2014年09月後半観たおすすめ邦画

2014年09月後半観た邦画は32本。

『死者の書』監督川本喜八郎、2006年公開、9/17掲載
 NHK『三国志』と同じ外観の人形なのだが、どのように動かしているのかわからない。袖が風にたなびきながらカメラが移動しいる映像は不思議ですらある。

『妖刀物語 花の吉原百人斬り』監督内田吐夢、1960年公開、9/25掲載
 捨て子で顔に痣があるコンプレックス。その力が仕事に向いているうちは良いが、女に向かうと。女の晴れ舞台と男の感情の爆発が交わる大団円も見事。

『女囚701号 さそり』監督伊藤俊也、1972年公開、8/27掲載
 これまで観た邦画でもっともおっぱいの出る映画。黒尽くめの梶芽衣子がかっこいい。決めポーズの似合う女優だよねえ。

『修羅雪姫』監督藤田敏八、1973年公開、9/30掲載
 今思いついたのだが、いじめられても強い女、恨みを晴らす女、梶芽衣子。この役、優香が引き継ぐことは出来ないのだろうか。

『幸福の黄色いハンカチ』監督山田洋次、1977年公開、9/27掲載
 名作で敬遠しいたけど、観るとやはりうまく作られているもんだなあと感心する。観客の心理状態を自由自在に操縦する手腕に脱帽。

【次点】

『OUT』監督平山秀幸、2002年公開、9/18掲載
 邦画の中で猟奇殺人は非常にうまく表現できる分野だと思う。弁当製造の主婦たちと猟奇殺人を組み合わせが虚構へのハードルを下げている。原美恵子の動機や、ラストの逃走劇が盛り上がらないなど傷はあるが、最後まであきずに観れる。

『家路』監督久保田直、2014年公開、9/22掲載
 まず、震災を扱っているだけで百万点。なぜ邦画がこれほどまでに津波や震災に沈黙しているのか。理由が全くわからない。今後、田中裕子は『楢山節考』に絶対出る。

『催眠』監督落合正幸、1999年公開、9/25掲載
 実を言うと映画の四分の三くらいはたいして面白く無い。宇津井健がオーバーアクションで物語は誰が中心なんだかと退屈していると、ラストの豹変は面白い。箱庭的病室も効果的。

【駄作】

『罪とか罰とか』監督ケラリーノ・サンドロヴィッチ、2009年公開、9/26掲載
 べろべろばあのギャグで笑えると勘違いしている。映画的に笑わせてくれ。一応名の知れた俳優がこれだけ大勢出ているんだよおお。これまで作られた映画を見れば、べろべろばあ的ギャグと「自然なセリフ回し」はことごとく失敗しているのはわかるはず。この二つの方向は映画的に不毛だ。

女アサシン梶芽衣子の目力、映画『修羅雪姫』

 藤田敏八監督映画『修羅雪姫』(1973年公開)を観た。白い和服の梶芽衣子は必見。
 因果応報、親の恨みを引き継いでかたきを討つ娘(梶芽衣子)の物語。
 映画冒頭の説明部分は少しわかりにくい点もあるが、恨みを晴らす相手が確定してからは話がスムーズ。
 ジャンプして一回転とか、紙芝居的な絵による解説、ずっと流れる説明のナレーション、ジャズが流れたり、など、ケレン味というか少しふざけているというか、物語は深刻なのに映画の作りはかなりやり過ぎな感じ。そこが面白いとも言える。
 アクションは今の目からすれば微笑ましい部分もある。特に幼少期の特訓シーンは暗殺者になるには関係無いような。が、殺陣の様式美はすごい。黒澤明ばりの切られた瞬間ホースの口からほとばしり出るような血しぶき。間合いをあまりとらない瞬間的な斬り合い。そして、最も大切な白い和服による梶の決めポーズ。眼のアップがかっちょいい~。
 残酷描写が大胆なのも特徴。首吊している女を腹から真っ二つ。知り合いを間においての串刺し。許しを請うても見下す視線からの袈裟斬り。日本刀を持った両腕が飛ぶ。うーん、すげえ。
 北野武監督『座頭市』(4/3掲載)の腕が飛ぶシーンや園子温監督『地獄でなぜ悪い』(5/29掲載)の血しぶきをあげながら狭い部屋での斬り合いは『修羅雪姫』のパロディだということがやっと分かった。
 ラスト、因果応報から抜けることが出来ない梶の身の上に則した結果に。昔の映画は安易にハッピーエンドにしない。こういうところはちゃんとしているねえ。

モテキャラの裏付けがない、映画『夢売るふたり』

 西川美和原案脚本監督映画『夢売るふたり』(2012年公開)を観た。つまらない。
 小料理屋の火災シーン、スロー映像が多いけど、なかなか緊迫感はある。
 喧嘩のシーンのアクションはひどい。
 鈴木砂羽と寝たことで金が転がり込む阿部サダヲ。新しい店を出すために詐欺まがいの女性遍歴を重ねることになる。
 だけどねえ、まず、阿部がなぜモテモテなのかが全く描かれない。阿部の顔で結婚詐欺まがいのことができるには話芸なのか金なのか何かしらの裏付けがないとしらける。
 さらに雇われ店長の形で阿部と松たか子の二人で働くことになる。最初店は暇なので詐欺を働くのもわかるけど、後半は繁盛して回せないほどのお客の入りになっている。詐欺をやっている暇があるなら店を切り盛りしたほうがいいのでは?もしくは詐欺に専念して資金を作ったほうが効率的では?二人の行動に目的意識が在るんだかないんだかすごくわかりにくい。
 後、目合(まぐわい)シーンが全くエロくない。エロく撮る気がないのか腕がないのかわからないが、たくさんのおっぱいを見ても得した気分にならない。説得性もないただただムダな裸。松による自慰シーンも安直。
 後、女性を示す演出がトイレに入っているシーンの後にナプキンを付ける一連の動作。映画『カケラ』(9/28掲載)で満島ひかりによる全く同じシーンがあった。どちらも女性監督。何か勘違いしている。
 松の階段落ちの時の子供はどうなったんだろうか。
 田中麗奈による阿部への暴行シーンはよい。突然このシーンだけスピード感もあるし、笑福亭鶴瓶による介入もちょっと驚かされる。
 阿部は刑期を終えたみたいだけど、松は何か試練を超えたのか成長したのか、全くわからない。

時代劇のちゃんばらも個人戦へ、映画『武士の一分』

 山田洋次監督映画『武士の一分』(2006年公開)を観た。破綻なく最後まで観れる。
 毒味役からのこの流れは全く予想していなかっただけに最後まで興味を持続できた。
 映画冒頭から音楽がかっこいい。和楽器の挟みこみがうまいなあ、と思っていたら音楽は冨田勲だ。
 目立つ俳優は笹野高史。実に飄々としていてうまい。物語上、重要な役割を負っているし、木村拓哉によるサディスティクな呼びつけ方も笹野を引き立てている。
 城内、庭先などの絵は、照明が隅々まで届いて安っぽい感じ。
 離縁した時に鳴り響く雷が独特。
 檀れいのたすきを鉢巻にするシーンは、ちゃんと前フリが効いていて、やっぱりこういうところがそつない。
 食い足りなく感じたところは。まず、めくらになった木村が日常生活でそれほど困っているようには見えない。社会的、経済的に困る可能性は伝わるけれど、日常生活がもっと出来ない感じを出して欲しかった。木村だから無様な演出は断られたのかな?
 後、「めくら」という言葉が出てこない。これも木村の置かれた状況を軽く感じさせる一因。必要なのに使わないなんて、そっちのほうが根の深い陰湿な差別だと思うんだけど、世間は違うんだろうなあ(hi)。
 時代劇でちゃんばらとくれば集団でちゃんちゃんばらばらやるのを想像するけど、ついに時代劇も個人主義に突入したなあ、という感慨を『武士の一分』を観て思った。時代劇を作れる予算もなければ人材もいなくなっているんだろうなあ、と寂しくなる。
 めくらといえば名作が多い。洋画なら『暗くなるまで待って』。邦画では『座頭市』(4/3掲載)『箱入り息子の恋』(7/25)『はなれ瞽女おりん』(8/16)。
 映画の中でつんぼよりもめくらが多く出てくるのは映画的な表現がよりいっそう引き立つからだろう。つんぼだと手話表現や文字を書いて伝える演出しか思いつかないが、めくらだと映像と共にオーディオ表現に力を入れることができる。逆に言うとつんぼ映画は名作を作り出す余地が未だあるとも言える。

押井守のアクションは辛い、映画『ASSAULT GIRLS』

 押井守脚本監督映画『ASSAULT GIRLS』(2009年公開)を観た。世界観に目を奪われる部分もあるが、低予算感は拭えず。アクションももっさりしていて期待してみただけに実写は辛い。
 映画冒頭、映画『アヴァロン』風な曲が流れる。英語によるナレーションで、Avalon(f)というゲームの中に没頭している世界であることが語られる。ニュース映像、歴史映像みたいなものも流れて勇ましいのだが、徐々に男たちの顔のアップ写真になったりして、スケールダウンが甚だしい。嫌な予感。
 荒涼とした砂地に浮かぶ球体。異様な身なりをした人物たちが登場する。ファッションは虚構だから許せる範囲内なのだが、人物の動作を撮るとすごいチープというか「今、撮ってます」感が出ている。衣装や小道具が手や身体に馴染んでない感じというのかなあ、「はい、今、すぐこれ着て、これライフル、打ち方はこう、はい、撮るよ」と言われて、撮ってる感じ。
 黒木メイサのファッションは最も似合っている。顔の強さが服に負けておらず、大きめのワークブーツからおしりにかけてのラインとか、革製カチューシャから黒髪がたそたそする感じなど、「わかってるなあ」と感心する部分もある。
 字幕で説明する映画は駄作の可能性大。という法則があるが、この映画も頻繁に字幕が出る。法則通り。
 ライムスター宇多丸と三池崇史の対談で「邦画には「えっ?」ということが多い」という発言があった。つまり、条件が厳しすぎて思わず「えっ?」と発してしまう場面が多々あるらしい。
 多分、押井、出演者に銃の撃ち方を特訓したかっただろうし、黒木メイサの乗るコクピット内部はもっと作りこみたかっただろう。格闘シーンは、ショットを刻んで撮りたいだろうし、格闘技の訓練もしたかっただろう。各キャラクターの位置を示すマップや標的となる怪獣たちももっと作りこみたかっただろうなあ、気持ちはわかる。
 だけど、作品は作者の手を離れる。残念ながら今ひとつ。

だべってないで手を動かそう、映画『BRAVE HEARTS 海猿』

 羽住英一郎監督映画『BRAVE HEARTS 海猿』(2012年公開)を観た。人物像とドラマ部分は陳腐。
 妻が夫を君付けで呼んだり、現代批判をはじめたり、妻の性格設定がいまいちよくわからない。特にわかりたいとも思わないがシリーズを続けてみている人には既知の事柄なのか。
 ショットの切り替わりで爆音を入れて驚かせる編集。ジェット機、モノレール、消防車の移動、など。
 ジェット旅客機のはじめのエンジン爆発には驚いた。機外の映像はCGまるわかりなのだが、機内の何気ない動作に突然の爆発の挟み込みはスピード感があってうまい。
 映画全体を通して全体映像のCGになると興をそがれるが、個別の狭い空間での実写映像は見ごたえあり。
 海上胴体着陸と海上誘導灯の設置を提案。伊藤英明は現場で優秀だというのは描かれているけれど、指揮命令系統にまで力が働くんだ。急に。
 なぜか、みんなが事故の起こったジェット機に仲里依紗が乗っていることを知っている。ツイッターかな?ラインだ!
 いろんな人がいろんな人に根拠もないのに約束ばかりしている「大丈夫よ!」て。
 救助が始まると急に停滞。仲を助ける佐藤慶太、機長を助ける伊藤英明、力を入れている風の顔だけ演技が長い。
 伊藤、海の中なのにゴーグルをつけていない。顔を見せたいのかな。
 邦画にありがちなんだけど、主人公が演技しているときはみんなが待っている問題。映画『藁の楯』(8/29掲載)ラストにも顕著に現れていた。この海猿でも、ジェット機の機体が海に沈むと、みんな船の上でぼーっと突っ立っていましたねえ。動こうよ。レスキュー隊員なんだから。
 ところが主人公の伊藤が飛び込むことになると、みんな飛び込むことに。潜水病の問題とかはどこに行ったんですかねえ。
 佐藤慶太、海の中で生きていましたねえ。あれでは笑えますねえ。ちょっとひどいと思ったのは、佐藤を助けるのは伊藤一人で助けるんだよねえ。合図して伊原剛志と助けるんじゃないんだ。浮力がついているとはいえ、一人で作業させる意味がわからない。
 大輔(伊藤英明)って煙たがられていたけど、本当に嫌なやつなんだとこのシーンで思った。
 仲里依紗の結婚を断る理由も、とほほ。こんなセリフに喜ぶ観客がいるんだろうなあ。みんなすごいな。関心、かんしん。

満島ひかりと中村映里子のゆり映画『カケラ』

 安藤モモ子脚本監督映画『カケラ』(2010年公開)を観た。退屈、一部魅せる部分あり。
 これも物語に全く関係しないイメージの羅列がある。監督は自己満足でいいかもしれないが、観客は困る。なぜ困るか?観客はこの映像に意味があるんじゃないかと読み取ろうとする。映画を最後まで見ても物語の筋に全く関係しない映像だったことがわかる。つまり、意味を読み取ろうとした努力が完全な徒労だと解る。げんなり。意気消沈、駄作だな、という思考回路が働くわけだ。
 ただ、物語に関係しないイメージの羅列を完全否定しているわけではない。洋画『去年マリエンバートで』のモノクロ映像は物語に関係しないけど素晴らしいし、『リベリオン』の照明だけで演出する銃撃戦も素晴らしい、『マトリックス』のマシンガン撮影も素晴らしい。どれも普通に撮っても映画は成立するけど、それだと観客の記憶に残ることはない。
 物語に関係ないイメージを挟み込むとき、それちゃんと観客に伝わってる?監督の自己満足じゃない?と思うわけ。
 『カケラ』にもイメージが多い。それも無意味な。自己満足的な。例えば、満島ひかりが映画内で初めてピンクのワンピースで出かけるシーン。財布を忘れて一個のみかんを買い、そのみかんを空中に投げながら近所をぶらぶらする。そうかなあ?これまでズボンしか履かない女がワンピースで出かけるときはおめかししてちゃんと準備して誰かに見られる都会に出ないか?
 女に対する演出はかなり辛辣。ドアを開けぱなしの満島のトイレシーン。公衆便所内での生理ナプキン取替えシーンなど、絶対に撮らない、撮りたくない映像も確信犯的に撮っている。後、満島のヌードでワキ毛がうっすら生え始めている映像もある。
 良かったシーンは、中村映里子と満島の居酒屋での喧嘩。満席でざわついている居酒屋内。二人が辛辣な言葉でボルテージが上がるに連れて、店内が静かになっていく。ここはなかなかうまい。
 中村の実家の二階に二人でいると、ふすまがあき志茂田景樹がひざまずきでいる。「おばあちゃん」には笑った。志茂田の使い方として百点。
 中村の仕事がシリコン?を加工して身体欠損部分を埋めるメディカルアーティスト?という仕事をしていること。同性愛でタチ担当が他人の身体欠損を埋めている。この設定はかなり意味深。
 物語が収斂するわけでもなし、満島の取ってつけたようなラストの映像だけを見せられても別に成長しているとも思えないし、どんな観客を相手してこの映画は作られたんだろう。
 ゆり映画といえば『blue』(8/7掲載)や『1999年の夏休み』(6/14掲載)を思い出す。この二つは、性衝動の萌芽や迷いがレズ行動として表現される(ただし『1999年の夏休み』はもっと複雑)。だから青春映画としてみれる。

もし女優の事務所社長だったら論

 9/27放送TBSラジオ「東京ポッド許可局」で「もし女優の事務所の社長だったら論」ということで、各自五人だけ好きな女優の名前をあげていた。

サンキュータツオ
原田美枝子、中嶋朋子、真木よう子、宮沢りえ、武井咲

プチ鹿島
優香、満島ひかり、土屋太鳳、近藤春菜、蒼井優

マキタスポーツ
沢尻エリカ、永作博美、戸田恵子、忽那汐里、吉高由里子

 この中で注目は優香。映画『輪廻』(5/31掲載)を見れば、苦境の中から立ち上がる女性の役が非常にうまいことがよく分かる。これに母親役が加われば、母性という完全な正義感を背負うことができるので、映画内での壮絶な優香いじめが可能になる。三池崇史あたりが、優香を主人公にした暴力映画を撮ってくれないかなあ。

マツダファミリア大活躍、映画『幸福の黄色いハンカチ』

 山田洋次監督映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年公開)を観た。さすが、名作。よく出来ている。
 武田鉄矢がものすごいオーバーアクションとハイテンションで演技するので最初は嫌になるが、一応、これも映画後半85分以降の展開に効果があることで、よく考えられた演技設定。
 マツダのファミリアが大活躍する。これほど商品宣伝をあからさまにやっている邦画を未だ観たことがない。ラジオからはファミリのCM。タイアップ映画として金字塔。
 この映画の特徴だと思うのだが、物語の展開の緩急が実にうまい。映画冒頭、三人が食堂で出会うシーンがあるのだが、なんと、そこでは面識のある出会わせ方をしない。その後、海岸で写真をとるためにやっと三人は会話をする。映画後半、元妻(倍賞千恵子)の待つであろう家に戻るというので、ウキウキした曲を流しながら車は進むのだが、高倉が駄々をこねてやっぱり行かないことになりUターン。しばらく走ると、桃井かおりが高倉を説得、家に向かうことになり、また、ウキウキしたBGM。と、緩急というのか上げ下げというのか、映画的に自由自在。素晴らしい腕。
 ただうるさいだけだった武田、三人で蟹を食うシーンで話芸が炸裂、武田のべしゃりだけで場面をもたせている。その後、武田の性格設定は無口になり物語も深刻に。映画の雰囲気を武田のセリフ量だけで調節している。こんな演出方法があったのかあ。すごい。
 撮影で特徴的なのは北海道という広々としたロケ地だからこそ出来たことだろうけど、車窓風景が綺麗だし、実写で撮っているのが素晴らしい。映画『湾岸ミッドナイト THE MOVIE』(9/24掲載)のように、車が主役なのに車窓風景が合成まるわかりだと興ざめする。
 黄色いハンカチが妊娠を示す記号であり、流産により離婚することになる過去が語られるという、前フリでもあり、過去の説明シーンでもあるといううまさ。出所した人物の心理描写としてのラーメン屋でのビールの飲み方、久しぶりに寝る布団では、布団に顔をうずめて匂いをかぐシーンなど、実に丹念でうまい。
 倍賞の元へ向かう車載カメラの映像を長めに撮っており、車内ノイズに蛍の光をかぶせる。目的地につくと、カメラはローアングル、足元から車の周りを360度回り込みながら人物を撮る。不安な表情も写り込んでいるのだが、背景も同時に高速で全周移動。「黄色いハンカチはあるのかないのか」と観客に期待させる演出と映像。実にうまい。
 重要シーンにかぶせるバイオリンの第一音が『男はつらいよ』と一緒。急に寅さんを思い出す。渥美清出てるし。
 映画としては男2女1のロードムービーであり、前科者の更生でもあり、旅で出会った男女の恋物語でもある。その全てが、ちゃんと成立しているというのはすごい。映画の教科書のよう。

梶芽衣子のたそたそした黒髪、映画『女囚701号 さそり』

 伊藤俊也監督映画『女囚701号 さそり』(1972年公開)を観た。面白い。
 映画冒頭は国旗から始まる。葦原を走る女二人。警察?が追っている。お腹お押さえ立ちすくむ女。太ももに流れる鮮血。うーん、性的記号がプンプン出てますねえ。
 麻薬捜査の刑事杉見(夏八木勲)に恋をした女・松島ナミ(梶芽衣子)。ナミは杉見の捜査に協力して暴力団組織の中に潜入するのだが、疑われて身ぐるみ剥がされて強姦される。ところが、杉見と暴力団は裏でつながっておりナミは自分がはめられたことに気づく。で、刑務所内での苦難を乗り越えてシャバで恨みを晴らす。
 と、まあ、女の負の成長物語として面白い。恨みを晴らすために多数の人が犠牲になる。屍を乗り越えて目的を達成するという表現になっていて映画的面白さもたっぷりある。
 さすがに70年代映画なのでアクションシーンは稚拙だったり雑だったりで微笑ましさも発生する。
 囚人服がワンピースとはすごい発想。ただ単にひんむいて女の裸を出しやすいという安直だけどやってしまうところがいい。入浴シーン、レズシーンなど裸多し。総おっぱい数では映画『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(9/6掲載)を超えている。
 独特なのは映像表現。杉見とナミの目合シーンで白いシーツに鮮血が国旗のように広がる。国旗が映画の重要なアイテムとして使われている大島渚監督の『少年』を思い出す。
 暴力団に強姦されるシーンはガラス床越しの全体像をとったり、呆然とするナミのバストショットがコマ落としで背景が赤くなり髪が逆立ちカメラ目線になる映像はホラー映画ですらある。
 ラスト、屋上でのアクションは靴音だけを目立たせる音作りが、ナミがヒタヒタと迫ってくる感じを表現していて実にうまい。
 やはり、この映画を成功させているのは梶芽衣子。実に絵になる女優。黒髪が風になびいてたそたそした感じが実に綺麗。睨みつける視線が上向きでも下向きでもどちらでも綺麗に撮れるというのもすごい。映画『愛のむきだし』(9/13掲載)でパロディとして使われた梶芽衣子の黒尽くめのファッションは様式美ですらある。映画内で流れる「恨み節」も効果的。

新造人間は河童かと思った、映画『CASSHERN』

 紀里谷和明監督映画『CASSHERN(キャシャーン)』(2004年公開)を観た。実写とCG、物語に整合性を求めなければ最後まで観れるけど。
 雲の中を抜けるとCGによる都市映像。アニメ作品だと思い込んでみていたら、寺尾聡の顔のアップ。実写作品だとわかった。それほど違和感がある。なんていうのか、アニメ映像の中に人がいるみたい。最初からその辺の整合性は放棄している。
 物語は色んな物を詰め込みすぎ欲張りすぎて何が何だかとっちらかっている感じ。
 新造人間キャシャーンになる伊勢谷友介は戦争で悩んだ後は二役で存在。まあ、精神と肉体、機能と構造の分離が表現したいのだろうけど、尺が長い。
 伊勢谷、戦争で悩んでばかりいるし、敵は連邦軍なのか新造人間の唐沢寿明なのか分散しているので、戦っていても爽快感もなければ、伊勢谷を応援する気にもならない。
 唐沢が初めて画面に現れる水から登場するシーン、本当に河童かなと思った。
 なぜそんな高度な都市があるのかもわからないし、そこに何故向かうのかもわからない。そおもそも唐沢はなぜそんなに強いのか?
 ムダなシーンというか捨てシーンも多い。例えば、麻生久美子が汚染地域で気を失うのだが、その後、別に普通に行動する。ただ、三橋達也を出すためだけのシーンにしか見えない。ラストの見せ場で伊勢谷が大きな古時計にしがみつくのだが、それが何で何をしようとしているのか、前フリも説明もないので何の緊張感もない。
 とまあ、いろんなことを期待をしなければ、見れるけど、140分もあるよ。

監督の自慰に付き合わされる俳優も大変、映画『罪とか罰とか』

 ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本監督映画『罪とか罰とか』(2009年公開)を観た。恐ろしくつまらない。
 その場限りのでろでろばあのギャグが寒い。ほとんどがそういう連打。映画的笑いはほとんどなし。監督のオナニー的映像の数々。ただただつまらない。
 散らかっていた映像の回収や申し訳程度の社会批判風セリフも散りばめだれているんだけど、だから何なんだ?つまらない映画はどうやってもつまらないだろう。
 これだけの俳優集めて、情けないというか、邦画は自由でいいねえ。
 どれほどつまらないか気になる人は見ればいいけど、人生の2時間もムダにすることになるよ。それだけは肝に銘じておかないと。

本当に火星人だったんだ(hi)、映画『催眠』

 落合正幸監督映画『催眠』(1999年公開)を観た。菅野美穂がからむラストは必見。
 映画冒頭、脈絡なく挟まれる短いショットの連続。ライティングとか演技がテレビドラマ風で、駄作の予感がしてくる。
 誰もが気づくことだが、刑事役宇津井健の性格設定が異様で変。他の出演者の性格設定が変なのは後々の展開を考えてありなのだが、宇津井の性格設定の意味がわからない。ものすごくオーバーアクションでセリフも大声だし、なんと時々暴力性も見せる。後々の展開を考えると静かで思慮深い人だけどそういうことに巻き込まれるとそういう行動をとってしまう、という展開のほうが効果的だと思うのだが。とにかく映画の中で宇津井がうきまきっている。
 とまあ、謎とイメージがばらまかれて何が何だかという映画かなあ、と思っていると、75分ごろから怒涛の展開と思わせぶり映像の連打。なんと本当に火星人だった(hi)!
 稲垣吾郎の恋心なんかもからんでいて、なかなか魅せる。一山越えて後の、スタジオ内に作りこんだようなすがすがし病室も効果的でうまい。

コンプレックス+性欲=大量殺人、映画『妖刀物語 花の吉原百人斬り』

 内田吐夢監督映画『妖刀物語 花の吉原百人斬り』(1960年公開)を観た。面白い。
 守刀と文を携えた捨て子。育ての親の跡をつぎ、織り子を使い機織りで布を織っている。捨て子を拾う場面と大きな屋敷内の次郎左衛門(片岡千恵蔵)に関するうわさ話だけで、次郎の境遇と性格が分かる作り。うまい。
 次郎は江戸に登ったおり人生で初の吉原の門をくぐる。次郎の顔の痣を気にも留めない玉鶴(二代目水谷八重子)と出会い入れ込むことになる。ここで顔の痣にキスをする演出が非常にうまい。それも直接撮るのじゃなくて、玉鶴の頭越しに撮るところが実ににくい。
 で、玉鶴の人生もちゃんと描かれていて岡場所上がりで吉原で差別される中、成り上がっていく過程や次郎をうまく利用していく理由もちゃんと描かれている。美人じゃないけど蓮葉な役が表情と動作から出ている水谷はうまい配役。
 タイトルでネタが割れているけれど、金の切れ目が縁の切れ目、次郎の商売が天候不順で資金繰りが上手くできなくなると手のひらを返すように吉原の旦那、女将、玉鶴が冷たくなる。
 万策尽き屋敷に帰り身辺整理を済ませ治六とお咲の祝言をあげる。このへんの、次郎のキャラクター設定もなかなかにくい。
 玉鶴が二代目八ツ橋太夫となった披露の道中、脇で見守る次郎。観客のうわさ話で最初から自分が完全に騙されていたことがわかると、これまで耐えていた感情が爆発して、カタルシス、大団円に突入。お見事。
 コンプレックスから性欲を持て余し大量殺人にいたる映画としては他に『丑三つの村』(6/4掲載)がある。日本の村社会、期待された秀才のコンプレックスと性のはけ口が歪んだ形で吐き出されるのは必見。

殺人鬼の妄想?映画『稀人』

 清水崇監督映画『稀人(まれびと)』(2004年公開)を観た。恐怖感の前に低予算感が出ていて、最後まで見続けるのは忍耐を要す。
 映像関係の仕事をしていると思われる男(塚本晋也)の独白で始まる。
 恐怖について語りだし、映像的な恐怖場面などを散りばめるのだが、塚本だけの一人芝居と独白が長くて飽きる。
 男は東京の地下を探検することとなり、と、この後物語はかなり変転して、最初の恐怖についての主題はどこへやら。
 殺人鬼の妄想だったという落とし所が最もすっきりするのだが、最後に地下に降りて行って恐怖を示そうとするのは蛇足。
 この映画も殺人事件が起こっているのに警察が動かない邦画あるある。映画『白ゆき姫殺人事件』(9/20掲載)同様、テレビ番組の中に警察らしきものが映るだけ。手抜きの手法が流行りなのか蔓延しているねえ。
 塚本が出ているからなのか4足歩行の怪物みたいなものが出てくる(例、塚本監督映画『悪夢探偵』(4/13掲載))。

売春婦を綺麗に撮らない、映画『赤線玉の井ぬけられます』

 神代辰巳脚本監督映画『赤線玉の井ぬけられます』(1974年公開)を観た。エロくない売春婦たちの群像劇。
 売春宿で働いている売春婦をエロくも美しくも撮っていない。手持ちカメラがトイレの中まで入っていく。どちらかと言うと生態観察の視点が入っている感じ。映画『濹東綺譚』(9/23掲載)と比較すると差は歴然。撮る基本姿勢が真逆。
 これだけ動画が世の中に蔓延している今の時代の眼からすると、性表現はぎこちなく不自然。服を脱がない、布団がかけたまんま、首筋ばかりなめている、など、人間工学的に動きが変で興ざめする。
 映画冒頭で挟まれる現在の天皇が皇太子時代のテニスをしているモノクロ写真。イラストによる紙芝居。店の客に君が代を口笛で吹かせたりする。国家観を売春宿にまで引きずり下ろすギャグは挑戦的で評価できる。
 物語は、客の数の新記録に挑戦する直子、ヤクザに金を貢いでいるシマ子、客がつかないので店を変わるように店の女将から催促され自殺を日課にしている繁子、結婚で売春から足を洗ったのに日々の性生活に満足できず戻ってきた公子、以上四人の群像劇。楽しいわけでも満足しているわけでもそれでいて落ち込んでいるわけでもない男女の目合が割りと淡々と済まされていく。

ご都合主義と意外なこだわり、映画『湾岸ミッドナイト THE MOVIE』

 室賀厚監督映画『湾岸ミッドナイト THE MOVIE』(2009年公開)を観た。ご都合主義だが最後まで観れる。
 車が走っているだけの薄っぺらい映画なんだろうなあ、と思ってみたら、そういうところも確かにあるけど、予想を裏切る展開やドラマ部分にこだわりがあったりで、最後まで観れた。
 まず、徹底しているのが、医者で黒いポルシェに乗る島達也(加藤和樹)の独白で物語が進行すること。冷徹で感情を表に出さない性格と職業設定が進行役としてうってつけ。観察者としての立場も兼任している。
 役者で目についたのはメカニックの佐田正樹。
 後半意外な展開。S30Zが乗り逃げされる。逃走中、コーナーで逆ハン決めるのには笑った。埠頭では走る車から車外に脱出というアクションまで決める。どこでそんな能力の身につけたんだ?アクセルをどうしたのかわからないまま車は走る続けるというご都合主義。笑えるから許す。
 ご都合主義が嫌なら映画『疑惑』(3/17掲載)は必見。アクセルの謎が検証されている。
 S30Z前所有者の妹、高校の女教師、売り出し中のアイドルと車に群がる女も一応性格設定までちゃんと出来ているし、車なのか男なのか、恋愛感情があるのかないのか微妙なところもいい。
 ここからは悪い点。うーん、やはり走行中の車窓風景が合成であることがまるわかり。これはかなり辛い。これはもう予算の関係でしょう。
 後、警察が全く出てこない。【駄作(恋愛)邦画五箇条】(9/23掲載)にも書いたけど、ご都合主義が目に余る。
 邦画でヒーロー物を作る予算もメンタリティもない、と言っていたのは三池崇史監督だったかな。邦画では銃撃戦もウソっぽい。リアリティをギリギリ保てるのは猟奇殺人とカーチェイスかなという気がする。

【駄作(恋愛)邦画五箇条】

【駄作(恋愛)邦画五箇条】

1、英語の曲がかかる。
『八日目の蝉』(3/18)

2、登場人物の気持ちや名前、年齢、職業などを映像でなく字幕で説明する。最近ではメールやツイターなども字幕で表示される。
『リリィ・シュシュのすべて』(3/25)『阪急電鉄 片道15分の軌跡』(5/2)

3、事件が起こっても警察が出てこない捜査しない。
『重力ピエロ』(8/23)『白ゆき姫殺人事件』(9/20)

4、カップル同士の病気(障害)対決になる。癌VS交通事故とか。
『100回泣くこと』(7/1)『愛する』(8/22)『Dear Friends』(8/4)『bird call』(9/18)

5、病気が重要なテーマなのに手術シーンがない。手術前、手術後の外見に変化がない。
『天使の恋』(6/30)

6、カップルの精神年齢がものすごく低い。
『落下する夕方』(8/1)『ただ、君を愛してる』(7/4)

自然に撮るとものすごく不自然、映画『好きだ、』

 石川寛脚本編集監督映画『好きだ、』(2005年公開)を観た。こういうのはもうたくさん。
 河原に佇む高校生ふたり、宮﨑あおいと瑛太。セリフのない間が非常に長い。画面が揺れたりショットがぶつ切りになる部分もある。
 映画冒頭を観て思い出すのは映画『ペタルダンス』(7/11掲載)『ふゆの獣』(9/11掲載)。どちらも映画の定石を破って日常会話のようなとりとめのない台詞回しをしているのだが、これが映画にするとものすごく不自然。
 『好きだ、』の46分まではまだ我慢できる。思春期の心のなかを言語化出来ない苛立ちと、気持ちを行動に移せない情けなさが、不自然な長回しやセリフ回しとシンクロしているので、ひとつの表現方法として受け入れることはできるし、なんとか画面を観ていられる。
 だけど、46分以降。大人になった西島秀俊の長回しは、ものすごく退屈。同僚とか、酔った女との会話とか、ただただ退屈。
 ラスト近くに意外な展開があるけど、場当たりすぎて意外すぎる。病室では、それを言うために100分も引っ張ってきたのかあ、と肩すかし。
 お姉ちゃんは昏睡状態、男は大怪我。この映画もまた駄作邦画の条件の一つを満たしている。

【駄作恋愛邦画五箇条】
1、英語の曲がかかる。
2、登場人物の気持ちや名前、年齢、職業などを映像でなく字幕で説明する。最近ではメールやツイターなども字幕で表示される。
3、事件が起こっても警察が出てこない捜査しない。
4、カップル同士の病気対決になる。癌VS交通事故とか。
5、病気が重要なテーマなのに手術シーンがない。手術前、手術後の外見に変化がない。
6、カップルの精神年齢がものすごく低い。

戦時中でも悪所通い元気だねえ、映画『濹東綺譚』

 新藤兼人脚本監督映画『濹東綺譚』(1992年公開)を観た。退屈だけど、一応最後まで観れる。
 永井荷風(津川雅彦)が日記を書き独白形式で物語が進行する。永井の日常が描かれているだけで特に劇的なものが起こるわけではない。性に対して貪欲だったようで性描写は頻繁に出てくる。まあ、他人の下のことなのでどうでもいいのだが、多数の女性と交わることを文学のためといちいち言い訳するのはケツの穴が小さいなあと思う。
 騎乗位でSLの連結映像を挟み込むのは笑った。性描写場面では隅々まで光の当たった映像でかなりがっかり。永井の自宅は陰影に富んだフィルムライクな実に良い映像を撮っているのに、肉欲シーンをてかてかにして白々と撮るのは意図的なのだろうけど、観る方としては興ざめ。
 馴染みになった売春婦と結婚の約束をして捨てるシーンは、卑怯者度合いのピーク。戦争で負けそうなのを日本政府の悪政のためだと批判するのだが「お前に言われたくはないよ」と突っ込みたくなる。
 戦時中こんな生活を送れる人がいたという、戦時中を描いた映画にしては異色かも。

ぶらり放射線汚染地域の旅、映画『家路』

 久保田直編集監督映画『家路』(2014年公開)を観た。最後まで観れる。
 放射線汚染による立ち入り禁止区域(警戒区域?)に実家を持つ家族の物語。実家を出て行方しれずだった弟(松山ケンイチ)が、実家に入り込み農業で生活を始める。警察や兄(内野聖陽)の妨害に遭いながらも母親(田中裕子)と共に実家での生活を開始する。
 と、まあ、弟の視点から見れば、そうなんだが、兄の視点にしてみると。福島第一原子力発電所事故の影響で実家を追われ農業ができずにやることがない毎日。仮設住宅に母親と妻(安藤サクラ)子供の四人ぐらしで、妻とは車上目合(まぐわい)をしたり、ホテルであっていたりする。そのうち母はボケてくる。そんな時に、弟の帰郷を知り、、、
 450本以上邦画を観てきたが原発事故のあった福島を取り上げた映画は初めて観た。映画『R100』(7/20掲載)で「あ、地震」というセリフがあったのと、『しあわせのパン』(8/8掲載)で被災したことを話す老夫婦が出てきただけ。
 そういう意味で、観る価値はもちろんある。もっとも目を奪われるのは松山と友人がバイクで禁止区域内をドライブするシーン。何気ない車載カメラからの映像と思われるのだが、無人の街がどんどん崩壊、朽ちていくさまが、記録されていて怖い。今後、人口減少により、日本の各地にこのような地方都市が出現する可能性大なので、このシーンはSF映画としても見れてしまう。
 ただ、邦画の特徴なのか、陰にこもるというのか、叙情的というのか、責任追及もなければ、誰かを巨弾するわけでもなくて、立ち入り禁止区域に居座ろうとする人物を描いているだけにも見える。
 映画なんだから、電力会社に火をつけてもかまわないし、警察と殴り合いのアクションがあってもいいはずなのに、そんなことは全く起きない。
 まあ、敗戦で人がいくら死んでも『天皇暗殺』とか、『アメリカ兵殲滅作戦』なんて映画は出来なかったわけだから、期待するほうが無理ということか。
 田中裕子が『はじまりのみち』(7/11掲載)同様、母親役でまた山道を登っている。この次は『楢山節考』のリメイクに起用されるはず。

かとうれいこ主演、映画『女教師仕置人 地獄の女神』

 内田安夫監督映画『女教師仕置人 地獄の女神』(1990年製作?)を観た。作りは雑、かとうれいこファンなら。
 ビデオ映画(Vシネマ)と思われる。映画冒頭、これまでのあらすじが6分間も語られる。前編があるようなので調べたら『女教師仕置人 復讐の女神』があるようだが、未見。
 映画としての作りは雑。高校のグラウンド横の木立の下で男が女子高生を人質にとる。首にナイフを突きつけている。かとうれいこがレオタード姿で登場。で、首筋のナイフを長々と撮る。引きの全体映像になると、あら不思議!周りは日が落ちて夜になりライトがついている。素晴らしい。いろいろ撮影準備に手間取ったのだろうねえ。映画作りって大変だねえ、と苦労が忍ばれる。
 物語に気になったことがある。この『女教師仕置人 地獄の女神』の登場人物は三姉妹に男一人(川崎麻世)という構成。この組み合わせ何処かで観たなあ、と思った。そう、映画『招かれざる客』(9/13掲載)も三姉妹に男一人。うーん、この人物構成は物語が描きやすいのかなあ。と思ったら、内田安夫による作品だった。
 『女教師仕置人 地獄の女神』は水着、レオタード、ワンレンボディコンと頑張っているのにエロくない。陰影の乏しいライティングとビデオ映像であること、虐げられる場面も薄いし、三姉妹による男の取り合いによる嫉妬というのも描かれないし、とかなり蛋白で、肌の露出に形やファッション以外のものを感じることが出来ない。
 かとうれいこの全盛期が観たいという方ならどうぞ。

刃物男ご乱心、映画『オトコタチノ狂』

 ジョイ・イシイ脚本監督映画『オトコタチノ狂』(2005年公開)を観た。ワンルームに男五人は飽きる。
 ワンルームの男の部屋に侍四人が乱入する。時代、文化ギャップで生じる面白さを狙った作品でもあり、狭い室内の会話劇でもある。
 出だしは、すごく興味を引く。だが、侍四人の氏素性が分かり始めてから、会話だけで場をもたせるのは無理があり、飽きてくる。特に、日本史に興味が無いとかなり辛い。
 夢も希望も持たない現代日本男児に嘆いてみたり、文化的差異に驚いてみたり、と演出を頑張ってりるけど、さすがに狭い室内だけでは、出尽くした感じ。
 物語の流れで疑問を感じるのは、映画冒頭で主人公が、あの人達に出会って変わった、みたいな独白による回想がある。なのに、ラストのお墓は何なのだろうか。主人公の生死があやふや。つじつまが合っていないというか、意味不明。
 侍が現代にタイムスリップという話しなら映画『ちょんまげぷりん』(3/27掲載)がある。こちらのほうが、かなり出来がいい。

オートバイの音がサラウンド、映画『ゲゲゲの女房』

 鈴木卓爾監督映画『ゲゲゲの女房』(2010年公開)を観た。最後まで見れるけど、もう一つ盛り上がりがほしい。
 水木しげるが貸本屋向けの漫画を描いていた時代、貧困の時代を妻(吹石一恵)の視線から描いていている。
 当時の貧乏生活、家屋内部の質感は素晴らしい。てかてかしていて光が隅々まで届いていて、これスタジオで撮っているじゃん、というテレビドラマや邦画にありがちながっかり感はない。
 それに比べ、野外ロケは意図的らしいけど、ガードレール、ビニールハウスや鉄塔が写り込んでいる。だけどなあ、やっぱり手抜きにしか見えない。
 淡々と描くという姿勢はわかるけど、夫婦げんかも殆ど起こらないし、出産シーンもなくすぐ子供ができているし、と演出に抑制されたというか平板な印象を受ける。
 後、残念なのは映画『コワイ女』(8/21掲載)第2話「鋼」を撮った鈴木なのだから、出てくる妖怪はもっとハチャメチャにやっても良かったのでは。夫婦の現実が淡々としている代わりにお化けのシーンや、戦場で片腕をなくすシーンは豪華に行って欲しかった。
 前半、突然、画面に侵入する南果歩は面白かったのに、その後は登場シーンなし。
 108分頃、夫婦が漫画を描いている映像に野外の環境ノイズとしてオートバイの音が入るのだが、左の遠くから画面手前を横切って右へ消えていく。ステレオのヘッドフォン再生でサラウンドしてくれる。
 水木しげる役の宮藤官九郎、妻役の吹石一恵の渋い良さが出ているだけに、南果歩、お化け、戦争の虚構側にもうひと盛り上がりあれば、良かったと思うのと、やはり野外の時代考証に合わない映像は消すべき。

字幕で説明、警察が動かない、映画『白ゆき姫殺人事件』

 中村義洋監督映画『白ゆき姫殺人事件』(2014年公開)を観た。退屈。
 殺人事件が起こる。制作会社映像ディレクター赤星(綾野剛)がテレビ番組制作のために被害者の働いていた会社関係者にインタビューをしていく。ここまでは面白い。社員によって被害者の見方が微妙にかわり、それを再現する映像でも登場人物や立ち位置や表情を変えていて、引き込まれる部分はある。
 ただし、インタビュー対象者が、会社を離れ容疑者の友人や田舎の近所の人、実家となってくると、インタビュー映像がうそ臭くなってどんどんつまらなくなる。その映像を素材としたワイドショーも二度目になると、わざとらしく、このへんで飽き飽きしてくる。
 特に興ざめなのは、容疑者の憧れているバンド。映画の中でこういうのが出てくるととにかくうそ臭くなって、恥ずかしくて下を向くしかない。例、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』(7/21掲載)
 邦画の最近の犯罪映画でとにかくダメなのは警察が描かれないこと(例、『重力ピエロ』(8/23掲載))。殺人事件が起こっているのに警察映像はテレビ番組の中だけ。映画の中で警察の役割を赤星に肩代わりさせているわけだが、そんなこと先に警察が済ませているはずだし、番組作りには裏取りするはずで、いちディレクターの責任だという映画の結論は物事を矮小化しすぎている。
 この映画最大の欠点は、これまた最近の邦画にありがちな、映画の内容を文字で説明すること。ツイッターの書き込みが頻繁に挟まれる。真実を離れて報道関係とSNSによって作り上げられていく冤罪という意味が示したいのはわかるけど、ディレクターによる情報垂れ流しというのも馬鹿すぎる。職員の心理描写として利用しているだけで、文字情報として表示する意味が殆ど無い。逆に言うと、字幕をなくして心理描写をきちんとしたほうが、いい映画になっていた。
 つまり、ツイッターの字が邪魔で感情移入を妨げているんだよ!バカ。
 テレビ番組のはずが映画の現実映像が入り込んできてナレーションはテレビのナレーターがしゃべるというぐしゃぐしゃな演出と設定。狙いなんだろうけど、いい加減でつまらない。
 容疑者と疑われた井上真央の逃げている理由がそれなの?つまんねーぇ。ラストがローソクかあ、泣かせるねえ。見事に小学生レベル。
 常識の欠けたぼんくらディレクターを綾野剛が好演している。キャラ設定もあるけど、本当にこいつダメじゃん、と思わせる演技力。

仲間由紀恵の旦那が出ています、映画『いちばんきれいな水』

 ウスイヒロシ監督映画『いちばんきれいな水』(2006年公開)を観た。退屈、作りも雑。
 寝たきりの加藤ローサが立ち上がった映画冒頭部分がこの映画のピーク。それ以降は失速して、退屈なだけ。
 邦画にありがちな病人を出して、その上その病人の知能が低く、それに合わせて映画を作るという、昨日も書いたけど(『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』9/19掲載)、ただただ、映画製作者の手抜き、映画作りの稚拙さを隠ぺいするためだけの設定で、こういう映画を観ると「邦画は終わっている」ということを確信する。
 真理子の設定違和感ありあり。なぜそこにいるのか何のために出てくるのか。設定そのものに違和感あるのにカヒミ・カリィという配役、二重苦でかわいそう。
 パンツが見えた、と言っているのに加藤ローサのパンツが見えているところ撮らないし、二度目に地下プールが映ると立って歩ける深さしかないことが判明するし。作りが雑。
 洋画『ニキータ』のパロディとか、エンドロールの見きれるシーンとか、本当につまらなすぎて蛇足。
 仲間由紀恵の結婚相手、田中哲司が父親役で出ている。そのくらいしか観るべきものがない。

邦画にありがち登場人物が低能、映画『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』

 鶴見昴介監督映画『ムーンライト・ジェリーフィッシュ』(2004年公開)を観た。志が低い。
 邦画にありがちな、映画の中に能力の低いもの、精神障害者、身体障害者、病人、など、を出して、その人物に映画の基準を合わせ、映画の出来のいびつさ稚拙さ下手くそさをオブラートに包んで観客を騙そうとする手口、がこの映画にも見て取れる。
 知恵遅れを出すんなら、登場人物を知恵遅れに合わせるのではなく、ヤクザ社会だったり病院の描き方に基準を合わせろ。知恵遅れや病人は映画製作者の手抜きの口実じゃねえぞ。バカ!
 色素性乾皮症の上、知恵遅れの弟。出ました病気もの。防護服のデザインがダサすぎる。室外機のようなものを背負っている。その格好で小児麻痺のような歩き方をさせる。この映画の関係者とこの映画を見て感動している観客の共通認識が恐ろしすぎて寒気がする。
 室外機のようなものは空気清浄機なのかなあ。花粉症なのかなあ。映画後半部の海のシーンではなずしているし。空気が綺麗なら外してもいいのかな。病人出すんだったらちゃんと説明したら。
 とにかくいい加減なのは暴力団と構成員のセイジ(藤原竜也)の描き方。一目置かれている理由が押しが強いから。たったそれだけ。ただの無鉄砲にしか見えないですけど。藤原のアクションシーンすらない。
 先に書いた病人(木村了)が弟なんだけど、藤原、介護に忙しいんだよねえ。そんな暇なヤクザいる?組の事務所でも弟の介護しているし、そりゃあ、中国マフィアに島取られるわ。
 その藤原の演技も、舞台の上そのもの。息が荒い、動作もセリフも大仰。外見がホスト風で、スーツがダボッとしている。髪はライオンカット。うーん、かっこいいか、これで?目的がわからん。
 看護婦の岡本綾も仕事している場面はほとんどなし。緊急治療室では泣き出すし。これまた出来の悪い人物設定でレベルを落とす。
 岡本が「私も両親がいない」と告白するとキスしてベットインって、ここの流れはスピーディー。だが、おっぱいすら出てこない。この映画に何の価値が有るのか?
 「日本は中国の真似ばかり」中国マフィアのセリフだけがかっこいい。良かったのはここだけ。
 泡のCGと知恵遅れで思い出すのは映画『劇場版 ATARU THE FIRST LOVE & THE FAST KILL』(9/6掲載)。これも志が低かった。邦画の低能ぶりは恐ろしくなる。

悠揚迫らぬ物語と映像、映画『珈琲時光』

 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督映画『珈琲時光(こーひーじこう)』(2004年公開)を観た。退屈だけど最後まで観れる。
 映画冒頭、小津安二郎生誕百年記念の字幕が出る。
 物語といえる物語はない。一青窈が妊娠したことを両親(小林稔侍、余貴美子)に打ち明ける。実家とアパートの間の行き来や、ライターとしての仕事、古書店友人(浅野忠信)との付き合いなどが、ただ映っている。物語性は殆ど無い。
 特徴的なのはまずカメラ位置。室内では腰の位置でほとんど固定。時々パンするくらい。一青窈の顔のアップは一か所だけ。野外では目の位置。望遠、引きの絵が多い。そのせいなのか、野外撮影、駅や雑踏の中なのに群衆が一青窈もカメラも全く意識していない。びっくりするほど。このために主人公を一青窈にしたのかも。それほど面が割れてないということで。
 映画の中の一青窈を初めてみた。普通な感じがちゃんと演じられていて、女優もやれるんだ、と関心。
 普通な感じを狙った映画といえば『ペタルダンス』(7/11掲載)と『ふゆの獣』(9/11掲載)を思い出す。この二つはただただ飽き飽きしながら観ていた。自然な感じが鼻につくから。それに比べ、『珈琲時光』はちゃんと映画として最後まで観れた。この三つの作品、比べてみると映画として「自然に撮る」ってどういうことかがわかる。

演出、セリフに光るものあり、映画『OUT』

 平山秀幸監督映画『OUT』(2002年公開)を観た。期待しなければ最後まで観れる。
 物語は弁当製造工場で働く女四人が犯罪に手を染めて、逃避行するまでを描く。
 弁当工場の雰囲気が実にいい。女だけの職場で会話があけすけ。原田美枝子に旦那のことを訊かれた倍賞美津子が「ちんちんが服着ているような人だった」には爆笑。女四人のセリフ回しは自然で違和感がない。
 原田、倍賞、室井滋、西田尚美とみんな実に安定した演技をしている。びっくりしたのは、原田美枝子。日常生活で頑張る人は犯罪も頑張っていしまう役をうまくこなしている。
 日常生活の殺伐とした感じも実にうまい。賭博にはまった亭主から暴行を受ける西田。リストラされた亭主と口を利かない息子がいる原田。カードローン地獄に陥る室井。介護に忙殺される倍賞。と、各人の立場もちゃんと描かれている。
 ただなあ、惜しむらくは犯罪に加担する動機が薄い。夫殺しの手助けを原田がしてしまう件は、やはり説得力がない。後、人体解体シーンがソフトで残念。映画『冷たい熱帯魚』(3/19掲載)レベルで描かれていれば、弁当製造工場と同じ手際で人体を解体する意味が倍増していたのに惜しい。後、性欲が描かれていないのも残念。原田のレモンイエローの水着姿はあるが、暴力性演技を発揮している間寛平や殺されてしまう大森南朋あたりによる性暴力は必要だったのではないかなあ。
 解体シーン前の段取りや、カラオケで歌っているシーンに解体作業を入れ込む編集は見事。解体時に関節の動きを柔らかくする作業をするのだが、それを老人介護に重ねる演出は笑えて怖い。また、原田が、つまらない日常から犯罪に手を染めることで性格が明るく前向きになる展開は心理描写としてうまい。
 最後の逃避行はもう少しヒヤヒヤ、ドキドキ感がほしいところ。
 とまあ、欠点も多いけど、R指定を顧みず、平山秀幸がやりたい放題やっていたら、名画になっていただろうになあ。惜しい。

物語は独りよがり演出は手抜き、映画『bird call』

 井上春生原案脚本編集監督映画『bird call』(2006年公開)を観た。退屈で頭が溶けそう。
 メールを字幕にする。ああ、字幕で説明する映画は駄作が多いのだが、嫌な予感。
 案の定、どうにもこうにもな作品ではあるんだが、あのさあ、事故をカットバックで小出しにするのやめてくれない。何が起こっているのかわからんから。
 その事故、路上にも血痕が大量にあって、ガードレールまで続いていたよねえ。ということは、車との衝突事故と考えていいですかねえ。とすると、自転車に乗っていた二人は被害者ですよねえ。何で男だけその後、登場しないんですかあ?父親だと思われる人物に、女のほうが自殺したかった、みたいなこと言わせてますけど。並の理解力では登場人物の行動が意味不明。
 後、演出、手抜きしすぎ。屋上に呼び出された園子。男子生徒二人に何をされたんですか。セリフが小学生。次の場面で園子が脱脂綿で口拭いているシーン。何があったんですか?暴行ですか?レイプですか?まさか?キスされただけとか?
 ミユキとサトナカ、一軒家の中を覗く。ミユキの父親がいるらしい。場面が変わり、サトナカだけが路上に出てくる。口の脇に出血。だから、何があったんだ!ちゃんと、映像を撮れ!
 園子役鈴木えみがけばすぎる。セリフが全体的に不自然。長野ではボンネットバスが今でも走っているの?救急車とバスの運転手が同一人物ってどういうこと?男子高校生が屋上で自転車ばかり乗っているってどういうこと?担当の医者が内容しゃべりすぎ。これも駄作の基本条件。
 ラスト、またメールの字幕表示。とほほ。園子、それまでサトナカの動向しらなかったってどういうこと。もしかして、車いすだから隠していたとか。自閉症気味と身障者バカにしすぎ。
 この映画も恋愛バカ映画にありがちな病気ケガ対決になっていることに今気づいた(例、映画『100回泣くこと』の癌VS交通事故)
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グブリー川平(かびら)
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