりしながらいい雰囲気なのに、ラストで白ける。
 まず、唐沢の生き返りの具体的な方法が示されていないので、死期が迫った唐澤のもとに仮の姿の唐沢が急いで駆けつける理由があまりわからず盛り上がりがいまいち。
 さらに、日付の変わり目と同時にベッドの上にライブする。ここはかなりの見せ場。なのに場面転換すると江角の前に仮の姿の唐澤が現れている。うーん、意味不明。身体に戻ったはずでは?映画内ロジックがいい加減で、幻滅。
 で、すぐに一年後の字幕が出て、普通の唐沢と再会してしまう。ここは非常に安易。ちゃんと病院から復帰する唐沢を描いて、なぜ約束の時間に戻れなかったかの説明をするとか、ぶつかり合いを描いてからの和解を描かないとカタルシスも成長も二人に感じられない。
 後、クローバーに言葉遊びとしての意味以上の必然性がない。これだけ引っ張っているので何かしら二人に共通で関係している理由があるのかと思ったら、なにもない。思わせぶりなだけ。これもかなり幻滅。
 とまあ、唐沢のおごっていたホスト時代からの成長、母との関係。江角の別れた男を引きずってしまう性格との決別など、非常に良い設定が散りばめられて、面白くできている。なのにラストシーンのツリーの下の場面のためだけに設定を適当にいじくったのが運の尽き。最後で大失速の凡作になっている。ラストの切れが金魚の糞のように悪すぎる。
プロフィール

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グブリー川平(かびら)
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