2015年05月後半観たおすすめ邦画

2015年05月後半観たおすすめ邦画
 2015年05月後半観た邦画は32本。

アニメ『妖獣都市』監督川尻善昭、1987年公開、2015/5/23掲載
 性的世界観の完成度が高い。主人公がスーツ姿というのも意表をつく。ラスト、広げた風呂敷も回収される。

『シコふんじゃった。』監督周防正行、1992年公開、2015/5/29掲載
 改めて見ると竹中直人の配役が完璧。他の登場人物も無駄がない。

【次点】

『DIVE!!』監督熊澤尚人、2008年公開、2015/5/16掲載
 高飛び込み競技の詳細がわかる。特殊な能力の前振りが意外な所に隠されている。瀬戸朝香の競泳水着姿(少ししか出てこない)。

『ミンボーの女』監督伊丹十三、1992年公開、2015/5/17掲載
 十分水準を満たしている娯楽作だけど、伊丹作品がパターン化しているかなというこれまでの作品と比較しての次点。

『愛のコリーダ』監督大島渚、1976年公開、2015/5/19掲載
 タイトルだけ知っていて、見たことのない映画の代表のような作品。外国人向けのような視点が若干気になる。死へのカウントダウンが恐ろしい。

『OUTRAGE』監督北野武、2010年公開、2015/5/20掲載
 自己主張のようなギャグやイメージ映像を排して、娯楽作にこだわるとちゃんと作れてしまう腕はさすが。演技の幅を広げる配役も感心する。

『DOOR』監督高橋伴明、1988年公開、2015/5/26掲載
 突っ込みどころはいくつかあるけど、とにかく高橋惠子が美しい。責められ追い詰められてますます美しくなっていく。高橋を見るだけで損はない。

『社葬』監督舛田利雄、1989年公開、2015/5/28掲載
 新聞社内部の派閥争いを詳細に描く。ラストのカタルシスが小さいのが残念だけど、芸達者な俳優の群像劇として楽しく見れる。

【映画内ロジックが雑】

『時空警察ハイペリオン』監督畑澤和也、2009年公開、2015/5/17掲載
 登場人物が整理できていないものだから世界観や登場人物の説明がものすごく長い。上に、セリフによる説明で棒立ち。和田三四郎が使えそうな役者だなと感じる以外は、ただただ飽きる。

『アンフェア the movie』監督小林義則、2007年公開、2015/5/25掲載
 金をかけてこの出来は杜撰すぎる。犯人側の計画や警察側の対応の細かい部分が見せ場のはずなのに、目が点になるほどバカバカしい場面が目白押し。例えば、病院の下に地下鉄が走っていて換気口につながっている(前ふりすらない)。ネットに情報を暴露すればいいだけなのに、マスコミ批判。その割にネット送金は使う。と、駄作の常連、佐藤嗣麻子が脚本を担当している。

『カラス』監督鹿島勤、1994年製作、2015/5/27掲載
 これで殺し屋、それも腕利き?という演出が頻出して笑えてくる。キャラ設定もぶれぶれ。何がしたいんだか。伊原剛志が主役。どうして引き受けたんだろう?

『劇場版 私立バカレア高校』監督窪田崇、2012年公開、2015/5/30掲載
 配役が先にあるのがまるわかり。高校をちゃんと描く気まるでなし。リーダー格の男女も実力がある前提。実力が映像で描かれることはない。紙芝居。

管理会社と幽霊に直談判する中越典子、映画『1303号室』

 及川中監督映画『1303号室』(2007年公開)を観た。怖がらせ方はうまいのにアクションが下手。見てもいいし見なくてもいい。
 ピントのボケた赤いランプが点滅する映像。配役。徐々にピントが合うと、エレベーターの階数表示だとわかる。ドアの外見を舐めるように撮る(映画『DOOR』2015/5/26掲載と撮り方が似ている)。1303号室のドアが開き、カメラは中へ。荷物のない室内。レースのカーテンが風で揺れている。カメラがベランダへ出て真下を映す。プールがありHの文字。建物全体の映像が挟まれて、場面転換。
 女、ダンボルール箱、電話をしている。引き戸の音。奥の和室に入る。鼻を押さえる。BT、建物の入口。「ブルーパレス平岡」の看板。男が建物に入ろうとすると女の子が手を掴み建物の上を指差す。「助けて」と叫びながら女が落ちてくる。
 とまあ、映画冒頭で問題が部屋にあることが説明されて、その後、部屋に越してきた深田あきもまた飛び降りることで、姉の中越典子が調査に乗り出し部屋の謎に迫る。
 静かな場面での怖さ表現はうまい。奥の和室、ふすまの戸と音の入れ方は見事に驚かされる。静かな場面で起こる不意打ちや後ろに誰かいるという表現が多い前半は見応えがある。けど、お化けの正体が分かり始めてアクションシーンが増える後半はつまらない。
 まず、アクションシーンが下手。何もしていない無駄な間があり、観客に怖さ以外のことを考えさせる余裕を与えてしまっている。後、低予算のためか実体化した幸世(初音映莉子)が怖くない。髪が伸びて相手を引きずる技も怖さとは違う感じがする。初音の悲惨な生活を描く回想も今ひとつ。刺された母親が自ら押入れに入る演出は笑った。
 後半のつまらなさのもう一つの原因は、物語に絡まない不要な登場人物がいること。まず、ぬいぐるみを持っている子ども(松野莉奈)とその母親(板谷由夏)。関係者なのか、一連の落下事故に関係しているのかどうかが最後までわからない。思わせぶりな表現で終わっている。
 思わせぶりといえば、中越の母親役大谷直子。中越との母子関係を描いて厚みを増していることはわかるけど、何しに1303号室を訪ねてその後どこへ行った?
 突っ込みどころとしては、古田新太と中越が乗っている自動車の後ろにいる車のライトが異常に近い、とか、事件が起こった直後の部屋に勝手に上がり込んでしまう、とか。まあ、最大の変なところは、ものすごく部屋数が多い大きなマンションなのに出てくる住人が少なすぎる。転落事故が起こっているのに全然騒ぎにならない。
 不動産管理会社の社員に平手打ちを食らわせて文句を言ったり、幽霊の幸世に示談を持ちかけたりと、登場場面は多い中越典子だけど、映画の出来が今ひとつなので空回り気味。
 ホラーで熱演しいる中越を見たいなら『おろち』(2014/5/14掲載)がおすすめ。木村佳乃の怪演に隠れがちだけど、中越もいい演技している。

江戸時代設定が適当、アニメ映画『伏 鉄砲娘の捕物帳』

 宮地昌幸監督アニメ映画『伏 鉄砲娘の捕物帳』(2012年公開)を観た。色んな所がほどほど、見てもいいし見なくてもいい。
 筆で書物をしている。「陸奥の風」、猟師と犬。猟師は女。この設定ですぐに思い浮かぶのは『もののけ姫』。山犬の顔が人間ぽい。ディズニー風というかジャングル大帝風というのか。擬人化された顔。この場面を観た瞬間、予想できる感想は「もののけ姫より落ちるなあ」だと思う。予想は当たる。
 猟師として育った浜路が江戸の兄道節を訪ねる。江戸の風景がところどころ現代風。なんちゃって江戸時代。特にファッションはひどい。スカート履いていたり、下着が現代的。伏(人間犬)という虚構を支える舞台設定、江戸の風景まで虚構にするとただの作り物感がありあり。どこを引き締めてどこをふくらませるかを勘違いしている。
 物語は、伏の信乃に浜路が出会うまでは面白いが、その後は停滞気味。ラスト、信乃と徳川家定が対決する理由がわかりづらく、そこへ駆けつける信乃がまったく活躍しないのも盛り上がりに欠ける。
 馬琴の口述筆記をしているお路の声がものすごく変。Charaの声自体も変だけど、まるで別録りしたかのような違和感。

SFのはずがチープ過ぎてただのホモ喧嘩、映画『46億年の恋』

 三池崇史監督映画『46億年の恋』(2006年公開)を観た。物語の中に入り込むのが無理なほど低予算感バリバリ。三池でも無理なものは無理だと分かる作品。
 カチンコ、遠藤憲一が座りながら本を朗読する。声にホールエコーがかかっていたり、携帯の音?が入り込んだり。半分壁が邪魔して見えない。舞台袖から撮影しているような映像。映画最後まで鳴り続ける低音ノイズ。
 「熱帯」の字幕。赤い背景、上半身裸の少年が老人から説明を聴いている。ポリネシアなどの太平洋諸島で行われる幾何学模様の刺青が背中一面に施された男。老人は男になる儀式だからと説明、その間、刺青の男がダンス(舞?)をする。巨大な月を背景に男と少年が出会う。タイトルどーん。
 うーん、しょっぱなからまったくわからない。で、その後、刑務所のような所で松田龍平が安藤政信を絞殺する。で、取り調べをするのが遠藤憲一と石橋蓮司。さかのぼって松田と安藤の生活が描かれるのだけど、まあ、低予算。
 上からの照明による室内全部を見せない手法。暴力シーン。など、で低予算をカバーしようというのはわかるんだけど、かなり無理がある。何度も出てくる洗濯シーンがただ水の中に入って足を上げ下げしているだけ。洗濯物が一枚とて出てこない。屋上に出るとロケットとピラミッドが見える。宇宙と天国の比喩みたいだけど、チープなCGで微笑ましくなる。脱走し電流が流れている柵で感電するシーンはアニメーション。うーん、刑務所の外を撮る予算はありませんと宣言していて痛々しいほど。映画製作の現場が気になってまったく物語に感情移入できず。
 SFなのかと思っていると、所長の石橋凌の背後にお化けのようなものが現れたり、人間関係はホモっけがどんどん強くなるしと、何がテーマなのかわからなくなる迷走ぶり。
 ラスト、「46億年」と字幕が出て、地下鉄の出入口を延々と映るだけ。で、エンドロール。なんじゃこりゃ。駄作というより珍作気味。

小中学生向け学芸会、映画『劇場版 私立バカレア高校』

 窪田崇監督映画『劇場版 私立バカレア高校』(2012年公開)を観た。配役に物語をあわせた愚作。映画のレベルもかなり低い。
 内部が荒れた建物。男が座っている。外では男たちが乱闘。制服ふうなものを身につけていて若いので高校生という設定のよう。アクションは初見は格好いいが、しばらくすると再生速度を速めて編集しているのがわかる。字幕により高校が合併したこと第一カトレア学院に移動することが説明される。ものすごく大急ぎの説明で雑。
 で、第一カトレア学院の学校が大写しになるのだけど、これが貧相。隅々まで光の当たった照明、室内に入ると新興住宅のような内装と映画的こだわりはまるでなし。映画『マリア様がみてる』(2015/5/24掲載)の爪の垢を煎じて飲んで欲しいところ。
 学校内の仕草が奇妙。生徒同士がスカートの裾を摘んで挨拶をしている。これがまあ特別な学校の記号、映像的表現みたいなんだけど、後半は、生徒同士が出会っても普通にしていて、この奇妙な挨拶は一切出てこない。映画内の設定が適当。映画内ロジックにこだわる気が一切ないのがまるわかり。
 内博貴が死んだ場所が変。子供の飛び出しを避けてバイク事故で死んだことになっているけど、俯瞰映像では道の横の草むらに寝ているだけ。どうやって死んだ?
 女のリーダーが二人いるんだけど、なぜこの二人がリーダーなのかがまったく映像として示されない。勉強ができるとか運動能力があるとかの映像が全くないので、ただガン飛ばしている嫌なションベン臭いガキにしか見えない。これは男たちにも当てはまる。喧嘩のシーンばかりが描かれて、生活感は全くない。リーダーである素養も描かれない。すべての設定が「そいうことだから」という後付(本当に後付でラストで金魚のフンのような回想が付いている)。
 「お前、兄貴にそっくりだなあ」と内博貴に森本慎太郎が似ているというセリフがあるけど、まったく似ていない。かたやちゃらちゃらした外見と大陸系公家系の顔立ち、かたや割りとモンゴロイド系。外見じゃなくて内面と言われても、内面なんて映画の中で描かれてないし。
 島崎遥香の車を走って追いかけるんだけど、追いついたところが川の横の一方通行の道。ランチはウェイターがいるような私立高校だよねえ。その割に貧相な所に立地しているんだねえ。それとも空港まで近道なのかな?
 ジャニーズやAKBを出す配役が先にあり、後から人を当てはめたのがまるわかり。登場人物は性格設定もセリフもなくただ棒立ちしている役者もいる。よくこんな残酷なことができるなあと驚く。ジャニーズにもAKBにも興味が無い人にはただの愚作。

竹中直人の下痢ピー演技が見事、映画『シコふんじゃった。』

 矢口史靖脚本監督映画『シコふんじゃった。』(1992年公開)を観た。無駄のない登場人物。集団の目的達成によるカタルシスと個人の成長も同時に描いている。娯楽作として完成度が高い。
 大学の門、校舎、講義室に柄本明、フランス語。コクトーによる相撲の描写。場面転換して相撲部の建物。内部のようす。土俵、俵が傷んでいる。タイトルどーん。部員募集をしている本木雅弘。チャラチャラしている。卒業のことで柄本の部屋へ。清水美砂がいる。
 ということで行きがかり上、教立大学の相撲部に入ることになった本木。BTすると白いまわしのお尻。竹中直人が締めあげると「あ、潰れる」。後は、まあ名作なので物語は省く。
 この作品を見るのは二度目。改めて見るとやっぱりちゃんと作られているのがよく分かる。
 まず、本木の立会の正面映像がどんどんかっこよくなる。もちろんこちら側の目が物語に入り込んでいるからというのもあるけど、ちゃんとかっこ良く見えてくるのは立派。
 特筆すべきは竹中。エキセントリックな演技が見事にはまりこの映画の影の主役。下痢ピー演技は爆笑。ステップによる足の演技と腰つきだけで下痢の症状を予感させるのはすごい。
 おおたか静流の歌声もいい。田舎の田園風景に「悲しくてやりきれない」がこんなにマッチするとは考えたこともなかった。エンドロールの「林檎の木の下で」は明るい未来を感じさせる。

ギスギスしたファッション業界、映画『FASHION STORY -Model-』

 中村さやか監督映画『FASHION STORY -Model-』(2012年公開)を観た。ドラマ部分はぎこちないけど女の成長物語とし見て損はない。
 加賀美セイラ、本田翼のインタビュー風景。加賀美はレオタード姿、本田は厨房での皿洗い風景などが短く挟まれる。場面転換して暗い部屋。本田が留守録を聴くと母親から進学の話。タイトルどーん。モダンな内壁のビルの廊下。ロングの黒髪の女(手塚理美)が歩いており背中をカメラが追う。周りに忙しく働く女達。吹き抜けの部屋に出るとみんなに挨拶。黒板に貼り付けられた資料を説明する女。それにダメ出しする手塚は編集長。
 とまあ、このへんでファッション誌の内部が描かれており、先に出た加賀美と本田は専属モデルで、加賀美が看板であり本田は駆け出しであることがわかる。映画冒頭の説明映像としては合格。特にファッション業界のギスギスした感じ(下っ端にものすごく厳しい)が描かれているのがナイス。どのように紙面が作られていくか、特にモデルを中心とした周りの動きが描かれているのも興味がそそられ、観客の集中力は途切れない。
 業界内映画としては良く出来ているのだけど、残念ながらドラマ部分は作りこみが表面的で薄い感じ。特に酒やけしたようなハスキーボイスが特徴の一度見たら忘れられない顔力のある加賀美が年上のカメラマンにふられるんだけど、恋愛の描き方が非常にあっさり(具体的な行為は車内キスのみ)しているので、加賀美が失恋の痛手から撮影時間に遅刻してしまう件が盛り上がらない。
 後、本田の性格設定。これは邦画にありがちなんだけど、本田、低能気味なんだよねえ。自分の意志さえはっきり言えないのに周りが認めてくれたり評価してくれるという流れはあまりにも説得力がなく独善的。まあ、成長の落差を出したい意図はわかるけど、邦画はガキをバカに描きすぎ。
 河北麻友子に関する出来事の演出や演技がベタな上、付け足し気味。加賀美の努力がレオタードでストレッチだけというのはワンパターン。
 とまあ、演出、演技、キャラ設定に難があるけど、ラストはひねりがひとつ入ってからの、あこがれからライバル対決、そして本田の成長というアクロバティックなことを短いシーンの中に放り込んでいて成功している。脚本、金杉弘子。ただ、最後の最後に、だけどみんないい人的な映像はいらない。

日本の新聞はインテリが作ってヤクザが売る、映画『社葬』

 舛田利雄監督映画『社葬』(1989年公開)を観た。社内抗争の描き方が伊丹十三映画風に面白いが、残念ながら緒形拳の活躍なのかがわかりづらく、カタルシスが小さい。それでも娯楽作としておすすめ。
 駅の雑踏、通勤の人々、タイトルどーん。サックスを使った楽しげな曲。ビル、太陽新聞。写植用端末?がズラッと並ぶ室内。版下、巨大な輪転機、巨大なロール紙、洋画『未来世紀ブラジル』を思わせるパイプ状の新聞紙送受装置。と新聞社内部が詳細に映像で描かれる。この辺りは、伊丹十三や矢口史靖を思わせる描き方。
 場面転換。冬山、雪の積もる山道でライトバンがスタックする。車を押す男たち。「日本の新聞はインテリが作ってヤクザが売る」の字幕。村に到着した車から男たちが出てきて各家庭を訪問、新聞の購読をお願いする。主婦が見ていない間に印鑑を勝手につく。外では商売敵の北陸新聞と出くわす。お互い道を譲らず車を正面衝突させておしくらまんじゅう。車から出てきた販促員が殴り合いの喧嘩。パトカーが出動する。とまあ、新聞の暴力的販売方法が紹介されていて実に楽しいし、うまい。
 で、ここから学歴はないが販売実績でのし上がってきた販売担当役員の緒形拳が、会長側と社長側の会社内権力闘争に飲み込まれていく過程が詳細に描かれていく。
 途中、十朱幸代を愛人にして濡れ場も準備されているけど、ちゃんと物語に絡む前振りになっていて無駄がない。
 告別式の食中毒、冬山を移動するヘリのスキッド部分にかんじきがついている、ご飯に赤ワインをかけて食べる、密教風の葬儀にチベット風音楽、など、細かいディティールや演出も興味深い。
 個性の強い脇役が面白い。まず、何と芸者役で井森美幸が出ている。これが泣き顔とが下手くそなんだけど、井森が出ている映画を初めてみたので希少価値はあると思う。周りが芸達者で油の乗り切った時期だけにより大根具合が目立つ。後、おかしいのがイッセー尾形。平社員なのにモーニング姿。駐車場の誘導係をさせられる。後、目立ったのが緒形の部下で秘書役の藤真利子。密かに思いを募らせる薄幸そうな部下役がうまい。後は、緒形の妻役吉田日出子。出てきただけでほんわかさせる画面支配力はすごい。ラストのショットも吉田がらみ。
 まあ、主役周辺でよく出てくる役者さんはすべてうまい。若山富三郎、江守徹、加藤武、野際陽子などなどあげるとキリがないほど。若い佐藤浩市も出ている。
 映画後半、受け身だった緒形が自分の立場を死守するために動くのだけど、結局、判断は相手任せで、その結果を待つことに。ここはもう一山、緒形の活躍が見たかったところ。
 とまあ、後半残念な部分はあるも、芸達者で油の乗り切った演技の群像劇が見れるし、社内抗争のハラハラや濡れ場も適度に配置されていて娯楽作としておすすめ。

スイッチを投げ捨てOKにする反則、映画『スイッチを押すとき』

 中島良監督映画『スイッチを押すとき』(2011年公開)を観た。設定はゆるゆる。ちょっと変わった男女の逃避行もの。見てもいいし見なくてもいい。
 窓に網がかけられている車の中からの車窓風景。「15年前2011年」の字幕。新聞記事や字幕によって自殺者の増加、自殺を防ぐための自殺防止プログラムが始まったと説明される。YSCのロゴが入ったゲート。かなりしょぼい。子供たちへの手術風景。各自ボタンを持たされている。動かなくなっている子供たちの映像。「2026年」生存者は6人。キーボードからの入力風字幕による説明から続いてのタイトルどーん。
 でまあ、6人だけ残った自殺防止プログラム被験者と施設の看守(福士誠治)、所長(西村雅彦)、所長と連絡を取り合っている男(田中哲司)、などの関係性が描かれる。グレー系の室内とか、上からの照明しか当てずに暗い室内とか、雰囲気を作っているのはわかるけど、いかんせん、6人と看守一人に所長だから低予算感は否めない。特に施設の中庭に出るとすかすかした画面がすごい。
 後、一応、2026年ということになっているのに、自分の心臓を止めるスイッチ以外の未来的ガジェットが何も出てこない。SFをやる気が無いのがまるわかり。
 でまあ、そこに映画冒頭の車窓風景の車に乗っていた男、小出恵介が新しい看守として現れる。規律を重んじる管理体制だった施設に被験者を名前で呼ぶなどの人間的な付き合いをする管理を実行する。だけど、実は、。
 とまあ、ここは少しだけ盛り上がる。関係性の逆転とか、小出の出自が明らかになったり、予想外の展開になるのか、と思っていると。
 施設外に出てからは普通~。2026年のはずだけど普通~。SF感まるでなし。洋画『アイランド』を思い出させる予算と規模をものすごく縮小した二人の逃避行になるんだけど、感動的な海岸の場面でドンずべり。何と、小出と水沢エレナが心臓を止めるスイッチを海に投げ捨てる。投げ捨てても何も起こらない。二人ともピンピンしいる。えー、投げ捨てポイ捨てオッケーなら施設にいる時から捨てればいいじゃん。映画内の肝の部分の設定が適当すぎて微笑ましくなる。
 ラストは意外に暗めに終わる。うーん、やっぱり見てもいいし見なくてもいい。

気狂いで不死身の父と気狂い娘のどたばた、映画『乾き。』

 中島哲也監督映画『乾き。』(2014年公開)を観た。映像技術でけむにまく手法は健在。ストーリーはかなり適当。見てもいいし見なくてもいい。
 この映画を見る前に予備知識として持っいるとけむにまかれなくて済む事柄を書く。
 まず、役所広司が出てくる。以前、刑事をやっていた。今は警備員。何かの事件に巻き込まれ家や娘を妻側にとられている。精神科にも通っているみたい。コンビニで起こった殺人事件に絡んで重要参考人として警察に呼ばれたりもしている。そこへ別れた妻から電話があり、娘が行方不明だと告げられ、娘探しに出かける。というのが役所の行動目的。
 三年前として高校生の清水尋也が出てくる。いじめられ役。映画『告白』(2014/6/16掲載)で見せた中島お得意の、明るい曲をかけながらスローのきれいな映像でいじめシーンを撮る。いやはや、何度見ても対象と正面から向き合わないすかした感じが悪趣味。で、清水は役所の娘こと小松菜奈が好きで、清水から見た小松が延々と描かれ、役所の場面と平行して描かれる。
 ここポイント。現代の時制の役所と、三年前の清水から見た小松が同時並行で描かれている。映画後半部になるといかにも同時に出来事が起こっているような錯覚を覚える編集をしているけど、清水の出来事はあくまでも三年前のこと。
 でまあ、役所が大学の友だちの高橋愛と森川葵、中学の友達とかに小松の行方を訪ねるんだけど誰も知らず。小松の悪行ばかりが出てくる。で、小松は麻薬に手を出していて暴力団から重要な写真を持ちだしているようで、暴力団やその後ろについている警察幹部みたいな人たちにも狙われているらしい。
 で、ここまではいいよ。役所が暴力団から狙われて暴行受けたり、警察からも追われたり。まあいい。だけどさあ、オダギリジョーって後付だよねえ。何で急に出てきた?検察関係者でありながら殺し屋らしいけど、何で役所と対決する?役所は娘を追っているだけであって、オダギリが娘を殺したとも言っていない。オダギリは急に出てきた上に後付だし戦う理由もない。とこの部分全部無駄。ただ、アクションを見せたいだけ。
 その後、役所は小松がいると思われるホテルに到着するんだけど、何で居場所がわかったかというと写真にホテル名がメモされているから。やっぱりオダギリジョーとの対決無駄じゃん。
 後、最大の無駄が、高校生の清水。映画最後まで清水を描いて思わせぶりに物語が交差しているような作りにしているけど、あくまでも三年前の出来事が平行して描かれているだけだから。最後、殺されるけど、あれ誰?何で殺される?理由が不明で雑。そもそも小松を描きたいのならわざわざ清水の目を通す必要ないだろう。清水自体が完全に無駄。
 ここでこの映画最大のどひゃーが出てくるんだけど。小松は殺されていて、殺したのが高校教師の中谷美紀。警察のオダギリジョーも暴力団も、もちろん三年前の高校生清水も、不良グループのリーダー高杉真宙も、ぜ~んぶ関係ない。自分の娘を不良グループに引っ張り込まれた中谷の恨みによる犯行。何だこりゃ。
 ここからすごいよ。最初から気狂い気味な上、車の中でシャブまで打っているから、雪原で中谷に小松の遺体を探させる。ただただそれだけ。気狂いというのはよくわかるけど、物語に関係ない恥の上塗りが延々と垂れ流される。この監督、キモ太いわあ。
 エンドロールに「Everybody Loves Somebody」が流れる。曲がかわいそう。役所がシャブの注射をしている車の中では松田聖子の「Sweet Memories」、曲がかわいそう。
 色が濃い目で陰影のある映像は見る価値がある。ただし、シャブパーティは技に溺れているのが見え見え。
 カーチェイスでショットが変わると突然横から衝突してくる映像は驚き。ただし、これが三回もありワンパターン。
 それにしても人を描くことに関心がないことがまるわかり。鞄の中にシャブ関係の注射器などフルセットを持っている娘こと小松が、最後まで綺麗なままで死んでいる。清濁あわせた対象として描きたいのかもしれないけど、憧れているのは映画の中の役所と清水だけ。表層的な人物像で飽きる。
 後、役所も不死身すぎて飽きる。彼はあくまでも警備員だよー。

殺し屋役伊原剛志のキャラ設定がぶれぶれ、映画『カラス』

 鹿島勤監督映画『カラス』(1994年製作)を観た。無意味な編集、主人公がバカ、停滞し続ける物語とひどい。
 サングラスの男(伊原)が路上で銃を素早く抜く練習をしている。配役。海の近くの橋の上。取り出す船と男の写真。船が近づくと、伊原、橋の端の欄干に身を隠す。桟橋。男が船から上陸。女を連れている。伊原、駆け寄り撃とうとするも滑って転ぶ。相手が銃を抜くも間一髪先に撃つ。女、命乞い。伊原、桟橋の端まで女を追い詰めて射殺。
 とまあ、映画冒頭のシーンなんですけど、ここまで見てもすでにバカ映画。これから人を殺すのに路上で銃の練習する殺し屋がどこにいるんだ。ただのバカだろう。それも船からすごく目立つ位置に立っている。一般社会でも普通に仕事できない奴にしか見えない。で、射殺の瞬間転ぶし。あ、ドジなキャラ設定の殺し屋なんだろうなあ、と見ていると、何と伊原、腕利きの仕事のできる殺し屋役。キャラ設定が下手すぎて頭が痛くなる。
 その後もまあひどい。エスカレーターですれ違いざまに相手を撃つ伊原。エスカレーターを登ると掃除婦に現場を見られてしまう。で、追いかけて射殺。するんだけど撃った瞬間、歩道橋の上から掃除婦の持っていたバケツが落ちてくる。これが掃除婦を撃ったという演出らしい。射殺の瞬間撮れよ!とだれでも思う。まあ、予算の関係だろうなあ、と思って見過ごすよねえ。だけどさあ、この掃除婦の使っていた言葉が東北弁で、伊原も同郷らしく、殺したことがトラウマになってフラッシュバック。その都度、落ちてくるバケツの映像が繰り返される。バカなのか?本人のトラウマなんだから射殺の視点がフラッシュバックされるべきだろう。なんで、落ちてくるバケツなんだ?なんかもうバカ過ぎるし、画も貧相だし、と見ているこちらが情けなくなる。
 で、仕事の結果を報告すると組長から目撃者を殺したことを注意される。あのー逆じゃないよ、書き間違いでもないよ。組長から注意される。普通逆だよねえ。伊原が目撃者を撃てなくて組長から注意されるならわかるけど、組長が目撃者を殺すなって言うだよ。設定全体が馬鹿すぎてついていけないよう。
 ここから、盗んだシャブの争奪戦が始まるのかなあと期待するも、物語はずーっと停滞。昔の知り合いで連れ込んだ成清加奈子と宮崎光倫との事件前ドリカム状態になり、小学生のような痴話喧嘩が延々と続く。
 目合シーンの撮り方がものすごく雑。ショットのつなぎに意味不明な映像とノイズが入る。映画最後まで見てもこの編集に何の意味もない。ただただ無駄な編集処理。ただただ映画鑑賞を邪魔しているだけ。ダメすぎるこの監督。
 改造銃がダサい。オートマチックの先にチョークくらいの先端が取り付けられているだけ。何のための改造なのかがまったくわからない。
 パシリとしてついてくることになる男(三橋貴志?)が映画の最後まで出てくるけど、何もやってない。出てくる必要もない。ただ、画面に出てくるだけ。
 橋の上のシーンが多い。同じ場所の使い回しか?
 二人で雑巾がけ。湖に飛び込む。とか、もう本当にどうでもいい、監督の自慰行為を満たすためだけのショットが羅列される。
 ラスト、一仕事済ませた伊原がタバコを吸う。顔のアップが別な場所で撮影されたものっぽい違和感のあるショット。銃を路上に捨てて車を出す伊原。映画冒頭から最後まで「これでプロの殺し屋?」という場面ばかりでただただ飽々。低予算とはいえ、駄作すぎる。

追い詰められ耐える高橋惠子が美しい、映画『DOOR』

 高橋伴明監督映画『DOOR』(1988年公開)を観た。ジリジリと追い込まれていく高橋惠子がどんどん美しくなるのがすごい。前半は絶好調、後半に納得出来ないシーンが出てきて白ける。名作になりそこねた残念作。
 タイトルどーん。配役。マンションの外観(SPORTS MAN1?)。ずーっとカメラがマンション内の廊下を移動する。各家のドアを映していく。702号室、本田の前で止まり室内。子ども(米津拓人)と高橋がいる。部屋を出る。高橋、黒いゴミ袋を持っている。ゴミを出して、マンション前の長い階段を降りていく。ゴミ捨て場に人影。子供の迎えのバスが来る。高橋が部屋に戻ると、玄関先に先ほど出したはずのゴミ袋が置かれている。
 とまあ、映画冒頭から絶好調。マンションという人がたくさんいるはずの場所が密室で人付き合いが殆ど無いことを示している。なのに誰かが監視している気配。長い階段も世間と隔絶している印象を与えて非常にうまい設定。
 で、高橋が部屋に戻り家事を始めると勧誘の電話。洗濯物を干すとベランダに電動チェーンソーが置かれている。ドアチャイムが鳴りインターホンの受話器をとると生命保険の勧誘。なかなかひつこい。マンション駐車場に白いジェミニ。チャイムが鳴り高橋がインターホンの前に行くと鍵をかけ忘れたドアが強引に開けられドアチェーンで止まる。男(下元史朗)が顔をだす。「パパ」と高橋。室内がくさいことを指摘して今日がゴミ出し日でないことを示す。「朝出」などの単語で夜勤のある仕事についていることを間接的に説明。
 ここまでで高橋の家族関係、マンション地理的位置部屋の位置、マンション内の人間関係のようすなどが、見事に説明できていて非常に丁寧な作りに感心する。
 で、問題の男(堤大二郎)が登場するのだけど。
 映像的なうまさは俯瞰。マンションの室内が大事なシーンで俯瞰になる。堤が最初に凶暴性を発揮した時、後半の高橋と堤の長い格闘シーンは長回しで俯瞰映像というなかなか挑戦的な撮り方。
 全体的に非常に演出がうまいのだけど、一連の流れが考えられている部分。まず、高橋、交番に変質者(ストーカーとは言っていない)のことを訴える。ここで相手の顔も名前も会社名も知らないことが強調される。場面転換してマンション一階。高橋と堤がすれ違う。高橋の名前が呼ばれ、受付(管理人室?)でクリーニングの受け渡しがあり、二人が同じエレベーターに乗る。この場面は情報戦で男のほうが優位に立っている点がわかりやすく映像として表現されていてうまい。
 ただし、警察で変質者は左手を怪我していることを伝えれば、すむことじゃない?という身も蓋もないことに気がつく。その後もこういう高橋の行動に穴があって、残念なシーンが頻出する。
 堤が高橋を尾行すると、高橋の唇や耳のアップになる。本当に高橋惠子が美しい。惚れ惚れする。
 最初の爆笑シーン。子供に新聞を取ってくるように指示する。子供、ドアの前に行くとドアノブが静かに動いている。新聞受けから新聞が取れない。高橋を呼ぶ(赤いボディコンワンピース、これまた綺麗)。高橋、新聞を掴み引っ張るも取れない。引っ張る取れない。ショットが変わりドアの前。誰かが新聞を引っ張っている。高橋、引っ張る取れない。このショットがずーっと続く。長すぎ。いくらなんでもギャグにしか見えない。
 で、ここから堤の電話攻撃が始まる。高橋、バカだなあいちいち電話に出て話し込んでと思ってしまう。ただし、ちょっとだけ高橋の肩を持つと、ストーカー規制法が成立したのが2000年だったはず。88年といえばまだ犯罪行為かどうかがグレーゾーンだったわけで、一概に高橋の行動を避難できない部分がある。
 それと、描き方が薄くて見逃しがちだけど、高橋の欲求不満を示すような場面がちらっとある。子供には父親を起こすなと注意していたのに、髪をとかしてベッドに入り寝ている夫を無理に起こそうとするシーンがある。ここをさらっと流しているのが残念。ここをねちっこく描いたり、スイミングスクールで男性陣の肉体などを凝視している高橋を描いていれば、高橋が堤の変質的なつきまといにいちいち応じてしまう理由にもなり、揺れ動く女心みたいな面も出てきて重層的になっていたはずなのに、惜しい。
 高橋が水着で水泳シーン。堤の「奥さん綺麗だから」という声をかぶせる。泳いでいる高橋はスロー映像。泳ぎをやめて立ち上がる。スローでもやっぱり綺麗な高橋。
 いろいろあって、堤がナイフを顔先に突きつけて高橋を部屋の奥へと追い詰めていきます。全身真っ黒なファッションで暗い室内。ナイフと高橋の顔だけが浮かび上がる。息遣いと足音のみの音響編集がうまい。追い詰められていく高橋がめちゃくちゃ綺麗。正直、高橋惠子がこんなに美人だとは思ってなかった。
 で、最大のがっかりシーンは、お風呂場でのチェーンソーと肉料理用大型フォーク対決。洋画『シャイニング』からの引用だということはわかるけど、いくらなんでも堤が弱すぎてハラハラドキドキがない。いや、ちょっと笑える。
 いくらなんでも、もうそろそろ警察やパパに電話したら。その音楽、まったく恐怖映画にあってない(漂白剤?を目にスプレーするシーンの音は良い)。ラストの死んだ堤を前に泣くシーンが余分。バスルームの堤は続編のためなのか、これまた余分。と突っ込みどころは後半にかなり多い残念作。だけど、高橋は本当に綺麗。彼女を見るだけでも絶対損はない。

何のための暴力団設定なのかわからん、映画『アウトローズ』

 渋谷正一監督映画『アウトローズ』(2011年製作)を観た。劇場公開はされていないよう。木村一八のキャラ設定が中途半端で飽きる。
 銃にマガジンを入れる木村。タマ取ってくると竹内力の元へ駆け込むも途中職質されて逮捕。うーん、冒頭からトホホな展開。波岡一喜が出所する木村を塀の外で待つも現れず。場面転換して駅構内。男の背中を手持ちカメラが追う。木村の顔のアップ。急に変な歌が入り込んで、オープニングロール。繁華街、コマ送り、猫、夜の繁華街。バーの中。木村が暴れだして、、。
 とまあ、映画冒頭で木村のこれまでの経緯と組同士の関係などが描かれる。手持ちカメラ風の映像を入れたりして頑張ってますみたいな感じではある。
 だけどねえ、その後、話と映像はずーっと停滞する。まず、組事務所同士の関係性を描くシーンで両方の組事務所が出てくるんだけど、ほとんどがソファーに座っているか周りに立っているだけ。まったく動きがない。ほとんど同じシーンの連続で飽きる。
 で、出所してきた木村はやんちゃなんだけど義理人情は通すというキャラ設定。映画冒頭はクールな登場なのに、その後はただただ管を巻いて暴れているだけのノータリン気味。てっきり組み同士の抗争が主題の映画なんだろうなあ、と見ていると変なキャラの城明男が現れてからは木村、浪岡、城の三人の青春物語風なテイストになる。
 その後は散発的にちっちゃい喧嘩が起こって、三人が一人ひとり殺されるだけ。木村が人通りの多い路上で刺されるシーンでは周りの通行人が木村をチラチラ見ているので集中力が削がれる。
 なんか、暴力団の抗争で一つ話を作りましょう、そこに型破りな若いのがいて、二つの組をかき回すっていうのはどうですか、主演は木村で、男同士の友情みたいなものも入れ込んで、いいじゃないすか?というような企画会議が画面から聴こえてきそうな安直な出来。

見るべき点は篠原涼子の透けブラ、映画『アンフェア the movie』

 小林義則監督映画『アンフェア the movie』(2007年公開)を観た。雑ですぐ飽きるし駄作気味。篠原涼子の白いブラウスから透ける黒いブラぐらいしか見るべき点がない。
 犯罪を正確に描くなどということは最初から念頭に入れて作ってないことは丸わかりの映画なので、こちらも気づいた点を適当に書く。
 篠原、眉が太い。変な発声。白いブラウスはいい。トンネルを抜けると少し透けているのもいい。褒める点はここだけ。本当にここだけ。
 占拠された病院にSATの第二班が突入する。案の定やられるわけだけど、後を追ってきた篠原と加藤雅也に気づかない犯人グループ。普通に歩いて病院内に入り込める。あまりのつまらない設定に見る気が失せる。
 犯人が多数いるはずの病院内でずーっと篠原、ハイヒール。かつかつ音を鳴らしながら病院内を移動する。だけど誰も追ってこない。緊張感なし。少しは洋画『ダイ・ハード』の爪の垢でも煎じて飲めば?
 警察内に内通者がいる。だから情報が漏れている。はずなのに、篠原が子どもと感染病棟にいると報告したのに誰も追ってこない。これまでの内通者の件が全然生かされない。
 篠原が子どもと別れやる気になると英語の曲が流れる。駄作の必要十分条件。邦画に無意味で雰囲気だけの英語の曲。
 80億を入金しようとしているのに何故かストップしている。病原菌をばらまく装置の解除の連絡は行なわれていないのに入金をストップしたまま。どうやってもう少しで解除できると本部は知っているのか。知っているのは観客だけなんですけど。設定が雑すぎてまったく手に汗握らない。
 それにさあ、何で病院の地下に地下鉄への通気口があるの?あまりのバカ設定に見るのが辛い。脚本、佐藤嗣麻子。この人の作品は駄作が多い。
 子供、死んだ?死んでない。江口と撃ち合い、当たってないようだけど、撃たれている。こんなんばっかり。見せ方がワンパターン。
 映画ラストの江口のセリフが時代錯誤が甚だしく鼻つまみもの。警察内部の不正を暴いても個人の力ではどうすることもできないと篠原に愚痴るんだけど、その中に「マスコミに潰される」という台詞がある。この映画が作られたのが2007年。あのさあ、ネットに流せるよねえ。今どき、マスコミに頼るほうがバカ。あまりの古臭いセリフに耳を疑う。
 だったらさあ、何で犯人グループの濱田マリはネットを通じて入金させるんだ。ちゃんと銀行の窓口に行って記帳して入金確かめろよ。脚本、佐藤嗣麻子。
 まあ、こんな適当な設定で企画が通り実際に映画が作られて映画館に観に行く観客がいるんだから部外者がどうこういうことじゃない。内輪で小さくまとまって疲弊していけばいいだけの話。

セリフ噛んでるよねえ?映画『外道坊』

 辻裕之監督映画『外道坊』(2011年製作)を観た。劇場公開はされてないよう。詰めの甘いところ多数。本当に見てもいいし見なくてもいい。
 大木が周りに生えた石段。坊主が降りてくる。托鉢僧姿。器にお金を入れてもらい手を合わせられる。都会の中、「なんまいだーぶー」と唱えながら歩く(風で網代笠がゆがんでいる)。公園、木の下に供花する男。托鉢僧が近づくと「お坊さん弔ってもらえませんか」とこの場所で起こった出来事をべらべらしゃべり始める。急だなあ。場面転換して歩いている足のショット。足だけだけど妊婦だとわかる。ここはうまい。回想映像によってどうも妊娠していた妻が薬物中毒の通り魔に殺されたよう。托鉢僧「この花はこうじゅん(?)が好きだった」と後にも先にも拾われない意味不明なセリフを言う。整理されてない感じ。このへんで僧役が小沢仁志だとわかる。
 でもって通り魔が刑期を終え出所したようで急に高架下。出所の映像はなし。被害者の旦那が包丁で刺そうとすと通り魔が土下座。刺すことができず、旦那帰る。それを見た通り魔、捨て台詞。そこへ托鉢僧が現れ、通り魔の首を数珠で締める。で、前世の因果が絵とセリフで説明されるんだけど、前世が古い中国らしく名前が「らりこう」。薬物などで「ラリっる」の語源になったというダジャレ。トホホ。
 でまあ、線路上の歩道橋に場面転換。被害者の旦那が金網に手をかけると誰かが止める。旦那が振り返ると殺された妻。急だし、普通の姿。ある方にお願いして、現れたようです。スモークの中の托鉢僧が腰を抜かしてへたり込んでいる旦那を見ている。タイトルどーん。
 一応、映画冒頭は托鉢僧の力を説明するために事件を一件解決した感じ。本題はこの後のヤクザ山口祥行を中心とした展開。善人側に手を貸さないけど、悪人側の外道は殺害するというパターンを踏襲。中国風の前世の物語を絵とセリフで説明する奇妙な演出もちゃんとやる。
 映画のラストの事件現場。刑事が現場検証しているんだけど、テーブルの上をライトで照らして見ているだけ。何しているのか、とってつけた感ありあり。で、その刑事の顔がアップになり「必ずこのてぃぇでぇてぇほしてみせます」という感じでセリフを噛んでいる。いやはやびっくり。決め台詞なのに、噛んだショットをそのまま使うとは。雑。
 棒立ちシーンが多い。出所シーン、取り立てシーンなどセリフで説明して映像を撮らない。先輩ヤクザの経営する飲み屋の中での話が長い。他の組のチンピラが無意味に入ってきて無意味に刑事が来る。前振りなし脈絡なし。雑。射殺シーン血が出ない。小沢が網代笠をとると普通のおっさん。かなりがっかりシーン。

閉鎖空間と木造校舎が良い、映画『マリア様がみてる』

 寺内康太郎監督映画『マリア様がみてる』(2010年公開)を観た。閉鎖空間の作りかたはうまい。女の園に興味があるならどうぞ。
 セーラー服姿の女達。「スカートのプリーツは乱さないように、」女の声のナレーション。女子校の説明が入るもかなり独特な単語が含まれている。生徒は「ごきげんよう」と言っている。通学路に木が茂り緑が深い。木造校舎(茨城県立土浦第一高等学校旧本館)。外観のデザインに重々しさはない。中庭にマリア像。生徒が手を合わせる。廊下を赤いリボンの女子が歩いている。これが未来穂香。教室内で同級生同士で話しているのだが「ロザリオ」がどうの「スール」がどうたらこうたらと意味不明な単語が頻出し、しばらく置いてけぼりを食らう。
 でまあ、早い話がカトリック系の私立リリアン女子学園で行われる学園祭の劇に急遽出演することになった未来の二週間を描いただけ。その間、三年生の波瑠からソフトレズ関係を求められるも拒否。あこがれの先輩だった波瑠の実態を徐々に知ることになり、晴れてわだかまりなくソフトレズ関係の証であるロザリオをもらってめでたしめでたしというのが伏線というか主線というのか。
 まあ、物語はどうでもいい。この映画で特徴的なのは女の園の閉鎖空間の見せ方。
 まず第一に女子校なので性的閉鎖性がある。第二に、特殊な言葉を頻出させることで言語的文化的閉鎖性が生まれる。第三に学校内だけを撮ることで地理的物理的閉鎖性が生まれている。第四に大人を出さないことで世代年代の閉鎖性が生じている。各家庭は描かないし(劇発表当日ちらっと父兄が映るだけ)、学校の先生もまったく映らない。第五に地理的閉鎖性と階級的閉鎖性の複合技として、白百合会の建物が別館(長野県上田市 旧宣教師館)として準備されている。
 とまあ、あらゆる設定を駆使して自然な感じで物理的心理的閉鎖空間を作り上げている。その努力は成功していて、女達の内部抗争に集中して観客はのめり込めるし、映画最後まで集中力はとぎれない。
 演出でうまい点は、あこがれの波瑠から脚本を手渡された未来。嬉しさのあまり別れ際に前日に習った社交ダンスのステップで自分のクラスに戻る。ここは高校生のうきうきした気持ちと習いたてのダンスの面白さが自発的に出てきた感じが自然に見えてうまい。
 あと、うまいのは暗騒音。床のきしみなど木造校舎や講堂(長野県松本市 松本高等学校旧制)の特徴を生かした音響は独特。校歌や野球の練習と思われる掛け声などが、映像はないのに不意に入り込んだりもする。
 気になった点は物語のラストに準備されている学園祭の劇を見せないこと。演劇の声のみを流して、校舎の外観や人のいないこれまで使われた校舎内をイメージショットのように撮っている。後で、波瑠による状況説明があるだけ。余韻をもたせる手法なのかもしれないけど、見ている方は拍子抜け。準備段階で引っ張ってきたのに(ダンスシーンが多すぎるけど)、肩すかし気味。波瑠のホモ彼碓井将大の話題とかどうでもいいから演劇の成果を大団円として見せてくれ。
 とまあ、映画ラストは手抜きなのか予算不足なのかわからないけど尻すぼみ気味で終了。
 この映画を見たのは中山エミリ似の未来穂香が見たかったから。またもや女子高校生セーラー服映画。
 女の園を描いた映画はつみきみほが出ている1990年版『櫻の園』と福田沙紀の出ている2008年版『櫻の園』がある(どちらも2014/2/1掲載)。見比べるとわかるけど、いろんな点で『実写映画 マリア様がみてる』は小さくまとまっている感じがする。

中村雅俊がお人好しというよりバカ、映画『この愛の物語』

 舛田利雄監督映画『この愛の物語』(1987年公開)を観た。結婚の設定が雑すぎて中村雅俊がただの馬鹿に見える。見てもいいし見なくてもいい。
 タイトルどーん。「今から、十年前」の字幕。病院。看護婦役のもたいまさこに「姉は大丈夫ですか?」と問う学生服姿の近藤真彦。場面転換。路上を集団で走るバイク。追いかけるパトカー。オープニングロール。パトカーの中に中村雅俊。峠路で集団の先頭にカメラを積んだ車が入り込む。ここで、この暴走行為が映画撮影だとわかる。広場、映画関係者多数が待ち構えている。駐車場からの断崖にパトカーとバイク(根津甚八)が爆発炎上しながら落ちていく(追いかけていたパトカーが先に落ちるのはスタントの安全性のためか?)。カメラが撮り続ける。
 修理工場兼スタントマン事務所を経営する中村。中村の同僚に根津がいて後輩に近藤。中村は、妻の和由布子と根津の間にできた子供を育てている。和は近藤の姉。とまあ、複雑な人間関係の集団の中にお手伝いとして藤谷美和子が入り込んできて一波乱あるというのがお話の筋。
 なんだけど、お話の設定上重要な中村と藤谷の結婚の前提がものすごく雑というか適当というのか意味不明レベルのつまらなさ。独身の中村の所に独身の女が働きに来ただけなのに、周りが(特に三上寛)結婚しろとけしかけて結婚式の準備までし始める。
 それで何かしら二人の間に起こるのかといえば、何も起こらない。普通に藤田にはお手伝いさんとしての仕事し車の修理をしときどき中村の育てている娘と話をするだけ。中村と藤谷が二人っきりで話すシーンは一か所しかない。それで、中村も結婚する気になっていく。中村がいくら女を知らない設定といえども、バカ過ぎる。
 案の定、映画ラストで近藤と藤谷が結ばれることになるんだけど、「そうだろうねえ」としか言えない結末。中村と藤谷がひかれあうシーンが前振りとして描かれていれば、そりゃあ恋の行方にハラハラどきどきもするけど、藤谷に中村と近藤を天秤にかけたり心の葛藤なんかないし、中村も二人のキスシーンを見ながら父親然とした表情で祝福している。恋愛の描き方が無茶苦茶下手くそ。
 スタントマンの役をしている俳優のスタントをしているというややこしさがあるけど、スタントシーンは迫力あり。バイク、車、火薬は大量。ヘリまで出てくる。ロケ地は八丈島?ただし、映画後半部のスタントシーンでは急に合成画面になり興ざめ。
 スタントマンの映画といえば『イン・ザ・ヒーロー』(2015/4/14掲載)がある。不思議なことにどちらの映画も映画後半部の撮影は長回しにこだわっている。長回しには「挑戦」という意味合いが含まれているんだろうかあ。観客には関係ないし、実際、二つの作品とも長回しで撮ってないし。
 ちょっとキレた映画監督役の原田芳雄が面白い。「くだらんメロドラマ」とか「これからは身体の動く女が女優にならんといかんなあ」とか観客の気持ちを喋ってくれている。
 病院の大部屋内で他の患者がちゃんといる点は良い。

落ち武者+ゾンビ+女子高生の神格化、映画『山形スクリーム』

 竹中直人監督映画『山形スクリーム』(2009年公開)を観た。思っきりバカバカしいので期待しなければ気楽に見れる。
 トンネルをボンネットバスが抜ける。バスの中に女子高生と思われる女四人(成海璃子、桐谷美玲、紗綾、波瑠)。ナレーションが入って八百年前に場面転換。洞窟(トンネル?)の中を甲冑姿の沢村一樹と成海、そこへ竹中直人が現れる。BT、バスの中。成海の独白。派手な衣装の女。付き添いの先生でマイコ。歴史研究会の合宿で御釈ヶ部村を訪れることに。
 邦画を見ているとつくづく思うのだけど、本当にみんな女子高生、セーラー服が好き。ここに出てくる四人は一度もセーラー服を着替えることがない。セーラー服で旅館や木造校舎を逃げ惑う。セーラー服でチェーンソーを武器に落ち武者と戦う。成海が寺の中で「やっていることはコスプレ」という指摘はかなり鋭い。邦画の多くがセーラー服というコスプレを魅せるために作られているよう。
 映画のラストは一年後になり御釈ヶ部村フェスティバルが開かれる。成海は関係者と輪になって踊り、舞台上では桐谷、紗綾、波瑠の三人が歌っている。やっぱりセーラー服。で、マイコは、というと。長髪、青黒い顔のまんまで踊っている。つまり、ゾンビの記号を残したまま生き残ることに。女子高生は無傷な上に制服姿で普遍。大人のマイコは死んでゾンビとして再生するも一年後も後遺症を残している。女子高生の神格化。宮崎アニメの性の匂いのしない少女たちと共通するものを感じる。

性的世界観の完成度が素晴らしい、アニメ映画『妖獣都市』

 川尻善昭監督アニメ映画『妖獣都市』(1987年公開)を観た。性を介在させた世界観は良く出来ている。おすすめ。
 雲か霞か、間からかいま見えるビル群。「理屈では説明できない」と屋良有作の声でナレーションが入る。カフェバーになり男がバーテンと会話。スーツ姿の客が滝蓮三郎。トイレに女。女が出てカメラ(視点)が下がると赤い爪の手が横たわっている。で、女の部屋へ滝。すぐに尺八。目合(まぐわい)。いやはや急な展開にこちらがうろたえていると、女の手足が伸びて滝を羽交い締め。滝、振り解きジャンプ。女は蜘蛛のような体型になっており、股間に牙が生えている。いやはやもうこちらの想像力を上回る世界観にあっけにとられ、ここから映画最後まで集中力が途切れることなく一気に観た。
 とにかく感心するのは統一された世界観。不可侵条約、休戦協定、闇ガード、魔界の女、二つの世界、抵抗障壁、傭兵空間の固着、霊的処置、霊法コーティング、五千年の戦い、など、単語のみでもワクワクする。二つの勢力があり停戦状態にあること。頻出する性的表現に何かしらの意味があること。主人公がサラリーマン風で感情移入を優しくしていること。SFではなく怪奇ものに重きをおいているので世界観が古臭くなるのを防いでいること。などなど、非常にうまい作り。
 一見、画は『ボビーに首ったけ』(2014/8/8掲載)を思い出した。川尻の仕事を見ると、まあ若い頃にお世話になった名作が目白押し。そういう意味では古典的表現といえるかもしれない。
 麻紀絵は『バンパイアハンターD』(2014/4/29掲載)、ジュゼッペ・マイヤートとは『うる星やつら』の錯乱坊(ちぇりー)を思い起こさせる。魔界のMr.影が再生するときは巨神兵風だし、滝が教会を立ち去る後ろ姿はケンシロウ風でもある。
 面白い演出、見せ方は多い。滝の持っている銃。射撃後の反動が非常に大きいのだけど、その表現として、金網を背にして撃つと、金網が人型に凹む。壁を背にして撃つと壁に人型の亀裂が入り壁が凹む。壁ごと崩れる場合もある。銃の威力の表現でありながら、間接的に滝の超人的肉体の表現にもなっている。
 性的表現はかなり頻繁で過激。麻紀絵が裸で捕らえられている。メデューサのように紐状のものが多数でてくる魔界の化物。その鎌首が麻紀絵の口の中にズゴズゴと入り込んでいく表現はイラマチオの暗喩。悪の組織の赤いドレスを着た女の腹が縦に裂けると完全に女陰の形。中に入ってきて、と誘う女の声と喘ぎも加わり、もう暗喩どころかそのまんま、目合以外に考えられない。
 後、表現で面白かったのは蜘蛛女に襲われてなぶられるシーン。爪で切り刻むショットを描かずにだらんと垂れ下がった手のみを撮して、次第に血が滴り落ちてくる。このへんは映画的な描き方。
 とまあ、これだけ世界観の完成度が高いのに、ラストに関係性の逆転と性的表現の理由が語られる。うーん、さらに一捻りあるとは。いやはや、練りに練られた脚本(長希星)。
 87年のアニメなので画が若干古臭く感じる点と、滝の独白による説明が多いかなというきらいはあるけど、独特で完成度の高い世界観と練られたストーリー展開は必見。おすすめ。

雄大な風景は久しぶりの大画面向け、映画『許されざる者』

 李相日監督映画『許されざる者』(2013年公開)を観た。大画面向けのロケ地の風景が美しい。お話は想定内。
 ストーリーはと説明しなくてもわかっている通り洋画『許されざる者』がそのまんま舞台を北海道に移したと思えばいい。クリント・イーストウッドを渡辺謙、モーガン・フリーマンを柄本明、ジーン・ハックマンを佐藤浩市がやっている。
 残念ながら洋画を見てしまった人には物語展開上の面白みはない。良きにつけ悪しきにつけ、想定外は起こらない。だったら見る価値はないのかというとそうでもない。
 まず、ロケ地の美しさが圧倒的。日本で西部劇風の映像が撮れるのは北海道のみだろうなあと思わせる説得力が画面から伝わってくる。久しぶりの大画面向け。
 為政者側に弾圧される対象としてアイヌが取り上げられている。渡辺の妻がアイヌだし、賞金稼ぎの仲間になる柳楽優弥はアイヌと和人の合の子。映画前半にアイヌの村人を弾圧するシーンもある。口琴(ムックリ?)風の音色も出てくる。
 ラストの格闘シーンはそこそこ魅せる。佐藤が割りとあっつけなくやられるのが拍子抜けだが、格闘後の酒場兼女郎屋の大炎上は印象的。ただなあ、柄本の死体アップはいらないのでは。
 見終わるとわりにあっさり気味な感じ。あっさりしている原因は遊女たちの境遇があまり描かれていないため。規制を気にしてなのか遊女への暴力シーンは薄味で、賞金をかけてまで殺す説得力がない。物語の動き出しがそもそも低空飛行気味。
 柳楽と忽那汐里に後を託して渡辺は殴りこみに出て行くわけで、その後、二人で子供たちの家を訪ねる。急に忽那のナレーションになりこの地に住みますみたいなことになるけど、渡辺と忽那と柳楽、この三人そんなに仲良かったけえと思えるほど。風呂敷のたたみ方は強引。

俳優が独特、話は相続詐欺?映画『さよならドビュッシー』

s-さよならドビュッシーブログ用
↑橋本愛のつもり。

 利重剛監督映画『さよならドビュッシー』(2013年公開)を観た。重要な仕掛けが雑で飽きる。見てもいいし見なくてもいい。
 タイトルどーん。庭が見える。子供が腰掛けて、そばに熊谷真実。「玲子様がおつきです」。タクシーから降りる家族。子供二人が家の中へ、二階に登ると絵をまき散らしている男(山本剛史)。夜になり離れに行くとおじいちゃんとしてミッキー・カーチスがいる。とまあ、一応、舞台になる屋敷と家族構成の説明を済ませている。
 けどねえ、24億の遺産がある家には見えないんだよねえ。もう少しちゃんとしたロケ地を準備して欲しいところ。外観もほとんど見せないし、内装は急造の一般住宅風。落ちてくるシャンデリアも安っぽいしと美術関係は貧相。こういう所に金をかけてもらわないと説得力が乏しい。例えば、映画『細雪』(2015/3/16掲載)の日本家屋のゴージャス感。それだけで見る価値が出てくる。
 話運びは急な展開が多く雑。急に相楽樹の両親が行方不明。急に火事が起こりミッキーが死んで、相楽も死ぬ。だけどねえ、普通、火事に気付いたら逃げるでしょう。ぼーっと火事の中に立っている二人(橋本愛と相楽)。焼け死ぬ前提の演出が幼稚。
 目だけが大写しになって全身包帯。もうやけどということになっている。病院搬送シーンもなし、病院での対応シーンもなし、ものすごく安直。さらに手術はすぐ成功して元通りの顔(橋本)に。またまた手術シーンはなし。見せ方が適当。というよりも脚本が適当なのでここを描くと辻褄が合わないことがまるわかり。
 橋本、病院でピアノ演奏会。コルサコフの熊蜂の飛行を演奏するんだけど、何とドラムとベースの音を付け足す。音楽が重要な映画で画面に出てこない楽器が付け足されるとは、それもクラッシク音楽に。笑える。まあ、橋本の演奏シーンをごまかすためになんだろうけど、真剣に撮る気持ちはさらさらないことがまるわかり。
 途中、橋本へ危害を加える仕掛けが施されていてサスペンス風になる。で、刑事まで出てきて長いアリバイ調べ。ピアノ教師の清塚信也も家系が警察関係ということで、この映画はサスペンスなのかと思っていると、肩すかし。ただの付け足し。ピアノとまったく関係なし。
 でまあ、ついにピアノコンテストの本選の楽屋で橋本が真相を打ち明けるんだけど、これがひどい。そんな事でごまかせるのか?やけどの大手術だとすると皮膚の移植も行なわれるはず。それで血液型とか調べないわけ?そんなに日本の病院って雑だっけ?
 さらに最初に秘密を告白したのは橋本の母親(相築あきこ)。雨の中、相築、教会の前の階段ですべって転んで大怪我ってことになっているんだけど、どうやって大怪我したのかは「案の定」撮らない。すでに落ちている。倒れている相築。この監督、大切なところは撮らないという奥ゆかしい方みたい。
 月の光を弾いている橋本、演奏中なのに急に立ち上がる。トイレに行きたいのかあ?と思っていると橋本泣いている。どうも感極まって立ち上がっての演奏らしい。あのー、椅子を低くすると演奏しやすくなるという清塚からの前振りあったよねえ?ジャズピアノじゃああるまいし、そんなに楽に一等賞取れるのかなあ。
 相楽は遺産の条件があるからピアノ演奏をしているとするとなりすましだし、死んだ親戚の子供のためだとするとそれは罪滅ぼしのため?だってピアニストは以前に諦めていたわけだし。それに根本的なところで遺産の相続権はもともとあるんだから身元ごまかす必要性がそもそもない。
 良い点はというと、まず、俳優陣が独特。清塚信也がはまっている。素人っぽいのに奇妙で独特で何かしらありそうなミステリアスでもあるしと、非常に目を引く。演技力があるのかどうかはわからないけど、この映画についてはキャステイング勝ち。
 後は、次男の山本剛史。何だこいつ、と思わせるインパクトあり。自己中でわがままで無職。いそうだなあというキャラを演じている。後は、サエキけんぞうや芹澤興人もいい味出している。
 夜はちゃんと暗い。ホール下見のシーンでは深いホールエコーがかかる。
 結局、音楽が撮りたいのかサスペンスを撮りたいのか、ものすごく中途半端。清塚信也は一度は見ておいたほうがいいほど個性的。

異国人風メロドラマ部分が邪魔、アニメ映画『EX MACHINA』

 荒牧伸志監督アニメ映画『EX MACHINA(エクスマキナ)』(2007年公開)を観た。色んな所がほどほどで丸くなってしまった感じ。
 円形の物体が空に浮かんでいる。カメラ(視点)が物体の下に回るとトマホーク状のミサイルであることがわかる。だけどなあ、これがスピード感なくて飛んでる風に見えない。アニメ表現の何か大事なところを失っている感じ。
 未来社会の説明がナレーションで入ってからの、ES.W.A.Tの登場。街なかの通りに飛行体が降りて、中から女の兵士?が出てくる。このへんの人の動きはモーションピクチャーによる処理なのだろうけど、やっぱり不自然でかっこ悪い。
 とまあ前作『APPLESEED』の違和感はそのまんま引きずっている。外人風の顔立ち変な名前に八頭身のスタイルな上に今回は西洋風メロドラマまで投入されて、SFアニメに求められているものを完全に外している感じ。前作はお化けの話に収斂するどっちらけな内容だったし、なんか連続してピントがずれている。
 ゾンビ風になったり、『天空の城ラピュタ』のラピュタ崩壊のパクリシーンがあったり、結局男女数が旧ドリカム状態(事件を起こす前の三人)になるなど、百年以上未来の話のわりに庶民的。
 ジョン・ウーがかんでいるからなのか白い鳩が飛びまくります。音楽は細野晴臣。アルバム『S・F・X』の頃を思い出させる音が入っている。

地縛霊未来穂香が古風で可愛い、映画『江ノ島プリズム』

 吉田康広監督映画『江ノ島プリズム』(2013年公開)を観た。雑な設定が散見される。今一つ。
【悪い点】
 野村周平が病人ぽくないし、病気が描かれていない。だから、福士蒼汰が助ける行動が弱く見える。
 本田翼が留学を隠す理由がわからない。後、手紙に託す理由も不明。あくまでも本田個人の問題。
 上記二つのことから言えることは恋や成長へのハードルが限りなく低いので福士が乗り越えたとしてもカタルシスが小さい。
 後、タイムトラベルまたはタイムリープの扱いが曖昧。パラレルワールドの話をわざわざしているのに福士が二人いるシーンがある。トイレのシーンはまったく不要。
 時空移動が簡単に何度でもできるという設定はアニメ映画『時をかける少女』(2014/3/1掲載)の影響か?『江ノ島プリズム』の場合、タイムトラベルに回数制限が設けられてないので、ラストを見せられても「また過去を改変すればいいじゃん」と思えて緊張感がない。ここの設定も下手。
 プリズムで光を屈折させて教室内に光を映し出すシーン。「すっごい綺麗」と言わせているけど、実際の映像がちゃち。俳優が盛り上がるんじゃなくて観客にそう思わせろ。
 花火の後、野村が本田を追いかけて校内を走っている。心臓病はどうした?設定が適当。
【良い点】
 地縛霊と呼ばれるタイムプリズナー未来穂香の設定と登場が非常にいい。時空間に囚われの身というSFテイスト満載。ハードルが高いのはこっち。描くべきは福士と未来穂香の関係の方。
 図書室内で流れる校内アナウンスがサラウンドする。
【総合】
 福士の性格設定と行動は違和感なく面白い。それに比べ野村の病気と本田の留学理由がはっきりしない。周りの人物の描き込みが薄くて、福士、一人がドタバタしている感じ。
 福士が未来穂香を助けだすとか、未来穂香が嫉妬で福士を時空間に閉じ込めるとか、本田が死んでしまう未来を創りだしてしまうとか、未来穂香の側に立つといろいろな展開が湧き出してくる。観客が見たいのもこちらの方なのでは?
 高校生がタイムトラベルする恋愛映画というと前出のアニメ映画『時をかける少女』、映画『時をかける少女』(2014/2/18掲載)、『タイム・リープ』(2014/5/30掲載)と名作がある。ここに食い込んでくるのはなかなか簡単なことではない。

出会うと大変という琉球語、映画『OUTRAGE』

 北野武脚本編集監督映画『OUTRAGE(アウトレイジ)』(2010年公開)を観た。俳優の幅を広げるキャラ設定、ギャグの封印、北野作品なのに最後まで楽しめる。
 この作品、見たのは二度目。やっぱり印象的なのは俳優陣。暴力団役をやって来なかった人ばかりで、非常に新鮮。
 まず最初に坂田聡に観客も騙される。気弱な顔と暴力団の顔の使い分けが非常に印象的。
 椎名桔平は甘いマスクながら暴力的。警察署前でのタバコの投げ捨てシーンの前振りと二度目の展開は非常にいい味。
 化けたと思えるのは加瀬亮。以前見た時は俳優にうとかったので誰だか気が付かなかった。神経質そうな経済インテリヤクザという独自のキャラをやりきっている。うまい。
 三浦友和は悪役もしっかりこなせる幅の広さ、ふてぶてしさも出ていてイメージチェンジは立派。
 小日向文世、石橋蓮司、國村隼は老練。与えられたキャラをきっちり演じていて、実にいそうな感じ。
 小日向のマル暴としての能力高すぎ(犯罪をもみ消す能力)とか、グバナン大使がオマヌケとか突っ込みどころもあるけど、映画への集中力を途切れさせるほどではない。
 ちなみに会長(北村総一朗)宅は沖縄ロケらしい。やっぱり映画タイトルは「会うとでーじ(大変)」のダブルミーンング。うそ。

官僚化している毛利菊枝が見どころ、映画『ぼんち』

 市川崑監督映画『ぼんち』(1960年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 タイトルどーん。オープニングロール、ビルの壁、歩く人々、煙突、グリコの看板、配役、映画の看板、歩いている男(中村鴈治郎)。家に入る。家の中に男が二人と仏壇。市川雷蔵が中村をもてなす。家の奥から上女中頭のお時(倉田マユミ)が出てくる。で、市川が中村に過去を語りだし、過去の回想に場面転換する。
 裸で立っている市川、天花粉を叩かれしめこみ(またはふんどし)着物を着せられる。そこへ二人の着物の裾から足のみの映像。早足。部屋にはいるときは女中が座布団を準備してから入る。市川の母役山田五十鈴と祖母毛利菊枝。この二人が市川の女遊びをなじるところから始まるのだけど、映画最後までこの構図が続く。
 四代?続いた船場の足袋問屋。三代も養子をもらっていたものだから女系家族化していて女がものすごく強い。その代表が毛利。ポットン便所の便器の中に竹をさして何かしている毛利と山田。市川と結婚した中村玉緒の生理の確認をしているところ。←なかなかすごい場面。
 女系家族化=しきたりという官僚化も進んでいて、二号さんに産ませた子供への対応などにも決まりがある。
 でもって家制度というハードルを乗り越えて成長していく市川が描かれると思いきや、意外にそうでもない。
 というのも、市川のキャラ設定が中途半端な感じ。市川、祖母と母親に首根っこを押させられて反発するのかとおもいきや、別に普通に生活もし仕事もしているようで、さらに女遊びもするし、みんなから咎められることもない。だから、家を背景にした個人をないがしろにする毛利の設定が生きてこない。空振りな感じ。
 女に溺れるほど破綻していないし、仕事はちゃんとこなしている(ことになっているけど、描かれる場面はものすごく断片的)。はっきり言うと、ものすごく普通の人にみえる。市川も画として取っ掛かりがない俳優だし。
 空襲の後の焼け野原はちゃんとそういうふうに見える。荒廃した感じもかなりいい。
 ラスト、回想から現実の市川の家の中に戻る。まあ、そいう家に生まれるとそういうこともあるかもね、といった程度の感想。老けた倉田の正面映像で終わるけど、映画内で倉田が市川を心憎く思っていたなんて前振りもないので、ものすごく付け足しの感じ。

No sex is no life、映画『愛のコリーダ』

 大島渚脚本監督映画『愛のコリーダ』(1976年公開)を観た。死の予兆と爆笑シーンは必見。
 タイトルは知っているけど、見たことない映画の代表のような本作。やっと見ることができた。公開当時は性器が写っているかどうかで騒がれ映画の内容に興味はなかった。今見ると色んな所が色々と面白い。
 まず、話題の性器表現。モロ写ってます。すてんきゅうもホトもちゃんとはっきり映ってます。けど、なにか?ッて感じ。
 Windows95が出て20年。ネット上に裸の写真や動画が星の数ほど拡散しているのに、全世界で平和のまま。わいせつ物を取り締まる理由の人身の乱れも性的乱れも起きていない。っていうか、逆にセックスレスの方が問題で、マイナスに乱れる方向へ向かっているのは明白。
 で『愛のコリーダ』なんだけど、性描写方面のインパクトは、当時はすごかったのかもしれないけど、今となってはどうということはない。殿山泰司や藤竜也の玉茎(はせ)が見れるという点でお宝かも。という程度。目合シーンを撮ればそりゃあ映るでしょう、見えるでしょう、という感じ。
 じゃあ何が面白いのかというと全体の雰囲気とラストへかけての死の予兆。
 まず、映画冒頭から外人が見た日本みたいな感じ。日本髪、背の高い枕、着物裾から見える赤襦袢、白い締め込み、などなど日本テイストがすごく強調されている。製作国にフランスがかんでいるのも関係しているのか。
 後、出てくる女優が誰も可愛くないし美人じゃない。はなっから美人に撮ろうとか美しく撮ろうとかという気はない感じ。
 性的な「演出」はエログロ気味。生理の血を舐める、芸者衆の前で目合う、芸者の一人を裸にして鳥の形をした張り形を挿入する、藤竜也の男根をつかんで歩く、女中がいても目合う、女中も襲う、しいたけを股間で湿らせて食べさせる、ゆでたまごを宝味(ほうみ)に入れる、陰毛を食べる、子供の裸、子供の魔羅をつかむ、などなど。
 後半は死への前兆のオンパレード。首絞め目合に始まり、老女との目合。校長に言われる「死んだネズミの臭い」。藤がすれ違う軍隊の行進、包丁をくわえての目合、両手首をひもで結んでのひもで首絞め目合、とエスカレート。徹底しているのは後半は女性上位の騎乗位スタイル。
 爆笑シーンは70分頃の老女との目合。藤と松田英子の部屋へ老けた芸者が来て三味線をひく。歳を訊ねると68。しばらくして松田の提案、藤と老女に「やってみないかい?」。三味線の手を止め固まっている芸者越しの藤のショット。藤も固まっている。観客も固まる。間が長くて静止画のよう。爆笑。藤、抱きます。終わると死んだように横たわっている老女を前に松田が藤に向かって「お前さんも真っ青」。と言いながら死んだ親の話をする。笑いがブラックすぎる。
 ラストは棒を切るのはしょうがないけど、玉まで切り取るとは。無残。泣き。こちらの股間までヒリヒリ痛む。

いっそ小林薫をハサミ男にすればあ、映画『夏の終り』

 熊切和嘉監督映画『夏の終り』(2013年公開)を観た。ただただつまらない。見てもいいし見なくてもいい。
 奥行きのある通り。古めかしくて戦後しばらくしてといった風情。男の背中。顔は見えない。相澤という家を訪ねる。家の中に小林薫。女が帰ってくる。満島ひかり。「木下くんが来たよ」。何か意味深な笑い。知り合いらしい。タイトルどーん。火鉢に手を当てる満島。型紙のようなものにシンプルな模様のデザイン画。染付の型紙(この時点ではわからない)。配役。俳優の名前の横に染付風デザイン。なかなかセンスがいい。
 と、思われるのはここまで。まあ、主要登場人物は木下(綾野剛)と小林と満島の三人だけ。これがしばらく見ていても関係性が全然わからない。まあ、意図的だと思うけど説明映像やセリフがないので小林と満島は親子なのか、若い奥さんなのか、綾野は何者、と引っ張りまくる。ただし、わかったところで、小林は作家で実家があり奥さんもいるので満島は二号さん。満島は過去に夫と子供がいたのに、綾野と何かしらあって別れたっぽい。で、今になってもごにょごにょしている。というだけ。
 内容は糞つまらないけど、映像表現はちゃんとしているし独特。照明はかなり力が入っている。室内の陰影の強い映像は絵画のよう。昼間の室内がいつの間にか夜のようになるシーンもある。
 他にも独特な表現がある。綾野の部屋で満島が寝ていると、小林が手を握る。カメラが下に移動、テーブルを通過して満島の寝ている映像に戻ると、小林はいない。現実なのか満島の夢なのか、はたまたもしかして小林はハサミ男かあ?と先読みしてしまったけど、その後、特に何もなし。
 あと、満島が帰ってきた港のシーン。綾野が立ち去ると満島以外の背景が静止する。そこに小林が現れる。やっぱり小林はハサミ男だ。と思ったけど、その後、特に何もなし。
 満島が振り返ると月夜の棚田。その風景が染付風文様になり、揺れてのれんになる。と、幻想的。
 満島は額に縦の青筋は浮いている。また、雨の中、綾野の部屋の前でホラー映画のように立っているショットはすごい。
 いやはや昨日は映画『ノルウェイの森』(2015/5/18掲載)を見てしまったし、何で金とエネルギーを使ってこんな糞つまらないだらけた男女のごにょごにょを映画にしなければならないのか理解不能。二つの映画に共通するのは泣くシーンが多いこと。勝手に泣くのは構わないけど、まず観客を泣かせ、バカ。

女優による邦画史上最多の言葉責め、映画『ノルウェイの森』

 トラン・アン・ユン脚本監督映画『ノルウェイの森』(2010年公開)を観た。松山ケンイチがもてすぎて退屈。見てもいいし見なくてもいい。
 タイトルどーん。1967年と出る。大学紛争や大遠具小道具の美術関係は細かく準備されている。
 松山ケンイチと高良健吾の高校生姿。こういうのを見ると萎える。むりくり高校生に仕立てあげたのがまるわかり。
 この映画全般に共通した見せ方が映画冒頭で出てくる。松山と高良がプールバーにいる。ビリヤードに興じているらしく動いて構える二人を交互に撮っていく。だけど、ビリヤード台は絶対に映さない。球を打っているシーンは全くない。この後、すべてこの手法。松山が女と目合うシーンが多数出てくるのだけど、裸なし。腰振りなし。邦画にありがちな首なめ問題発生。体位は正常位のみのワンパターン(一部、菊地凛子が上位になるシーンはあるけど目合ではない)。
 男女の会話は、なにすかしているいるんだこいつら、っていう感じ。時代もあるけどさあ、ものすごくつまらない。
 それに比べると、卑猥な言葉責めはすごい。邦画史上最多かも。勃起、硬くなっている、開かない、出してあげようか、手で、あれを、そそり立ったのを、マスターベーション、今度ポルノ映画に連れて行ってくれる、生理、やりまくり、どうして濡れないのかしら。いやはや書いているこちらのほうが恥ずかしくなってくる。
 ストーリーはかなり楽。みんなすぐ自殺してくれるし、松山と寝たがるし、何か背負っているみたいな感じで語るのだけど、二股も抵抗なさそうだし、ただ気狂いなだけだし、言っていることとやっていることは別。その上、この女二人(菊池、水原)の注文がいちいち多くてうざい。
 山道を徒歩でしかいけない精神病院?もすごい。岩場で泣く松山など、終末感はたっぷり感じられるので、これがディストピアSFだったらいい線いけたのではないか。

吸血鬼もシートベルト、映画『ヴァンパイア・ストーリーズ CHASERS』

 後藤光監督映画『ヴァンパイア・ストーリーズ CHASERS』(2011年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 前編と思われる『ヴァンパイア・ストーリーズ BROTHERS』(2014/11/28掲載)はすでに見ている。独立している作品ではあるも、前編でごにょごにょしていた吸血鬼兄弟の葛藤とかが下敷きとしてあるので順番よく見ないと意味不明な点も出てくる。
 映画冒頭の河原のバーベキューシーン。正直言うと、あ、これ見たなあ、と映画鑑賞終了にしようかと思ったところで、ヘッドホンの女(田中れいな)が出てきて、こんな奴いたかあ、としばらく見ることに。
 200年生きているというアサギ(牧田哲也)の家、外観は古そうだけど、室内は現代的。外装と内装がちぐはぐ。
 牧田、吸血鬼なのにシートベルトを閉める。律儀。200年生き抜いてきた知恵だろうなあ、目立たないように。切符切られたら大変。
 映画全体に言えることだけど、車の撮り方、特に発進シーンはとても下手。緊張感まるでなし。吸血鬼なのにコンビニから車出すときも左右ちゃんと確認している感じがして間がすごく長い。200年生き抜いてきた知恵。交通事故起こしたら大変。
 にんにくを食べていたはずなのに次のショットでおにぎりになっている。つなぎミスとは言わないけど、庶民的過ぎて吸血鬼らしさまるでなし。前作であれほど描かれていた血への欲求がほとんど描かれない(コンビニの女店員を見る眼差しだけ)。
 連れて行かれるところが倉庫ばかり。いくらなんでもワンパターンすぎる。田中が馬場徹の口をハンカチのようなもので押さえ気絶させるシーン。馬場が倒れ画面下に消える。画面に残った田中が右下を見ながら語りかける。え?そこに倒れたっけ。不自然すぎる演技と位置関係。見せ方、雑。
 ラストの加藤和樹、牧田哲也、馬場徹の対決。加藤と牧田が戦っている横で馬場、倒れた田中とおしゃべり。緊張感まるでなし。田中、孤独な女の設定の時には良かったけど、しゃべりだすと演技が下手なのがばればれ。
 と、突っ込みどころは多いけど、良い点は。
 馬場の馬鹿キャラと本人の雰囲気がよくあっている。ロンドンブーツ1号2号の田村淳似の牧田は謎な感じといい言いたいことを飲み込む感じといい、なかなかいい。

駄作のひずみに飲み込まれる、映画『時空警察ハイペリオン』

 畑澤和也監督映画『時空警察ハイペリオン』(2009年公開)を観た。理由は分からないが「旅立2009」「決着1989」に分かれている。まあ、わかれていようがいまいが稚拙で小学生向け。
 「旅立2009」は映画冒頭、ひっきりなしに登場人物が出てくる。関係性が意味不明な上、時代背景もほとんどわからない。30分過ぎてもまだ新しい登場人物が出てくる。ただただ困惑するのみ。で、その後も続くのだけど、とにかく説明に入ると全員棒立ち。さらに説明がほとんどセリフ。もう、駄作の必要十分事項を満たしすぎ。説明映像が下手すぎて何が起こっているのか、登場人物は何をしたいのかがまったくわからない。
 じゃあアクションシーンに何かしら新しさが見られるのかといえば、そんなこともなし。素手で戦っていても、変身しても特別強いというわけでもない。ただきぐるみになっただけ。
 「決着1989」になるとほとんど説明セリフの上に棒立ち。ただただつまらなくて画面の前で困惑する。長い長い説明セリフ棒立ち演技がやっと終わり、ラスト、主役二人が合体していざ悪と対決!と思ったら、何と決戦を描かないで女のナレーションで結果を説明。斬新すぎて画面の前で時空のひずみに飲み込まれたのかと思った。多分駄作のひずみというのをこの映画は発生させたのかもしれない。
 和田三四郎はガタイが良くて憎めないおじさん顔。演技も普通で他の映画でも行けそう。森久保祥太郎はひどい。演技指導でそいう風に言われてやっているのかわからないけど、変なしゃべり方でニヒル風。これが顔と全然合わない。違和感ありすぎて、未来から来たから変な演技なのか?とこちらがいぶかるほど。いや笑える。その他の出演者も素人とどっこいどっこい。
 必要のないギャグみたいなものが入り込んだり、テレビドラマ『探偵物語』の松田優作テイストを入れ込むけど最初だけだったり、挟み込み方が単調な上うるさすぎる音楽だったり、重要施設に入り込めたのにお茶を飲むだけとか、戦う前にその銃みたいなもので撃てと思ったり、と、突っ込みどころは数限りない。
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グブリー川平(かびら)
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