2014年11月後半観たおすすめ邦画

2014年11月後半観たおすすめ邦画
 2014年11月後半観た邦画は30本。

『WOOD JOB!~神去なあなあ日常~』監督矢口史靖、2014年公開、11/27掲載
 調査した結果を映像化する手腕は伊丹十三を思い出させる。『ヤッターマン』(11/25掲載)と見比べると性的笑いの扱い方の違いがわかるはず。

『しとやかな獣』監督川島雄三、1962年公開、11/17掲載
 団地に住まう家族四人の生活が描かれるだけ。カメラが団地の外にでることはラストまでない。のに、最後まで見続けられる牽引力が奇妙な家族にはある。セリフまわし、カメラの位置の工夫など、見るべきところは多い。

【次点】

『幕末太陽傳』監督川島雄三、1957年公開、11/21掲載
 遊郭をグランドホテル形式で描いている。多人数の動きや関係性などの描き方はうまい。ただ、フランキー堺の動機とラストの行動が今ひとつわからなかった。川島は別なラストを予定していたらしい。そちらのほうがはじけた映画となっていたのでは。

『武士道残酷物語』監督今井正、1963年公開、11/23掲載
 日本人の盲目的かつ従順な性格は武士道精神が培ったものであるという皮肉が素晴らしい。映画の形式も良く出来ている。だが、特攻隊の場面で戦闘機のデザインが現代の飛行機に塗装しただけにしか見えないのが大きなマイナス。重要な場面だけに非常に残念。

『赤ちょうちん』監督藤田敏八、1974年公開、11/24掲載
 物語といい、映画としても普通。当時の過剰な演出と演技で凡作ではある。のだが、映画後半、ベッドの上に佇む秋吉久美子を見ると映画の意味が変わってくる。青春映画ではなくホラー映画としてリメイクすれば名作になるはず。

【期待はずれ】

『ゴルゴ13』監督佐藤純彌、1973年公開、11/20掲載
 イランとの合作、イランオールロケ、主人公高倉健。面白くなるのは間違いないと思い見ると、全てがマイナス。高倉が神経質で卑怯な人物にしか見ない。演出も雑。ロケ地ももったいない使い方。物語も盛り上がらず。

『鈍獣』監督細野ひで晃、2009年公開、11/21掲載
 脚本宮藤官九郎ということで期待して観た。ひどい。べろべろばあーのギャグを連打するという初歩的ミス。NHKドラマ「あまちゃん」はまぐれだったのかな。

栗原小巻のポロリあり、映画『忍ぶ川』

 熊井啓監督映画『忍ぶ川』(1972年公開)を観た。栗原小巻の可愛くて美しいショット多数。ファンならどうぞ。
 学生役の加藤剛が忍ぶ川という小料理屋に勤めている栗原小巻に惚れて、結婚するまでを描く。
 昔の映画にもあったのだなあ、恋愛映画のすごい設定。加藤の実家はキチガイの家系で自殺や金の持ち逃げをする兄弟が出ている。栗原の実家は神社のお堂の軒先に住み着いたという。現代の邦画の難病や不幸対決恋愛映画を笑えなくなる。
 加藤剛が詰め襟の学生服姿で出てきた時には老けすぎて呆れたけど、一応、後で説明があるので辻褄はあっている。
 栗原の出ている映画を初めて観た。可愛くて綺麗。更におっぱいポロリもあって、加藤に吸われている。ドキッとした。昔の女優さんは需要をちゃんと満たしていたんだあ。
 映像としては、雪国の雪の量が半端ない。日本間での所作がじっくりと美しい。結婚式風景で三三九度を描いている。三掛ける三で九なんだ。映画は勉強になる。
 栗原の子供の頃のエピソードは不気味でコワイ。子役も謎めいている。
 ラスト、初夜の描写が長いこと。かもめ?の乱舞もはさみすぎ。
 最初志乃役に吉永小百合を予定していたらしいけど、破談になったのだとか。映画『天国の駅』(10/17掲載)で津川雅彦からもっとひどいことされていたからなあ、当時吉永はまだ目合(まぐわい)解禁ではなかったのかな。

コメディ設定が邪魔な残念作、映画『SF サムライ・フィクション』

 中野裕之監督映画『SF サムライ・フィクション』(1998年公開)を観た。うーん、ギャグ部分が不要。
 竹林の中を木刀を振り回す吹越満。吹越による独白。日本刀のアップ、障子越しの殺陣のシルエット。雲の中の青い空が見える浮遊するようなカメラの視点。吹越の独白。デジタルカウンターが減っていく。素晴らしい映画冒頭。音楽もかっこいい。と、ものすごく期待して観たのだが、、
 海岸沿い布袋寅泰の歩き方がかっこ悪い。刀を差しているのに現代的な歩き方。
 殺陣はカッコイイ部分と下手な部分が混在している。
 谷啓の登場から雲行きが怪しくなる。映画を二時間、ちゃんと撮る技術がないからギャグに逃げている可能性がある。例、映画『罪とか罰とか』(9/26掲載)。
 布袋に持ち去られた将軍家の宝刀を取り返すために、まず先発隊複数名、吹越を合わせた三人、忍びの者二人、が布袋を追う。となると、宝刀を巡った争奪戦が開始されるのかとおもいきやさにあらず。映画は停滞していく。
 まず、吹越と同行した二人、かなりクローズアップされた取り上げ方で布袋を追いかける場面が多いのに、その後まったく物語に絡まない。この二人、いるか?
 吹越は風間杜夫に助けられ風間と緒川たまきの厄介になる。そこでやるのが山菜採りと石を投げる練習。俳優陣が豪華なだけに、演技の才能を無駄遣いしているようにしか見えない。
 一方、布袋は街をぶらぶらして夏木マリに厄介になる。布袋の生活も描かれるのだけど、大したことは何もやっていない。何のために宝刀を盗み出したのか?意味不明。
 で、まあ、ラストは喧嘩両成敗のような中途半端な終わり方で宝刀も戻りめでたしめでたし。
 映画冒頭で「SF」と大写しにして後、デジタルカウンターの巻き戻し画面を出してSFぽさを演出。見終わるとSFに何の関係もないただの時代劇でありSFはサムライ・フィクションの頭文字なだけだったというオチ。いる?そんなこと考えている暇があるなら脚本もう一度検討してはどうだろう?
 編集と音楽に独特な技を持っているのに、時代劇と俳優陣を生かし切っていない残念作。脚本がダメだとどうやって撮ろうと映画はダメ、というのは本当だ。

川周辺をぶらぶらするだけの主人公、映画『多摩川少女戦争』

 及川中脚本監督映画『多摩川少女戦争』(2002年公開)を観た。糞つまらない。
 ビニールを口だけで剥がし魚肉ソーセージ?をむさぼる女(小野麻里矢)。タイトルどーん。一応、こいつが主人公なんだろうなあとわかる出だしではあるのだけど。
 その後出てくる設定と演出が糞つまらない。なんて表現しようかなあ、少し金のかかったままごとあそび。自分たちの仲間同士で盛り上がっている映像を見せられているような、ただただ迷惑な感じ。監督の自慰的物語と映像で劇場公開するとは肝が太い。
 アクションがしょぼい。河原の決闘?は笑えます。みんな手ぶらです。ジャージ姿だから運動会でも始めるのかな?アクションシーンなのにショットを切らずに遠くから望遠で撮っているだけ。三池崇史のアクションシーンと比べると雲泥の差。比べるのが失礼か。
 いくつかの集団の中で色々起こっているように見せかけているけど、基本主人公は川の周辺をぶらぶらしているだけ。何が目的なんだか。映画『天使がくれたもの』(11/1掲載)『赤々煉恋』(11/25)とどちらも高校生がただぶらぶらしているだけの物語だった。日本の女子高生は映画関係者から相当に暇だと思われている。
 死ぬシーンまでうるさい。ぎゃぎゃさわぐのが演技ですかねえ。
 平岩紙は独特な存在感。
 人生の中の貴重な103分をドブに捨てるつもりならば、どうぞ。

猫背で寒そうな男女二人の逃避行、映画『ペルソナ』

 樫原辰郎脚本監督映画『PERSONA(ペルソナ)』(2008年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 ストレッチャーに乗せられた女(山崎真実)。MRIのようなものに入れられる。苦しむ山崎。夜道を走る。すごい跳躍力。ここまで短いショットを重ねてスピーディーに見せる。場面転換、荻原聖人が公園のベンチに座っていると山崎が現れるも男たちに捕らえられる。山崎は去り際に荻原の名を呼ぶ。
 とまあ、なぞめいた出だしで映画のつかみとしてオッケー。面白くなるかな、と思ったのもつかの間。
 映画が本編に入ると演出がかなり雑というか低予算感が半端ない。山崎に施術するシーンでは、山崎がストレッチャーの上で苦しんでいる演技をしているだけで、周りの小道具が何も準備されていない。音を「ビリビリー」とかぶせてあるだけ。LISという謎の組織があるようなんだけど、施設の玄関が小さな普通の病院の雰囲気。荻原が夜中に忍び込むのだけど、普通に手ぶらで入り込める。
 山崎と荻原が二人で逃避行になるのだけど、全く話が転がらず停滞。編集のテンポもすごく悪い。見ていていらいらするほど。
 山崎の演出と演技もちゃんとつけてあげればいいのに。山崎本人と入れ替わった鈴木砂羽と強い時と気分の悪い時の境界線が曖昧で、見ている観客方が「今、山崎は誰の演技でどんな状態なんだけっけ?」と確認するくらいに、キャラ付けの演出が下手くそ。
 荻原の性格もなあ?弱気で猫背気味。まあ、映画全編わたって同じキャラクターで通しているので、一貫性はあるのだが、山崎が調子悪いと二人揃って猫背でとぼとぼ歩いている姿がかわいそうというか貧相にしか見えない。冬の風景の中で山崎の薄着も寒そうで見ていられない。
 荻原と山崎を助ける医師たちがみんな後付。
 折角、妻の精神が若い山崎に乗り移っているのだから男なら当然その肉体を味わおうとするでしょう。描かないんだねえ。何たる怠慢。山崎が嫉妬して荻原の前で自ら裸になるとかさ、いくらでもサービスショットは作れるじゃん。なぜやらない。何たる手落ち。
 ラストは、関係者集合の大立ち回り。邦画にありがちな、周りの人たちが棒立ちで見ているだけ問題も発生。
 ペルソナになると肉体が強化される理由がわからないし、肉体と精神が分離できるという機能と構造の分離の話も飽き飽きする。映画『四日間の奇蹟』(11/27掲載)も同じ問題を取り上げていて駄作だった。
 機能と構造が分離しているのは対象物ではなくて観察している我々の方だから。その視点が入り込まない作品は根本的に駄作です。

吸血童貞物語、映画『ヴァンパイア・ストーリーズ BROTHERS』

 後藤光監督映画『ヴァンパイア・ストーリーズ BROTHERS』(2011年公開)を観た。退屈。
 若い男女による河原でのバーベキューシーン。安っぽい画。映画『殉霊鬼』(9/5掲載)などに通じる安っぽさ。
 森のなかで男たちに追われる黒ずくめで犬歯の尖った男(加藤和樹)。アクションシーンがある。
 吸血鬼の血筋に生まれた兄弟(柳下大)がその後の生き方を選択する話。育てた家の妹(鈴木愛理)を交えた三人だけの場面が多い。家の中、公園、建設途中のビルの中、と、世界で数少ない吸血鬼の家系というわりに話しの規模が非常にこじんまりしている。
 アクションシーンで少し動きがあるも、基本は棒立ちか座ってだべっているだけで監督の名が光るの割に演出に光るものはなし。
 吸血鬼というのは首筋にかぶりつくことで生死を司るわけで、つまりは目合の暗喩なわけだけど、この映画で表現は淡白。近親相姦、同性愛っぽいイメージショットはあるものの至って淡白。吸血鬼映画なのに吸血シーンがお座なり。やる気なし。
 それよりも頻出するのは泣きシーン。特に弟の柳下はいつもめそめそ泣いている。兄の加藤もお前がいないと何のために生きていくんだよう、と泣いている。吸血鬼って意外に女々しくて涙もろい。
 吸血童貞物語とタイトルを改めたほうが最もわかりやすい。

犯人を逮捕しない間抜けな刑事二人、映画『悲しき天使』

 大森一樹脚本監督映画『悲しき天使』(2008年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 車の中の二人、運転席に岸部一徳、助手席に高岡早紀。男女間の会話をしている。不倫?車に男が近づくと、岸辺が高岡の上に覆いかぶさる。男女の修羅場か?と思わせておいての実は刑事の張り込み。お、意表をつく出だしでなかなかうまい。銃で三発も撃たれた死体が発見されて、死体の男(峰岸徹)の息子を取り調べ、真犯人の追跡が始まる。
 髪がボサボサで左右のバランスが崩れている髪型の高岡は演技の幅を広げるための新しい試みかな、と期待。
 とまあ、こう書いていると意外に面白そうでしょ?私も真剣に見てましたけどねえ、映画の半分くらいまでは。
 岸部と高岡が別府に行って張り込みの準備まではいいのだけど、そのあとはダレるダレる。メインは筒井道隆の生活を張り込みによって描くのだけど長すぎる。その上、岸部と高岡の身の上話まで挟み込まれるものだから話がずっと停滞。ここからずーっと映画は右肩下がりになる。
 物語もかなり強引。まず、犯人(山本未來)がなぜ筒井に会いに来ると確信しているのかがわからない。その言い訳のような説明はあるけど、地元警察に任せるべき仕事では?
 特に理解不能なのが筒井の奥さんの河合美智子。「私の幸せは那美さん(山本)のお陰です」って涙ぐんでいるけど、山本は筒井の元カノなだけで、河合と山本は初対面。山本が筒井と別れたから私(河合)が筒井と出会えたって、世の中みんなそうだよ。脚本の都合で登場させただけ、もっともいらない登場人物。
 すごいのはホテルに山本が潜伏しているのがわかっているのに、筒井の社会的立場を危うくするからと逮捕せず、岸部と高岡は筒井の経営する旅館の見張りを続ける。バカなのか?この二人の刑事は。逮捕しないのもバカだけど、張り込むのはホテルでしょ!犯人がいるんだから!
 80分頃には峰岸と筒井と山本の三人が出会う都合のいいシーンが回想される。その上、筒井はスケボーに踏まれて足を骨折。ビミョー。映画だから。
 ラストもものすごくしょうがない。空港の廊下で逃げる山本と高岡が鉢合わせ。お互いに距離があるのに立ち止まるんだよねえ。おかしくない?だって高岡は写真で顔知っているけど、山本は高岡と初対面だよねえ。なんで立ち止まるんだ?
 銃を持っているはずの山本(途中で海に捨てたけど高岡は知らない)と高岡が抱きあう。ここでも逮捕しない。
 銃を持っているはずの犯人には「止まれ」と言って銃を抜くのが映画的に当たり前でしょう?映画の中でさんざん見せられた、高岡と山本がお守りのようにして銃を抱いて寝るシーンの前振り映像はどうするんですか?
 脚本家と監督が間抜けすぎる。あ、脚本・監督大森一樹だ。大森、間抜けが二倍二倍。

邦画600本目は、映画『WOOD JOB 神去なあなあ日常』

 矢口史靖脚本監督映画『WOOD JOB 神去なあなあ日常』(2014年公開)を観た。面白い。
 受験に失敗した都会の男(染谷将太)が、林業研修パンフレット表紙写真の女(長澤まさみ)に惹かれて応募。厳しくも温かい田舎の生活と仕事にもまれて成長する姿を描く。
 あー、なんか、珍しく映画紹介風の文章を書いてしまった。しかし、そんな気にさせてしまう映画。
 いやー、まず、染谷のやる気ない感がうまい。特に素晴らしいのが、それが最後まで持続すること。平凡な映画ならやる気になってマッチョな男になる姿を描きそうだけど、そんなつまらない描き方を矢口はやらない。染谷の眠そうな眼を見るだけで感情移入できる。
 ダメさを表現するために田舎の駅でスマホを水没させるのだが、その水没先が、、うまい。何気ない画なんだけど田舎ならありそうで見事。
 更に伊藤英明の木こり姿の溶け込みもなかなか。手鼻をかむチェーンソーの扱いふんどし姿と、伊藤演技もそつない。
 脇役ですごいのはマキタスポーツ。もうどこから見ても現地の人としか思えない。この人だけは演技はいらない。
 で、前から言っていることだけど、やっと実力が現れ始めた優香。はじけ気味の演技でなかなか頑張ってますねえ。少し痩せて見えるのが残念だけど、虐げられても子供を守る母性の代表としての役が来れば優香は絶対に爆発する。
 映像的にも見るべきものが多い。自己撮り風全面固定映像の使い方。木を切り倒すシーンはドキュメンタリーのような緊張感がある。これは必見。GBS計測、アルミ製のはしご、軽トラに三菱のワンボックス4WD、など、矢口映画だけに綿密な下調べも怠りない。
 映画の中の特徴的な演出は性的イメージの頻出。映画『ヤッターマン』(11/25掲載)が投げやりな性的イメージだったのに対して、『WOOD JOB 神去なあなあ日常』は原始的職業が持っている子孫繁栄の思想が、ちゃんと反映された性的イメージで素直に笑える場面となっている。
 染谷の足への雄犬の腰振り攻撃、伊藤と優香夫婦の家族計画表、染谷が長澤の持つ水槽を受け取った時に広げてしまうコンドームの束、最大の見せ場、巨木男根(NHKラジオ第一「すっぴん」で矢口が巨木は作り物と発言していた)と巨大わら製女陰とのジョイント、「後ろになんか当たるんですけど」by長澤、など、生活に根ざした性的笑いが頻出する。
 山の神秘性と山の禁忌を表現した幻想的なエピソードは前振りも効いていて効果的。ただ、その後のマムシに耳を噛まれる件はやりすぎ。
 巨木を切り倒す前の祝詞の中に「くぐぬち」という琉球語のような発音がある。
 英語の曲がかかる邦画は駄作という断定はこの映画に関しては撤回。
 染谷が、森の水を飲めるようになる、トラックの荷台で歌えるようになる、など、染谷の成長を映像として挟んでいる。染谷が自分の意志で職場を選ぶことになる間接的な表現のラストはちゃんと成長物語になっている。おすすめ。

 極私的事柄だけど、この作品でブログに掲載した邦画は600本になった。

偶然が多すぎて笑える駄作、映画『四日間の奇蹟』

 佐々部清監督映画『四日間の奇蹟』(2005年公開)を観た。駄作、あまりにも偶然が重なりすぎて笑える。
 施設で働く真理子(石田ゆり子)が高校時代に好きだった先輩で元ピアニストの敬輔(吉岡秀隆)と娘として育てている千織(尾高杏奈)を呼び寄せる。施設で演奏をさせるも、事故が起こり真理子が死ぬまでを描く。
 隅々まで光の行き届いた映像と泣かせるためのわかりやすい過剰な演出で、まあ、つまらない映画だろうなあ、と思いながら見ていると、案の定そうだった。のだが、ストーリーは泣かせ映画のありがちな設定が散りばめすぎていて笑えるレベル。その上、そのどれもが未消化。すごい。
 まず、敬輔が海外でも活躍するピアニスト。この時点ですごい確率。選ばれし者。で、銃撃戦に巻き込まれる。で、左手だけを撃ちぬかれる。すごい確率。で、後で、西田敏行の台詞にあるんだけど、敬輔に行われた手術はうまいらしい。これもかなりの確率。で、銃撃戦で助けた千織がサバン症候群な上、ピアノの才能がある。すげー確率。
 とまあ、ここまで書いてきてすでにすごい奇跡的確率でゲップが出そう。真理子に呼ばれて行った施設で、真理子と千織が遊んでいると風車に落雷があり風車は落下、真理子の背中に刺さる。この場面だけでもすごい確率。偶然のてんこ盛り。
 だけどだけど、ここで真打ち登場。なんと、千織に死にかけた真理子の精神が乗り移るんですねえ。あまりの出来事に笑ってしまった。一瞬、この映画はギャグ映画でまじめに見ている俺が間違っていたのか?と自分自身に問いかけたくらいのカタルシスがあった。
 いやー、すごい。常識のある大人はここまでの脚本は架けないよ。
 精神乗り移り後の最初のシーンが千織の股からの出血。真理子の同僚の未来(中越典子)が「はじまったの?」と普通に生理を問いかけている。あのー、サバン症候群ていう設定で精神の乗り移り未来はまだ気づいていないですよねえ。なんで、普通の会話しているの?
 精神と肉体の入れ替わりといえば『転校生』(1/28掲載)『クソすばらしいこの世界』(7/9)『秘密』(9/11)といろいろあって映画の定番。洋画なら『ヒドゥン』か。
 とまあ、恐ろしいほど隙だらけのストーリーなんだけど、映画としては真剣に作られているのでトンデモ感が半端ない。
 「千織ちゃんすごいですね」「如月さんは立派」、敬輔の手術の出来栄え、など、映像として見せないでセリフで説明する。駄作あるある。敬輔が施設を訪れるとき施設の駐車場にちゃんと止めないのも邦画あるある。例、『着信あり』(10/27掲載)、駐車スペース二台分を一台で使用する。
 で、話はまだこれくらいでは済まされず、この映画の最大の欠点が58分頃から現れる。
 真理子の精神が乗り移った千織。真理子の過去を敬輔に語り出す。実家が旅館の息子と結婚、子供が産めなくて離婚、など。施設の部屋や周りを散歩しながら話しているんだけど、千織役の尾高が真理子役していた石田にすり替わるんだよねえ。
 おい、おい、おい!あのさあ、映画なめてない。つまりさあ、映画の醍醐味というのは騙し騙されなわけじゃない。観客はそこを納得して映画館に金払うわけだし、映画製作者はいかに観客をだますかに心血を注ぐわけだ。
 なのに、尾高の演技を石田に差し替えたら映画の最大の面白みがなくなるでしょう。年少の尾高が年上の女性に入れ替わったことで、どのように変化するのか肉体的にも精神的にも、そこを演じて見せてこその女優であり、映画なんでしょう。バカなのか?監督は?製作関係者は?
 更に欺瞞なのが映画が人のつながりとか愛とかを大事にしているように見せておいて、その実、全く大事にしていないし、むしろないがしろにしている。
 というのも、危篤状態にある真理子の姿がチラッとしか映らない。特に問題なのが、敬輔の行動。危篤状態の真理子のベッドに佇むことが一度もなくて、ずーっと千鶴と一緒のシーンのみ。
 吉岡、少女を連れ回して散歩したりピアノ弾いたりしているロリコンにしか見えない。臨終の日時がわかっているならベッド脇にちゃんと付き添え。バカ!
 とまあ、介護施設の老人も病人も寝たきりの人も出てくるけど、キレイ事ばかりで、肉体は汚いものとして排除しているのはまるわかり。養老孟司風に言えば「脳化」した映画。精神性なんて一番気持ち悪い。
 

映像と音はシンクロさせない、映画『ELECTRIC DRAGON 80000V』

 石井聰互脚本監督映画『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年公開)を観た。実験映画といったほうがいいと思う。視聴者を選ぶ。
 ストーリーは有るようなないような。少年が鉄塔に登り感電、「ヤツの龍が目覚めた」ということで、少年の暴力性が発現。成長するとボクサー?こと浅野忠信になる。ボクサーになっても暴力性は止まらず、ペット探しの仕事をする。
 顔の右半分が黄金色と思われる(モノクロ映画だから)仏の仮面、左半分が永瀬正敏。街なかの電波を受信している。盗聴器発見業者というか電気工事士のようないでたち。パラボラアンテナの手持ちはありえない。
 永瀬は二つの人格が葛藤するようで一人芝居をしている。映画『ヤッターマン』(11/25掲載)では阿部サダヲが一人芝居をさせられていた。役者は大変だ。
 で、二人は電圧対決。という話。うーん、別に辻褄も因果関係も結論もない。実験映画だから。昔から「君の瞳は10000ボルト」と言いますから電気に対する畏怖と憧れがあるのかな。
 特徴的なのは映像と音の関連性を極力廃していること。例えば道路が映り車が走っていると自動車のエンジン音を入れるよねえ。そんなのは入れませんこの映画では。入れないどころか無音の場合もあります。登場人物の口の動きとセリフは連動しません。ていうか独白はあるけどセリフはほとんどありません(映画冒頭部の子どもたちだけ)。
 それどころか、浅野はエレキギターを弾くことで暴力性を発散させるのだが、弾く指の動きと音楽も一切連動しません、あいません。
 と、まあ、かなりアバンギャルド。見ても見なくてもいいと思うけど、永瀬の半分仏コスプレは似合いすぎていてタイの観光CMとかに使えそう。
 全くの余談だけど、エレキギター弾く姿って自慰行為をしている動きに似てません?俺だけ?だからバンドとかがエレキを一生懸命弾いている姿見ると笑けて来るんだけど。

やっぱり野川由美子と成海璃子は似てる、映画『春婦傳』

 鈴木清順監督映画『春婦傳』(1965年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 物語は中国北部、娼館の売春婦(慰安婦?)からみた旧日本軍像。この設定は映画『独立愚連隊』(2/14掲載)など中国北部に侵攻した日本軍を描くには定番の設定。ただ、『春婦傳』はあくまでも売春婦野川由美子の視点で物語は進む。
 中尉役玉川伊佐男が上半身を前後に移動させて影の部分から光の部分へ出入りする映像はうまい。映画『地獄の黙示録』のマーロン・ブランドを思い出させる。
 野川の泣くシーンとか、舞台劇のようなオーバーアクションが邪魔。オーバーすぎて演出と演技の意図が不明。
 集団を守るためでは何でも許されるという旧日本軍の無能さを描くことに異論はないけれど、その反動として敵方の中国八路軍は天国みたいな描き方は短絡的で幼稚。
 情報化社会になりいろんなことが明るみに出てくるので、左翼の中国北朝鮮社会主義国天国論は少ない情報からの盲信であり、所詮宗教だったというのはご承知のとおり。
 日本社会党が情報化社会の進展に反比例して支持率が落ちるのは上記のことをよく裏付けているし、日本共産党が何時の世も支持率に変化がないのは公明党と同じく盲信が招く宗教だというのもまた裏付けている。
 まあ、左翼から右翼まで盲信している時点でレベルは低いけど。
 映画『肉体の門』(11/17掲載)に書いたけど、野川由美子と成海璃子ってまったく同じ表情するんだよねえ。不思議。

投げやりな性的イメージ、映画『ヤッターマン』

 三池崇史監督映画『ヤッターマン』(2009年公開)を観た。見てもいいし見なくてもいい。
 この映画にちゃちゃを入れても野暮だろうし、いまさらまじめに見る人もいないだろう。二時間とにかく暇なら見てもいいし見なくてもいい。
 ここまでCGを使われるといろんなことがどうでも良くなる。CGによって省かれるもの、デジタル技術によって間引かれるものが考えることや知覚することを怠惰にする感じ。
 期待していたドロンジョ役深田恭子の肌の露出が少ない。この程度で騒ぐ邦画界はすでにマッチポンプに成り下がっている。
 一人芝居二役で気を吐いている阿部サダヲに見入ってしまった。
 散りばめられた性的イメージにクスっとさせられる。世の中から徐々に消えるものにバチンコ屋の看板からパが消える件は消したいあるある。
 三池の多作も才能の浪費のような気がしてきた。

街なかをふらついている女子高生、映画『赤々煉恋』

 小中和哉監督映画『赤々煉恋(せきせきれんれん)』(2013年公開)を観た。さすがにこの内容では失速気味で薄味。
 団地の外観、町並み、部屋の中に女子高生(土屋太鳳)、母親(秋本奈緒美)が食事を運ぶ。互いの会話はない。制服姿で町中を歩く。かばんは持たない。団地の玄関上で佇む土屋を睨む乳母車をおす女(吉田羊)。
 7分ごろ、虫男が現れてこの映画が『ハサミ男』(4/17掲載)『パーマネント野ばら』(5/5掲載)の手法で撮られているということが明らかになる。ただし、最初から種明かしがされていて『ハサミ男』『パーマネント野ばら』のような見える人と見えない人を観客の視点で区別するようないやらしい手法ではない。
 土屋の死後の視点からの回想が始まる。うーん、ここが弱い。自殺する動機が非常に薄い。たったこれだけのことで引きこもりになり自殺する?ここで感情移入できないために、土屋が街をふらふらしている暇な女子高生にしか見えない。
 心配したとおり映画中盤はダレる。種明かしも済んでいるし、他の人物との接触もできないとなると、物語がかなり限定される。英語の曲がかかり(邦画駄作あるある)イメージショットの連続になる。PVのよう。
 りんごと名づけた幼児が出てきてから少し盛り返す。りんごといい乳母車の中の子供といい、面構えがしっかりしている子役を選んでいる。
 土屋の幽霊の設定はかなり大雑把。通過するものとしないものの区別が適当。厳密にしたから面白い映画になるともいえないけど。神は細部に宿るとも言うし。
 土屋太鳳、古風な顔立ち、声が蓮佛美沙子そっくり。
 ラストは改心というか懺悔というものがあって幕を閉じるわけだが、やっぱりねえ、薄いなあ。
 死後の世界から見た私小説のような形式になっているけど、自殺の動機に感情移入できないから、死後をいくら綿密に丁寧に撮っても、学校に行かないとやることも行くところもないただのふらふらしている女子高生でしか見えない。

武田鉄矢+格闘技=奇妙、映画『刑事物語』

 渡辺祐介監督映画『刑事物語』(1982年公開)を観た。作りは意外に丁寧、ただ武田の性格設定に難有り。
 公開当時、ハンガーによるヌンチャクが有名になった。
 片山刑事こと武田鉄矢、映画冒頭から勤務地移動。女(有賀久代)を伴う。うだつのあがらない風を装いながら、事件を解決する姿を描く。
 のだが、うーん、武田に格闘技の設定がよくわからない。シリーズ化されているということはこのキャラクターが人気だったということか。今の目からすると奇妙にしか映らない。
 というのも、標準語でしゃべるとき、方言で話すとき、取調べ中、格闘技の時、と、バラバラな感じがして別人格のよう。設定のせいなのか武田の演技のせいなのか。二枚目なの三枚目設定なのか中途半端な感じがする。
 更に奇妙なのは、移動先で立てこもり犯を格闘技で取り押さえるのだが、事件解決後、同僚が全くこのことに触れない。その後も暴力事件が続くのだが、一切同僚は触れず。それに比べトルコ風呂の感想は聴きたがる。
 格闘技がなぜ強いのかどこで習ったのかなどの武田の氏素性が機密扱いのようで、奇妙。
 引っ越してきて自由な身であるはずの有賀が狙われている理由も何なのか?よくわからなかった。
 海での青い水着というサービスカットや、別の女性でおっぱいポロリなどもある。
 笑い担当として樹木希林を配役。雑誌に出ている高倉健の写真を切り抜いたり、ラストに登場する高倉健を追いかけたりする。
 ラストは有賀の設定と自立を含めた悲恋になっていてうまい。
 ここで終わればいいものを脚本に武田がかんでいるものだから、映画の終わりは武田の説教臭いセリフで終わる。なんか台なし。有賀はこのつんぼ役のあと芸能界を引退したという。邦画の中には下手くそな女優がいっぱい生息しているのにもったいない。

ローズマリーの赤ちゃん?映画『赤ちょうちん』

 藤田敏八監督映画『赤ちょうちん』(1974年公開)を観た。普通に見るとつまらない作品だけどホラー仕立てにしていれば名作だったかも。
 高岡健二と秋吉久美子が出会い、引っ越しを繰り返しながら子供を育てる物語。と、話は単純。
 アパート取り壊しのために大家から引っ越しを迫られている高岡。嫌がらせで部屋の中をめちゃくちゃにされると広場に出て前転。なんで?マスターの義眼を飲む。なんで?意味不明の演出がこの後もたくさん出てくる。
 友人が逮捕されるシーンもひどい。ビール瓶割ったり、逮捕前にカウンターに座ったり、殴っている姿が相手を撫でているようにしか見えないなどなど、下手くそすぎる。
 古臭い演出も多い。他人の目合を見ると恥ずかしさの表現として手で目を押さえる。他人の失敗を指さして笑う。など。
 長門裕之の登場も意味不明。大家が勝手に鍵を開けて長門を部屋へ通す。その後居候。友人三人で長門を叩きだすのなら初対面の時に腹をたてるのが普通の行動だと思うけど、非常に不自然。
 駄作に偶然がありがち。坂を動き出した乳母車を危機一髪助けたのが兄貴だった。うーん、その後、その兄貴の活躍の場はなし。このシーンと兄貴いる?
 妊娠した秋吉の膨れたお腹の位置が上すぎる。映画『Miss ZOMBIE』(10/13掲載)で走る妊婦のお腹が詰め物だとまるわかりだった。
 と、まあ、普通に見ればつまらない退屈な映画。だけど、後半、ベッドを買い込み化粧をした秋吉は不気味。あ、この映画は精神疾患患者の物語だったんだと気づいてからは別の見方ができて面白い。映画『ローズマリーの赤ちゃん』風に撮れば傑作になっていたはずなのに非常に惜しい残念作。
 個性的な大家の登場。特に悠木千帆(現・樹木希林)が二人に乳母車を進めるシーンは出色のうまさ。とり電感(というアレルギーに似たものという説明、あくまでも精神的なものという断りもある)という特殊な秋吉の設定。家賃支払の行き違いという些細なトラブルの挟み込みのうまさ。引っ越しを繰り返す設定もうまい。で、最後の最後に化粧をした秋吉がベッドの上で鶏をむしゃむしゃ食う姿は前振りも効いていて名シーン。
 この『赤ちょうちん』はホラー映画としてリメイクすれば絶対名作になる。世界へ向けてジェパニーズホラーなんて自慢しているんだからバカ恋愛映画ばかり作らないで古い邦画も発掘してよ。

日本人の犬的従順精神の根源、映画『武士道残酷物語』

 今井正監督映画『武士道残酷物語』(1963年公開)を観た。皮肉が効いていて面白い。
 救急車から病院へ運び込まれる女性(三田佳子)。男(中村錦之助)が駆けつける。枕元に置かれていたという手紙。男への別れを告げる遺書。
 悔やむ男は過去を振り返る。生まれ故郷信州で見つけた日記(独白は日誌と言っている)。自分の先祖を振り返り始める。で、ここから六つの物語が語られて第七話で現代の病室に戻るというオムニバス形式。ただしあくまでも日記を読むことによる映像化であって字幕などで物語を区切っているわけではない。全話とも主人公は中村が演じている。
 各話ともお殿様にどのように仕え忠義を果たしたかが描かれる。第二話、殿様の死の後追い自殺(切腹)、介錯人が部屋から出てくると、子供が笑っている。素晴らしいセンス。
 第三話は男色殿様への忠義。中村、年齢と顔がでかいので今の目からすると若干無理がある。殿様の側室(岸田今日子)と関係してしまい中村、(魔)羅斬りの刑。悲しすぎる。
 第四話が壮絶。百姓を鋸挽きの刑(準備が詳細に描かれる)に処するような残酷お殿様。その殿様に目をつけられた中村、娘(松岡紀公子、現・松岡きっこ)と妻を取り上げられ、自分の手で○○を殺めることに。前振りがちゃんと効いていて切ない。それでも中村、お殿様に意見したとということで殿様の刀で忠義の切腹。上司がバカだと犬死にですな。
 気持ち悪いのは第五話。明治になっているのにお殿様に忠義を尽くそうとする中村。婚約者を寝取られても怒りを発散せず、婚約者をまた差し出す始末。時代が変わったのに骨までしみた忠義という名の奴隷根性は抜け切れず。支配する側からされる側までただの馬鹿。
 第六話に出てくる戦闘機。エンジン部分、三本車輪など、どう見てもセスナとか現代の小型飛行機を塗装しただけにしか見えない。
 第七話で現代へ戻る。痛い目にあいながらやっと中村、自己実現に目覚める。
 いやはや、皮肉が効いていて面白い。なるほど、これだけ時代の布石があるからこそ、国内に他国の軍隊が駐留していても多幸病者のように毎日笑顔でいられるんだねえ日本人は。乞食根性奴隷根性は国民性だったんだね。
 

ただダラダラしているだけの男女、映画『バージンブルース』

 藤田敏八監督映画『バージンブルース』(1974年公開)を観た。つまらなくて退屈な上駄作。
 予備校の女子寮にいる秋吉久美子。集団万引きを発見されて逃亡生活に入る。ラーメン屋の店員にかくまってもらい、宿泊と飯の世話をしてもらう。食事はラーメン屋店員が出前をごまかしたもの。迷惑をかけまくるのだけどお返しはなし。とりあえず秋吉はバージンという設定になっている。
 次は、長門裕之。長門は店を妻に押し付けて事業をするために借りた金で生活している。その長門に秋吉は田舎に逃亡する金を借りようとするが、長門も同伴することになる。
 おおらかといえばいいのか、岡山でのロケがふんだんにある。周りの通行人が秋吉らを見ている。野外ロケまるわかり。
 銀行で両替した硬貨を落とし床にぶちまけるシーン。何のためのショットかわからない。こういう無駄な観客に伝わらないひとりよがりなショットがあちこちに目立つ。
 秋吉の行動が場当たりで適当。まあ、十代の女の表現としての演出かもしれないけど、昔から主人公を低能に描く手法というのはあったんだねえ。
 コカ・コーラの500ミリ瓶が懐かしい。民家の中に座敷牢がある。すげー。
 署名しない署名運動という街頭パフォーマンス。時代とはいえ、今の目から見てもただただ恥ずかし。
 ラストの長門の怪我も意味不明。秋吉の正面のショットが入っているけど、それ入れると帰ってきているように見えるんですけどいいんですかねえ?
 映画の作り自体もひどいけど、登場する人物像もひどい。意志もなくただ男にすがって生きていく女性像。すがられる男も盗んだり他人から借りた金で秋吉に貢いでいるだけ。最大のどっちらけは秋吉、バージンではない。

民子シリーズ第二弾、映画『故郷』

 山田洋次監督映画『故郷』(1972年公開)を観た。第一弾に比べるとこじんまりした感じ。
 民子シリーズの第一弾映画『家族』(6/20掲載)は民子役の倍賞千恵子と夫の井川比佐志のロードムービーでおすすめ邦画にも取り上げた素晴らしい出来だった。
 今回の『故郷』は瀬戸内海と思われる海が舞台。木造船による砕石運搬を生業としている夫婦。だが、大型鋼鉄船が幅を利かすようになり、夫婦は船を捨てて島を出ることになる。
 物語は非常にシンプル。『家族』のような移動感も行き着く先の達成感もない。このへんは民子シリーズということで過度に期待するとはぐらかされる。
 映像も悠揚迫らぬ感じ。映画冒頭、瀬戸内海、夫婦、会話がない、と映画『裸の島』(6/2掲載)を思い起こさせる雰囲気がある。
 渥美清は狂言回しというか観察者の立場というのか説明的部分をになっている。
 広島市内までのバスの中からの映像は今見ると異国の雰囲気すら感じる。瀬戸内海の映像は美しい。過去の邦画を見るたびにこういうもうすでに現存しないのだろうなあ、と思われる美しい風景を見て寂しさが襲ってくる。
 木造小型砕石運搬船の作業工程がかなり細かく描かれている。砕石積載中の危険な作業の映像の中に子供をちらちら挟みこむのはやめてほしい。サスペンスやホラー映画なら絶対事故に巻き込まれるパターン。このへんは映画見過ぎの副作用かも。
 いつもながら頑固親父融通の効かない人物像を井川はうまく演じている。今回の民子は自力で機関士の免許を取るような自立した女として描かれている。

パンツを脱がすシーンが多い、映画『もっとしなやかにもっとしたたかに』

 藤田敏八監督映画『もっとしなやかにもっとしたたかに』(1979年公開)を観た。普通の人間関係のように見えてラストは相当辛口。
 河原のグランドを眺めている男(奥田瑛二)。女子テニスの練習風景を見てすてんきゅうが起立している。女と子供が現れるが関係性の説明はない。奥田、配送業のクルマに乗る。
 自称18歳の森下愛子と偶然出会う。奥田の部屋に鏡台が有ることで女がいることがわかる。友人の風間杜夫との会話から妻(高沢純子)が失踪していることがわかる。
 と、奥田の周りの兄嫁夫婦、妻の兄、入院中の奥田の父親、奥田の息子、を巻き込みながら、二人の女が奥田との関係を続けていく。
 こう書いていると昼ドラのどろどろ系ドラマを想像していしまうが、人間関係は割とあっさりしている。目合(まぐわい)シーンは多いものの、照明が行き届いていて猥褻な感じはない。邦画にありがちな、着衣で首なめが多いという問題はある。監督の趣向なのか、女のパンツを脱がすシーンが多い。いつもながら森下愛子の脱ぎっぷりがいい。潔くて実にいい。
 「食塩取ってくれ」「仮定法で言うなよ」などセリフが硬い。
 この頃の風間杜夫の二枚目ぶりはすごい。それに比べると奥田は野暮ったい感じ。
 邦画あるある。車のヘッドレストが取り外されている。
 医療現場の描き方はかなり雑。意識があるのに心臓マッサージをすることはあるのだろうか?
 奥田がレジ打ちの妻を連れ出すシーン、森下が奥田の父親の首を締めるシーン、と、妄想なのか願望なのかわからない虚構の挟み込みはうまい。
 ラストは、強引な展開と、意外な事実が待っていて、ちょっとびっくり。奥田がまったくうかばれない結末はかなり辛口。悲しんでいるようには見えない憂鬱そうな高沢の顔が意味深。広場で飛ばしている飛行機はUコン。邦画の中で初めて見た。

遊郭をグランドホテル形式で描く、映画『幕末太陽傳』

 川島雄三監督映画『幕末太陽傳』(1957年公開)を観た。導入部は少し我慢、あとは最後まで面白く見れる。
 時代は幕末、品川にあった遊郭相模屋を舞台にした物語。
 時代劇、現代の品川の説明が挿入されてから本編時代劇へと戻る。
 前半部分は遊郭に集まる登場人物たちの説明の部分なので、話の筋が見えず若干戸惑う。正直に言うと、だいぶ昔、この映画を見ようと一度チャレンジしたのだが、この辺りで見るのをやめた経緯がある。
 登場人物の説明が終わり、フランキー堺が遊郭で働き始めてから面白くなる。
 これだけの大人数を切り盛りするストーリー展開はすごい。フランキーが橋渡しすることで、足止めを食って遊郭にとどまっていた人たちが、自分の人生をかけて外へ向かっていく姿は開放感がある。ただし、大団円といえるほどの爆発力はない。
 わかりづらい点もある。フランキーが料金を踏み倒する理由がわからないし、計画的である点もわからない。
 肺病病みである点は長逗留とラストに関係はするけれど、病気持ちである必要性はあまり感じられない。
 現代劇に帰る違うラストが準備されていたらしい。確かに、映画冒頭の入り方といい、ラストの肺病病みを暗示する暗い逃走いい、映画全体の明るいタッチからすると今ひとつの感はある。
 遊郭の中を遊女は履物を履いて歩く、ひもを通した札を土間に叩きつける、お歯黒、など、独特の風俗習慣も描かれていて目を引く。
 石原裕次郎が若い。歯はかなりの乱杭歯。フランキー堺と南田洋子の演技が若々しくて溌剌としている。

宮藤官九郎の自慰的脚本、映画『鈍獣』

 細野ひで晃監督映画『鈍獣』(2009年公開)を観た。駄作、ただただひたすらつまらない。
 電車が急ブレーキ、真木よう子が大乃国の腹に頭をぶつける。電車を止めるクマのようなアニメ。最後まで観たけど、このアニメいらない。
 相撲が盛んということになっている街に真木よう子が入り込むのだが、この設定もいらない。実質、相撲取り体型の人物は大乃国ただ一人。街の奇妙なデザインや電飾もいらない。最後まで観たけど、物語に何も関わってこない。
 結局小説を書いていたのは誰なのか、なぜ生き返ってくるのか、などの謎の説明はない。登場人物の誰も成長もしないし、物事を成し遂げることもない。うーん、こんな物語、書く必要あるのか?
 と、まあ、映画の基本的設定が物語に何の関わりもない。映画の殆どが監督と脚本家の自慰行為。そんなのを金取って他人に見せるな!
 舞台で有名な人物が映画に手を出すと本当に駄作しか作らない。宮本亜門、三谷幸喜。宮藤官九郎ってNHKドラマ「あまちゃん」がミラクルなだけで、映像に関しては才能はないんだ。

高倉健と行くイランの旅、映画『ゴルゴ13』

 佐藤純彌監督映画『ゴルゴ13』(1973年公開)を観た。大味すぎて微笑ましい。
 アメリカ?の諜報機関も手を焼いている人身売買を手がけるイランのマックスボア。彼の暗殺に白羽の矢が立ったのがデューク東郷こと高倉健。イランに乗り込み彼の暗殺に挑む。と、ストーリーは非常にシンプルでひねりも何もなし。ならば、アクションとかで魅せる映画なんだろうと期待してみると。意外にトホホ。
 高倉以外はすべて外国人俳優で、日本語吹き替えになっている。
 「ゴルゴ13」といえば誰でも期待するデューク東郷に係る女性たち。映画冒頭部からデュークのお世話を任された女が自ら進んで裸になろうとする。すわ、濡れ場か?と思いきや、服を脱ぐのはベッドの中。高倉とはキスだけ。ポロリもヌードもなし。とほほ。女優の顔もかなりきついし。うー、、興が覚めるわー。
 イラン政府?全面協力。共同制作。のため、映画の殆どがイラン。だから、イランを旅しているよう。テヘランの公衆電話は非常に珍しい形。明治時代とかの受話と送話の部分が分離しているタイプを近代化した感じ。作りは無骨。これにはびっくりした。
 この映画、何が問題ってねえ、原作に忠実に描いているかわかりませんけど、デューク東郷を高倉健にしたのは完全なミスキャスト。または、映画監督の映画の作り方が適当すぎる。
 敵に背中を見せないという設定を守るのはいいのだけど、高倉が後ろばっかり気にしてテヘランの町中を歩くものだから、ものすごく神経質な落ち着きのない人にしか見えない。
 高倉、夜なのに路上で煙草吸っている。いいのか?敵に自分の居場所を教えているようなものだけど。設定が適当~。 
 映画後半部、最大の見せ場、イランの遺跡が広がる広大な敷地。女達が集められデュークが出てこないと一人づつ殺される。さあどうするゴルゴ13。うーん、高倉、見てるだけー。狙撃用の銃も持っているのに、見てるだけー。原作に忠実なのかなあ。監督の演出力はすごい。高倉、一発も撃ちません。
 カーチェィス、砂漠の中。敵の車が二台追いかけてきて銃撃します。あー、追いつかれてしまった。ここまでか、高倉。この危機をどう乗り越えるのか?三台が走っているだけ。みんな銃を使いません。離れていると銃撃つんだけどねえ、隣同士だと撃たない。なんでですかねえ、わかりませんねえ。謎ですねえ。二、三人乗っていた敵の車、横倒しで炎上するときは運転手一人になっている。どこで降りたのかな?
 ついに、悪党がヘリまで持ちだしました。高倉、車から飛び降り、車をおとりに炎上させ、敵の気を引いておきながら狙撃。で、ヘリにいた狙撃手を撃ち殺します。だけど、その後もヘリめがけて追加の銃撃。ヘリは煙を上げ墜落炎上。だけどねえ、ヘリの中に人質の女がいたんだよねえ。これも非情なデュークだからしょうがないのかなあ。
 とまあ、高倉健扮するデューク東郷ことゴルゴ13が、ただ神経質な小心者で非情といえばカッコイイけど卑怯者にしか見えない。
 というのも、この主人公が見るからに悪くて冷たい面持ちの役者ならこの設定がドンピシャでまだ納得できるのだが、あくまでも高倉がやっているわけで、だれでもみんな心のなかで、「だけど、最後は健さんが助けてくれるんだよね」と期待してみてしまうわけだ。それが最後まで全く期待に答えてくれないものだから、ただただ、なんでこんなオファーに高倉が乗ったのだろう?という疑問だけが頭のなかをよぎる。
 で、百歩譲って映画の出来が良くて、高倉の非情な面が出た新境地な映画になっているかというと、ま、これまで書いたように全くなっていない。結局、いつもの健さんが「不器用に」そこにいるだけ。
 ラストは、砂漠を歩き続け、マックスボアを狙撃。その時の姿が全身を覆う黒いベール。その布っ切れどこからもってきたんだ!
 原作者のさいとう・たかをが腹をたてるのも無理は無い。『北京原人 Who are you?』(4/4掲載)を撮った監督だから期待するほうがバカを見る、ということかな。

松田優作と舘ひろしの表情がいい、映画『暴力教室』

 岡本明久監督映画『暴力教室』(1976年公開)を観た。松田優作と舘ひろしの顔芸がうまくて、最後まで見れる。
 高校に赴任した新しい先生松田優作。学校内の不良グループ対策を任され、松田対舘ひろし対決となる。そのうち、学校移転に伴う経営者のピンはね問題が浮上、不良グループの退学理由を作るための工作などに、松田の妹や女教師が巻き込まれ、松田対学校経営側、不良グループ対真面目グループの乱闘が起こり、学校内は大騒ぎ。
 バイクの走行シーンは迫力がある。吹き替えなしのノーヘル運転は、今の目から見てもちゃんと撮れている。
 出てくる女がみんなレイプされる。時代を感じさせる設定だけど、ワンパターン。
 松田と舘の表情が素晴らしい。特に舘のガン飛ばし表情からの怯えるような甘えるような寂しいような眼差しはうまい。この二人だけで最後まで見れる。
 BCLファン必見は映画冒頭。電気店にナショナルクーガー115が置かれている。涙。

高倉健と中野良子の濡れ場あり?映画『君よ憤怒の河を渉れ』

 佐藤純彌監督映画『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年公開)を観た。突っ込みどころはあるけど、高倉健のキメ顔で最後まで見れる。
 だぁやらあ~だぁやらら~と男のスキャットで始まる気の抜けたテーマ曲でタイトルどーん。人混みの中で犯人を見つけたと騒ぐ女。指さした男は高倉健。事情聴取されても身分を明かさず、知り合いの刑事を呼んでも取り調べが続き、高倉が孤立無援であることが強調される。で、自分の無実を晴らすための逃亡劇が始まる。
 脇を固める俳優たちが味わい深い。敵か味方かわからない原田芳雄。目をそらす仕草が可愛い中野良子。その父親で大滝秀治。対向するように悪役が西村晃。田中邦衛は映画『他人の顔』(11/18掲載)に続き精神病院の患者役。
 TBSラジオ「たまむすび」で町山智浩がしゃべっていたように、洞窟内、高倉と中野との濡れ場。目合、焚き火、ヌード、焚き火、高倉の後頭部(と思われる)、焚き火、続く。のシーンは高倉の濡れ場は少ないらしくお宝映像のよう。ただし、高倉、中野ともに吹き替えという話もあり。
 最大の見所は新宿駅前を駆け抜けぬ馬たち。コーナーリングに失敗して蹄鉄から出る火花は実写の素晴らしさを感じる。撮影は警察とトラブルになったらしいけど、実行した価値はある。
 邦画の駄作は事件が起こっても全く警察が出てこないというのがあるけど、この映画の町中の警官は多すぎる。
 この映画の欠点は、スクランブルをかけるF-104や着水する小型機が模型というのは時代を考えて許すとして、音楽がねえ。
 前に書いたように映画冒頭の気の抜けた男の声のスキャットといい、映画内で何度もかかるハワイアン風音楽が、映画の緊張感をぶち壊しにしている。音楽、春山八郎って知らないけど、サスペンスとアクション映画にこれはないんじゃない。あと、北海道で小型機が離陸する前、原っぱの鳥の声がうるさすぎる。
 クマ、活躍しすぎ。
 と、まあ、突っ込みどころも多いけど、ワンパターンにも見える高倉健の主人公ぶりは堪能できる。
 映画『野生の証明』(5/9掲載)の主題歌、町田義人「戦士の休息」を聴きながら、合掌。

哀川翔のハゲ頭はあり、映画『東京ゾンビ』

 佐藤佐吉脚本監督映画『東京ゾンビ』(2005年公開)を観た。恐ろしくつまらない。
 映画冒頭、哀川翔の顔のアップ、禿頭。この時点でギャグ映画であることが宣言されているので、腹は立たない。ただ笑えるかというとほとんど笑えない。好き放題やれそうな題材なのに色んな所が意外に程々。映画『幽霊ゾンビ』(10/29掲載)で懲りたので、こういう映画は始めから適当に見るのが正解だとも言える。
 映画『ブレードランナー』に出てくるタイレル社風のビル、ブルース・リー、松田優作の影響と思われる部分が少しある。
 映画のラストで子供の口がきけるようになるシーンがある。邦画あるあるの使い古された演出の一つ。例えば、『252生存者あり』(7/8掲載)は口のきけなかった女の子がしゃべりだす感動の(観客と障害者をバカにした)名シーンがある。『はじまりのみち』(7/11掲載)では八千草薫が喋れるようになってがっかりした。
 とまあ、書くことがないので他の映画の話を書いてしまった。そんな映画です。

病院内のデザインは見る価値あり、映画『他人の顔』

 勅使河原宏監督映画『他人の顔』(1966年公開)を観た。病院内部のデザインが独特、ただし、映画は冗長。
 物語は、事故で顔に怪我を負い包帯をしている男仲代達矢が、精神科の実験に協力してマスクを手に入れ、社会復帰をする物語。
 モノクロ、4:3。身体の各部位の欠損した部分を補う人工物(シリコン?などによる指先や手や腕、乳房など)が現れる。レントゲン写真の動画のような頭蓋骨だけの映像が動いていて仲代達矢の声で語り始める。この冒頭だけでもかなり独特。
 病院内のデザインは見る価値あり。耳の形をした鋳造オブジェ。鏡の部屋、散りばめられた人体の一部。影を作らない照明。説明がなく部屋の奥に佇む女性。冷たい空間が広がっている。ドアを開けると全面を覆う女の黒髪。美術に建築家磯崎新の名がある。ポスターデザインは粟津潔。現代音楽っぽいと思っていたら武満徹。と、かなり凝っている。
 映像ではっとさせられた別のシーン。女(入江美樹)が歩いている。ハーフのような左横顔をアップで撮っていると、男が声をかける。女振り向かない。男が肩に手をかけて、やっと女振り向く。右側の顔が映るとケロイド。男たち立ちすくむ。安直な演出だけどインパクトは強い。外見的二面性とそれに対する反応の表裏が出ている。
 その女が精神病院に入って行く。多くの患者と思われる人々が勝手な行動をしている。そこにかぶせる音がヒトラーの演説?。危ない感じがうまい。
 ダメな点は、まず、仲代の行動がわかりにくい。例えば、仲代は部屋を二部屋借りることになるのだが、何のためだったのか映画を見終わってもわからない。
 あと、先に書いた入江のショットが仲代と平行して交互に挟まれるのだが、最後まで二人の関係性はない。入江の行動も謎、というか不可解。
 ラストでナイフの位置が背中というのもいくらなんでも人間工学的に無理がありすぎる。
 最大の欠点は映画が長すぎること。ドイツビールのバーでの話が長すぎる。暗転したり、音を消したり演出に工夫は凝らされているのだけど、さすがに議論に飽きる。
 ヒトは乳飲み子の頃から他人の表情を読み取る英才教育を受け続けているわけで、だからこそ、人面魚や人面犬、火星のクレーターにまでヒトの顔を見るわけだし、メールの中に顔文字を忍ばせたりできるわけだ。そんな、身近な顔認識問題を取り扱っているのは非常に面白いのだが、枝葉が多すぎて散らかっている感じが惜しい。
 顔の取替といえば洋画にジョン・ウー監督の『フェイス/オフ』がある。人体欠損を補う部分を製作するメディカルアーティストが登場する映画は『カケラ』(9/28掲載)がある。表情が読めない恐怖を描いた映画で傑作なのは『コワイ女』(8/21掲載)の第二話「鋼(はがね)」。上半身の情報を封印して女の足だけの演技でここまで描くのはすごい。

走る姿がかっこ悪い、映画『帰らざる日々』

 藤田敏八監督映画『帰らざる日々』(1978年公開)を観た。演技、演出が古色蒼然。
 窓から見えるビル。部屋の中に男女(永島敏行と根岸季衣)。永島が田舎に帰ると言い出す。で、長野に帰るまでの電車内での出来事と回想によって永島の工業高校(建築科?)時代が浮き彫りになる。
 現代の描写はまあ何とか許容範囲で普通に見れるけど、高校時代はさすがに無理がある。
 まず、高校生に見えない。マラソン大会があって、黒岩という重要人物との対決があるシーンなのだが、走り方がひどい。なんで、こんな不自然な走り方の演出と演技をつけるのか意味不明のレベル。
 今の目から見るとアクションシーンもひどい。つかみ合って地面の上をゴロゴロしているようにしか見えない。
 あと、下手な脚本にありがちな偶然の出会いが多い。渡し船のバイト中の友人たちとの出会い、お祭りでの女達との出会い、最大の偶然が、父親の死に友人が関係している。それも事故の当事者で偶然。この設定はいくらなんでもな設定で興ざめ。
 ありがちなことで映画あるあるなんだけど、自動車のヘッドレストが取り外されている。例、映画『さんかく』(11/16掲載)
 説得力のなさでは、競輪選手を目指している高校生が自転車乗り回しているだけで体型が伴っていない。
 気になったのは、浅野真弓。たそたそした長い黒髪で、妖しい色香を放っている。
 ラスト、永島が久しぶりに坂を走るのだが、やっぱり走る姿がかっこよくない。
 アリスの曲が三曲ぐらい使われている。懐かしいと思うより古色蒼然。ものすごく古臭く感じてしまう映画。

良心の呵責のない詐欺家族、映画『しとやかな獣』

 川島雄三監督映画『しとやかな獣』(1962年公開)を観た。面白いし、狂っている。
 団地風の建物(全体像は見せない)。一戸分の外見が外から撮られ中の様子が見える。老夫婦が家具を移動している。能の曲、鼓が連打される。
 カメラが室内に移ると、老夫婦(伊藤雄之助と山岡久乃)は部屋の中を貧しそうに見せるために模様替えをしている。この時点で?が頭のなかに頻出。
 高松英郎、小沢昭一、若尾文子の三人が訪ねてくる。「みのる」を探している。みのるは高松が社長、若尾が経理をしている会社に勤めていて横領をしているよう。伊藤と山岡はみのるの両親。
 と、次々と部屋を訪ねてくる客がいるのだが、金を横領しているみのるを探している。そのうち姉の浜田ゆう子が帰ってくるのだが、彼女は作家先生の二号さんになり、その作家から伊藤が金を借りているらしい。さらにこの部屋も作家が借りたものを横取りしたよう。
 と、徐々に詐欺もしくは踏み倒しのような手法で手に入れた金で生活している家族だとわかってくる。その上、まったくどこにも良心の呵責がない。
 例えば、弟の実こと川端愛光が金を使い込んでいることを両親が叱りつけるのだが、それは手に入れた金が女(若尾)につぎ込まれているからで、そんな金があるならお父さんに十万貸しなさい、と叱りつける。
 作家の家を飛び出して帰ってきた姉浜田に対しては、作家先生のもとに戻るように促す。だけど、それは、まだ情が残っているから三十万円借りられるはずだから、という理由でよりを戻すことをすすめているだけ。
 どこにも他人の金を盗んだり踏み倒したり横領したりすることへの罪悪感がない。それどころか、お金があるのにお金を貸さないのは、大物になれないと批判。会社に対しては社長も横領しているようだから、同じことをしていて何が悪いという開き直り。と、これらすべてが本人がいないところでの陰口。
 映像的にも見るべき点がある。
 32分ごろ、そばを食べる四人。夕焼けになる。テレビをつけるとゴーゴーのダンスをしている。浜田と川畑が部屋の中を踊りまくる。その前で静かにそばを食べる老夫婦。音楽はいつの間にか能の曲。さらに夕日が部屋を赤く染める。いやー、必見。映像的にも狂っている。すげー。
 その他にも若尾や高松英郎が心情露呈すると、階段が白く異様に長くなる。暗闇の中、老夫婦二人。ラジオをつけるとまた能の曲。窓の外から月明かりが部屋の中に射す。などなど、印象的な映像が多い。
 ここではっきり言っておくけど、カメラは部屋の外観と玄関付近の階段以外、部屋の外に出ませんから。換気扇の隙間から、戸棚の中からと狭い部屋をいかに撮るかの技術的工夫も見どころ。
 あと、感心するのはセリフ回し。ほとんど部屋の中で行われる芝居なのに、飽きさせずにこれだけ言葉を詰め込むとは、すさまじい脚本(原案脚本、新藤兼人)。
 密室劇には『キサラギ』(9/15掲載)『オトコタチノ狂』(9/21掲載)がある。特に『キサラギ』を評価している人は見比べたほうがいい。
 ラストは、人が死んだのに無関心な家族。見つけた山岡も決して声に出そうとはしない。やっと雨の降りしきる団地の外観が映される。能の曲。すごい、登場人物、すべて悪人。

野川由美子の表情が成海璃子に似ている、映画『肉体の門』

 鈴木清順監督映画『肉体の門』(1964年公開)を観た。退屈。
 終戦直後の闇市と思われる通りに田舎から出てきたような女(野川由美子)が腹をすかせている。生活のために売春仲間に加わり身体を売りながら生き抜く。あらすじはこんなかんじ。
 舞台劇のような作りのためスタジオ撮影と野外ロケがはっきり分かれていて作りは雑。スポットライトがあたったり、歌い出したりとミュージカル風な部分もあり。いちいち感情移入を阻害される。
 リマスターの高画質が災いして、スタジオ撮影がてかてかピカピカした画面で興が醒める。終戦直後の猥雑な感じが出ていない。
 女だけの強い結束のわりに宍戸錠をすぐ受け入れたり、牛を連れてきて解体したり、大男の宍戸を女一人で運んだりと唐突だったり意味不明だったり無理な展開だったりの演出が多い。
 女優陣が美人ではないし、娼婦役にあっているとも思えない。売春婦が主人公の映画なのに目合シーンが下手。動きがなく寝そべっているだけの画しか撮らない。
 野川由美子のSMシーン、ポロリあり。野川の表情の中に成海璃子と全く同じ表情が時々垣間見える。
 三谷幸喜の映画にも言えることだが、映画という嘘の上に舞台的設定まで受け入れなければいけないという二重のハードルが苦痛。

バカだなと思うも身につまされる、映画『さんかく』

 吉田恵輔脚本監督映画『さんかく』(2010年公開)を観た。恋愛映画の中では設定が良く出来ている。
 ミニスカートから伸びる足、隣の座席の男に頭をあずけて居眠りをする。ガラスに頭をぶつけ目を覚ます。甘ったるい声と緩んだ性格の妹(小野恵令奈)をうまく描写している。
 夏休みで東京の姉(田畑智子)の元へ遊びに来た小野と姉の彼氏(高岡蒼甫)との微妙な関係を描く。たったそれだけ。バカな恋愛映画なら、主人公たちを知恵遅れのようにして描くところを、この映画ではヤンキーではあるけど、普通に働き普通に生活している設定でごまかしはない。犯罪まがいのことをすれば警察が登場するし、友達の中にマルチ商法の勧誘がいるなど、細かい設定がうまい。
 設定と演出はものすごく細かい。男の前では小食の小野。小野に声をかけられると帰宅時の階段を二段ずつ登る高岡。小野を気にし出す時の視線。胸の谷間、暗闇で髪が乱れている小野。洗濯物の中の下着の映り込み。職場で叱りつけている同僚のアパートに転がり込んだ高岡。風呂から出てシャンプーの泡を廊下に撒き散らして拭かない。それを見ている同僚。田畑の友人矢沢心は恋愛の相談もきくけどマルチにも誘う。田畑、実家で寝るときは歯ぎしりをしていない。ストーカー事件を取り下げると刑事があくびをする。二人がもめているとピザ屋の奥で店員が見ている。などなど、他人の行動を見てどんなことを感じているのかをセリフではなく映像でちゃんと示しているところがうまい。
 音楽は静かで映画を邪魔しない。
 ちょっと気になるところは、三人の住む部屋の玄関付近の外観が違うショットがある。長い廊下の突き当りの部屋だったはずなのに、階段向かいでひさしも短い玄関先になっているショットが二箇所ほどある。撮り直しなのか?
 ラストは、田畑が受けていた仕打ちを高岡が受けることになる。セリフ無しで三人の顔の表情だけを回して撮る。判断を観客に任せる終わり方。
プロフィール

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グブリー川平(かびら)
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毎月15日と末日
【使用機材】
プロジェクター BenQ HT2550M
スクリーン ファーストスクリーンMB-80W(ビーズ)
ヘッドフォン BOSE Quiet Comfort 25

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