2014年08月後半観たおすすめ邦画

2014年08月後半観たおすすめ邦画
 08月後半観た邦画は34本。

『はなれ瞽女おりん』監督篠田正浩、1977年公開、8/16掲載
 岩下志麻演じるおりんの置かれている瞽女(ごぜ)という職業(階級?)の厳しさの描き方が凄まじく、感情移入してしまってそこから出られない。悲恋すら幸せに感じさせる過酷な一生。めくらつながりとして『箱入り息子の恋』(7/26掲載)とあわせて観ることをおすすめ。

『日本の黒い夏-冤罪-』監督熊井啓、2001年公開、8/19掲載
 松本サリン事件の映画化。社会人が一般知識を身につける教育映画として推したい。『それでもボクはやってない』(6/1掲載)とあわせてみることをおすすめ。

『コワイ女』2006年公開、8/21掲載
 第2話、鈴木卓爾監督「鋼(はがね)」は必見。女の上半身に袋をかぶせるという設定だけで、これだけいろいろなことを観客に考えさせてしまう。監督の腕に脱帽する。

『ターン』監督平山秀明、2001年公開、8/23掲載
 牧瀬里穂の超ショートカットといい、銅版画家の設定といい、意識の中の世界の作りこみといい、映画作りの気合を感じる。『blue bird』(8/10掲載)や『ルート225』(8/29掲載)と見比べれば差は歴然。

【次点】

『LOVE SONG』監督佐藤信介、2001年公開、8/18掲載
 バカ恋愛映画と思って観たのだが、意外なことに男女が別々に生きる成長物語が描かれていて、最後まで観れた。伊藤英明と仲間由紀恵が配役としてドンピシャとはいえないけれど、そこも含めてあじわいということで。

『Love Letter』監督岩井俊二、1995年公開、8/25掲載
 中山美穂の二役はどうでもよくて観る必要なし。それよりも高校時代の回想に出てくる酒井美紀は必見。鈴木蘭々との図書館での掛け合いは特によし。

『そして父になる』監督是枝裕和、2013年公開、8/25掲載
 福山雅治の使い方、演技が絶妙。『舟を編む』(4/23掲載)を思い出させるたんたんとした撮り口で、万人におすすめ。

『炎上』監督市川崑、1958年公開、8/30掲載
 主人公、吃(ども)りの犯罪者を本当にどうしようもないひねくれ者として描いていく演出が非常にうまい。最後まで犯罪者に共感を産まない作りがすばらしい。

『女優霊』監督中田秀夫、1996年公開、8/31掲載
 NHK第一「板尾シネマ2」の怖い映画投票で1位を獲得した『リング』。貞子が生まれる過程を知る上でも『女優霊』は見逃せない。特に画面の中の人物や空間の配置は今見てもうまい。

【珍品】

『アナザー』監督古澤健、2012年公開、8/28掲載
 橋本愛を起用してホラーとして作られているはずなのに、ホラー部分の演出が稚拙で笑えてしまう。主人公の山﨑賢人の演技が猫背でつま先歩き。登場人物がほとんど棒立ち。一言でこの映画を形容すると「微笑ましい」。

【稚拙】

『八月のかりゆし』監督高橋巌、2003年公開、8/21掲載
 場面転換やつなぎが稚拙で映画サークルが作ったのかと疑いたくなる。これが劇場公開されたとは、邦画は自由だ。

『重力ピエロ』監督森淳一、2009年公開、8/23掲載
 稚拙な上悪質。弟が放火する動機がなく意味が無い。放火は性犯罪のアピールらしいのだが、その謎を解けるのは兄だけ。兄も殺人計画を練っているのだから相談すれば済むこと。放火を自己顕示欲の現れだとすると、ラスト、警察に出頭せず二人幸せそうに暮らしているのは整合性がない。性犯罪者へのアピールだとすると途中、現場で会って話しているし。本当に映画の肝の部分がムダ。何のために放火しているの?30分で済む話を水増ししただけのストーリー。

女優の頭が切れる奇妙な構図、映画『女優霊』

 中田秀夫原案監督映画『女優霊』(1996年公開)を観た。脚本は高橋洋。プロデューサー仙頭武則。
 RBCiラジオ「リュミエールトリオの映画点検」を聴いていたら仙頭武則が『リング』の原作から映画製作にいたるまでを話していた。『女優霊』についても触れていた。ので、観ることにした。
 この映画を観るのは二度目。今見ると、幽霊の動機が不明確であることに気づく。死んだ女優に二人の子供という新聞記事が示されるが、幽霊を見るのは映画監督役の柳ユーレイと白島靖代。死ぬのは石橋けいと柳(失踪)。石橋は年齢をクリアーしているが過去は知らない。柳は過去にテレビで観た覚えがあるが、現在の年齢はおじさん。二人がなぜ狙われるのかがわからない。
 この映画が感情移入させて離さないのは幽霊の部分ではなくて映画製作の舞台設定だ。これまで観た映画の中で、もっとも現場の雰囲気が作りこまれている。細かく丹念に環境を整えてからの幽霊ドーン、だから怖い。
 後、構図の奇妙さもある。女優の頭、特に白島の頭は画面からよく切れる。収まりきれない何か、カメラの外に意識が向くので、その外に「何かいる?」という感覚になる。
 柳にルーズな服を着せたり、叫び声が情けなかったりするのは狙いなのか。
 音楽は無音にしたり、怖いところで明るい曲が流れたり、かなり意識させる。エンドロールの曲はジェゴグを使っていてかっこいい。
 白装束に黒いロングヘアーと貞子の原型はできているが、顔見せがある点は大きな違い。個人が特定できない怖さまではもう一歩。
 情報を遮断することが怖さにつながる映画として『コワイ女』の「鋼(はがね)」、映画撮影現場での恐怖体験なら優香主演の『輪廻』がある。

エンドロール後恥ずかしくてごめんなさい、映画『ゴメンナサイ』

 安里麻里監督映画『ゴメンナサイ』(2011年公開)を観た。稚拙で退屈。
 アイドル風3人のコメント映像。映画最後にも同じメンバーがコメントする。完全にいらない。蛇足。
 物語は日高由香(鈴木愛理)、黒羽比那子(夏焼雅)、学年の変わった日高のの独白という三部構成。
 映画冒頭の日高の独白は文芸部に所属していること、黒羽という変わったクラスメートがいることなどが語られる。
 独白形式を否定するわけではないが、結局、台詞による説明であり単調になりがち。退屈。
 黒羽は暗い文学少女で貞子風。夏焼はよく見ると美形で、今後も引っ張れるキャラだと思う。
 映画としては稚拙な部分が多い。言語や文学が重要なモチーフなのに「これほどまでに命をかけないといけないのでしょうか」って、別に黒羽、一日中、学校の席に座って原稿書いているだけだから。病気であることは後で解るんだから、笑止千万なセリフ。
 後、「ひと目で千春が息をしていないのがわかりました」って、遠くからストレッチャーに乗せられた千春見ただけじゃん。もう、ひとりよがり。
 園田が「黒羽さんは体育を休んで隠れて勉強しています」っておいおいお前たちは小学生か。
 49分ごろ、黒羽の日記による黒羽の独白に変わる。意外な展開ではあるが、生い立ちや個人的な病気の話であり、後は机に向かっているだけの動きのない映像ばかりで飽きる。
 女子更衣室が出てくるのに下着姿すら映らない。アイドルも監督もやる気が無いのがまるわかり。『チルソクの夏』を見ろ!
 更衣室で携帯電話の文章を見せられた鈴木、よよと床にに倒れる。ひどい演技。
 で、まあ、大幅に省くけど、お話が終わったと思ったら、また、アイドル3人が出てきてコメント。エンドロールの後、写真撮影シーン。夏焼のみがインタビューを受けていると、スタジオ奥で物音が、、、本当にこういう稚拙で小学生みたいな演出はいりません。
 努力するところはそこじゃないだろう。言語による殺人なんだから、黒羽に言語的呪術性を持たせる設定なり演出なりキャラを映像で見せないと。日本には白川静なんて大先生もいるんだから古代から言葉による殺人があったとかなんとかでっち上げる映像も必要でしょう。千春に説明させるだけ(また台詞による説明)だと、な~んの説得力もないでしょう。

40歳のミュージシャンって恥ずかしい、映画『40歳問題』

 中江裕司監督映画『40歳問題』(2008年公開)を観た。音楽製作過程のドキュメンタリーで一応最後まで見れる。
 浜崎貴司、桜井秀俊、大沢伸一の三人が一人一人インタビューに答えている。字幕で経歴が紹介される。
 スタジオのような部屋に三人が集められ、監督の中江から三人で一曲作ってくれと課題が与えられる。で、三人の音楽製作過程がドキュメンタリーとして撮られ、最後にライブが開催される、という映画。
 途中、映画のテーマでもある40歳を迎えた人物のインタビューが挟まれる。角田光代、新田恵利、洞口依子、小川直也、スネオヘアー、スチャダラパー、リリー・フランキーなどが答えれている。宮沢和史、ビギンがちらっと映ったりしている。
 で、浜崎、桜井、大沢の三人の私生活が挟まれつつ、3回のセッションとレコーディング、ライブへとつながる。
 各人、性格が出ているのだが、面倒臭いのは大沢。文句ばかり垂れているし、後出しジャンケンはするな。ライブ、舞台上でベースギターの破壊。今頃、ロックバンドでもやらない古臭いパフォーマンス。
 現代音楽や民族音楽を聴いているオーディオマニアにとって、出来上がった曲はごくごく普通の曲でしかない。芸術家っぽく尖っていることがものすごく恥ずかしい。
 40歳のミュージシャンって意外に恥ずかしい、ということを確認するには好適な映画。

ひねくれ者の吃(ども)りが主人公、映画『炎上』

 市川崑監督映画『炎上』(1958年公開)を観た。面白い。
 原作は三島由紀夫の「金閣寺」。ストーリーに特別なことはないのだが、登場人物の描き方はうまい。
 モノクロ、大映スコープ。映画冒頭、取調室。市川雷蔵の回想に入る。
 市川は細面で吃りの役。顔は整いすぎているけど丸坊主で何考えているかわからない役をうまくこなしている。
 市川、自分の父親が死に父親の友人の寺に厄介になる。吃りのため子供の頃にいじめられた経験の回想。海軍軍人の剣のさやを傷つけるという、しょうもない反撃しかできない。権威への抵抗とも受け止められるけど、結局正面からは人と向き合えない性格が出ていて、うまい演出。
 市川、他人の恩義で寺に厄介になっているのに、だらだらしていて働かない。たまに働いているシーンが出ると、驟閣寺(しゅうかくじ)という金閣寺の代わりの寺の中の床ばかり拭き掃除している。
 これがうまいのは、驟閣寺は拝観者が外しか観ることができない寺。なのに市川の働く映像は建物中の床拭きばかり。つまり、自分の好きなこと自分の都合しか考えない人物を表現するうまい演出。
 働かないどころか、老師の女友達の写真を朝刊に挟んで差し出す嫌がらせ。もう、なんというか実にせこくて自己中。
 市川の友人になるびっこの仲代達矢も悪いやつ。こちらはいじめられた経験から相手の心を読んでうまく利用することしか考えない。女を見下しているのだが、最後は女に見下される。
 寺の中の男色的な描き方も秀逸。
 本人映像を残しながら背景を過去映像にする回想への場面転換もうまい(防空壕の中、故郷の山門)。
 身体障害者をダメ人間としてちゃんと描いているし、市川に「誰もわかってくれない」と叫ばせておいて、「誰が解るか!」と観客に思わせる市川崑の手腕が素晴らしい。
 回想から戻り、取調室。やっぱり理解不能な人物だなと思わせるラスト。
 身体障害者犯罪映画として面白い。『丑三つの村』と合わせてみると理解は深まるかも。

前半と後半に差、映画『藁の楯』

 三池崇史監督映画『藁の楯』(2013年公開)を観た。前半ドキドキ、後半退屈。
 幼女強姦殺人犯藤原竜也の護送を大沢たかおと松嶋菜々子らが担うというただそれだけの話しだが、藤原に10億円の賞金がかけられているのがみそ。周りの人がみな藤原を狙っている設定となり、誰も信用出来ない環境が作られている。
 護送車とパトカーの隊列、高速上でのタンクローリーの暴走と爆破、新幹線内での銃撃戦、駅構内のエキストラの数と、いやあ、金があればこれくらいのことも邦画はできまっせ的な表現が随所に散りばめられていて、映画料金の元は取れる映像。
 だがあ、後半になると、空き地や車内での鼎談(ていだん)、農道や警察庁前?での対談と、一気に対話映像ばかり。画面に動きがなくてかなり退屈になる。
 藤原が時々人間的な性格を出すので勧善懲悪になりきれず「殺せ殺せ」勢いが削がれる。悪人に徹していれば、「なにしてんだよ大沢!」と観客はもっと大沢とは逆の一般論の方に観客は加勢できたのに。
 後、大沢と松嶋の間に恋愛関係がないのもつまらない。恋愛のショットが一か所でもあれば、藤原の犯行を大沢が憎む理由が倍増して感情移入できたのに、おしい。
 松嶋菜々子は目の下にくまがあり、鼻ぺちゃに見える。美しく撮らない方針。松嶋に格闘技っぽいアクションがあっても良かったかなと思う。
 気になった俳優は岸谷五朗とバディを組んでいた若手の永山絢斗。周りに突っかかっていく役がうまいし面構えもいい。
 なんで大沢の携帯電話の逆探知をしないのか、とか、山道で出会った車が第一被害者の父親というのも、情報が漏れているとはいえ偶然すぎて興ざめ、とか、細かい傷も多い。タクシー運転手が目立ちすぎ。何か意味を感じて前フリと思った。余貴美子ではなくて普通の俳優でよかった。

一家離散の原因がパラレルワールド、映画『ルート225』

 中村義洋監督映画『ルート225』(2006年公開)を観た。期待しなければ最後まで見れる。
 石田えりがシチューを作っている。多部未華子、弟を探しに家を出る。弟と共に帰宅する途中、パラレルワールドへ入り込む。
 この映画の面白いところは、別世界で生きているはずなのに変化がビミョ~なんだよねえ。突然出現する海のシーン、巨人軍の高橋由伸をリスる(太った、もうカードは売ってない)、両親がいない、弟の前に死んだ同級生が現れる、など。
 多部未華子、映画冒頭では意図的に嫌な顔で撮られているが、徐々に魅力的に見えてくるのだから映画というか女優はすごい。ただ、この映画で最も個性的なのは弟役の岩田力。体型といい面構えといい一度見たら忘れない。多部との格差姉弟関係が笑える。多部の同級生マッチョ役石原裕太は伊集院光の息子かと思った。声といい雰囲気といいありえる感じ。
 別世界とのつながりが電話のみという設定は『ターン』と同じだが、作り込みの差で『ターン』の方が格段に上。
 元々の家族の状況が殆ど描かれてない上に、新天地で生きることを選んでも多部が飄々(ひょうひょう)としているので、解決も成長もみないまま中途半端に物語が途切れた感じがして、カタルシスはない。
 多部未華子が苦しそうに走っているシーンが好きというかなり狭い好事家にとっては弩ストライクな映画。

設定が奇妙で変な恋愛映画『殴者』

 須永秀明監督映画『殴者』(2005年公開)を観た。タイトルは「なぐりもの」と読むらしい。
 格闘技シーン。身体のアップ。からの、銃の撃ち合い。着物を着ている。と、冒頭から時代設定が混乱して面食らう。
 映画の時代設定としては洋服と和服が入り乱れているので明治あたりか?ヤクザが格闘技の道場を経営しているらしい。で、ヤクザ同士の縄張り争い、出入りの決着を格闘技で決めようという設定。
 映画的に無理があるのは、まず、時代劇と格闘技の整合性の悪さ。玉木宏や陣内孝則がまあ演技をしているんだが、そこに桜庭和志やヴァンダレイ・シウバが総合格闘技スタイルで出てくるので、違和感アリアリ。
 また、ヤクザの出入りを格闘技で決着をつけるというのも、小学生やふざけた芸能人が言う、戦争の決着を双方の国の偉い人が腕相撲で決着つけたらいい、的な平和ぼけしたクルクルパーな設定で、うんざりする。
 後、玉木はとある理由があって陣内の下で働いている。お互いに想いを寄せている水川あさみから駆け落ちを要請されるも、玉木は断る。だのに、ラストは自ら駆け落ちをする。その大事な心境の変化が描かれていないので、二人への感情移入はかなりしづらい。
 試し切りで人を真っ二つにする、拷問の後射殺、日本刀で首が飛ぶなど、変なところで残酷。
 とまあ、かなり欠点があって突っ込みどころ満載なのだが、一点、ラストの展開は読めなかった。玉木と水川の心理が描かれていないので行動としてはおかしいのだが、悲恋好きの私小説ぽくってちょっと味わいがある。

間が長い奇妙な群像劇、映画『サッド ヴァケイション』

 青山真治原作脚本監督映画『サッド ヴァケイション(sad vacation)』(2007年公開)を観た。70分我慢できれば面白くなる。
 海岸、浅野忠信、船を待っている。船倉に中国人と思われる人々。浅野、中国人の子供を引き取る。浅野、ヤバい仕事をしているけど、家族に対する何かしらのこだわりがあるとがわかる。浅野、殺されかけて川に入る。このシーンが長い。別に前フリでもない。こういうところをカットすれば面白い映画なのに。
 光石研が親戚?後輩?の部屋で飲むシーン。ショットのつなぎを意図的に下手につなぐ。これまた長い。全編にわたって博多弁?でしゃべる、このベシャリのシーンが特徴の一つでもあるけど、物語に関係のない話が相当長いので、まあ、この辺りで集中力は途切れる。その後も、男二人の会話、浅野と恋人との会話など、とにかく長い。こういうところも短くすれば面白い映画なのに。
 トラックの中で浅野に対して中国人が説教するシーンは面白い。
 後、とにかくカットバックが多用されているのだが、うざい。
 71分頃、間宮運送に話がたどり着いてやっと物語の骨格が分かる。いやはや、長すぎる。ここからは群像劇が動き出して、少しずつ面白くなる。
 映画全般に入り込む環境ノイズ。冒頭から流れている口琴とディジュリドゥが独特な雰囲気を作り出している。映画ラストのバンド風インストロメンタルも良い。音楽は長嶌寛幸。
 ラストの石田えりのニコニコ顔が母性の勝利を宣言しているようで不気味。
 

ひどすぎて微笑ましい、映画『アナザー』

 古澤健監督映画『アナザー(Another)』(2012年公開)を観た。稚拙。
 緊急搬送、ストレッチャーの上の男(山崎賢人)、夢のような場面。橋本愛が出てくる。片眼が青いカラコン。
 出だし、病院、謎の女(橋本)、霊安室、とホラーの記号が頻出するので、ホラーだなあと観ていると、なんと画面に緊張感がまるでない。普通、物陰に何かいそうとか画面の見きれた奥にいるとかありそうなものだけど、全くない。手抜きなのか、腕がないのか、あきらめているのか。
 橋本の設定が変。学校に山崎が登校すると、橋本がいる。この世のものとは思えない立ち居振る舞いだったのに実在の人物。すると、急に山崎と橋本、親しく話しはじめる。だとすると、冒頭の女は誰?最後まで見ても説明もないし整合性もないんだけど。伏線回収せず。
 主人公の山崎のキャラというか演技はこれでいいの?胸押さえた発作以外は棒立ち。猫背でつま先ちょこちょこ走り。これで主人公か?
 主人公に続くけど、基本みんな棒立ち。いくらなんでも。トホホ。
 最大のトホホは、2012年に公開された映画とは思えないほどの古臭い演出とアクション。
 母親の介護中、転んでスプーンが眼に刺さり、更に奥まで刺さる。あまりの「いくら映画だからってこれは、、」と笑ってしまった。
 後、エレベーターで看護婦が死ぬのだが、エレベーターの巻き上げ機から煙が出る。あ、エレベーターが落ちるんだ、と思っていると、エレベーター内のガラスが割れて頭に刺さる。もう、因果関係無視。無法地帯。
 後、舟を係留しているロープが伸びて首が切断するシーン。ロープで首は切れないし、もともとロープの高さ足元だろう。と、これも爆笑。突っ込みどころ満載。それも映画のキモのホラー部分で。
 昔はカセットテープに録音したのはわかるけど、現代でも録音はカセット。こだわっているんだか、雑なんだか意味不明。
 ホラーなのに画面に緊張感がなく演出は爆笑レベル。サスペンス部分は原因人物が特定されても前フリがなにもないので感動もない。コメディホラーと思えば良く出来ている。

虚構感の出し方に失敗した感じ、映画『転校生 さよならあなた』

 大林宣彦監督映画『転校生 さよならあなた』(2007年公開)を観た。オリジナル『転校生』よりも落ちる。
 うーん、虚構感の出し方に失敗している。2時間ずっーとカメラの水平が歪んでいる。水平線がいつも右か左にかしいでいることになる。これがありえない話を映画にしてますという記号というのでは大林、焼きが回ったな、と思う。
 カメラ移動やショットも短くどんどんつなぐせわしない編集。やりたかったことはそんなことなのだろうか。
 45分ごろ蓮佛美沙子と森田直幸を襲う大学生が出てくるのだが、コミカルな演出で興が醒める。
 男女入れ替わりだけでも複雑なのにBLぽい要素まで入り込み始めて、散らかっている感じ。
 白いピアノで弾き語る蓮佛の歌はジャズ風な風味が入り込んだり、ジブリに出てきそうだったりで良い。
 田口トモロヲの声が良すぎる。裸の映像にエフェクトをかけた心音をかぶせる。
 物語の進行上でよくわからないところは、蓮佛の病名をはっきり示さないところ。本当の病気なのか男女入れ替わりが原因の病気なのかわからず、最後まで宙ぶらりん。入れ替わりと生死が関係するのか、森田には波及するのかなど、大切な設定なのに映画内で示されず。ストーリー上の傷に見える。
 ラスト、墓の場所が平野の小道のそば。『ポストマン』では丘の上だった。映画は変な場所に墓作るねえ。
 監督中原俊は『櫻の園』を二度(1990年と2008年)映画化した。どちらもそこそこ面白かったと記憶している。
 『転校生』(1982年公開)はどうか。リメイク版は落ちる。オリジナルは街に溶け込んでいる二人の姿を今でも思い出せるのだが、リメイクは作り話の中の狭い範囲を出ていない感じがする。後、撮影技術に走りすぎているのが邪魔。もっとじっくり撮るべきだった。

大画面を意識した画面設計、映画『永遠の人』

 木下恵介脚本監督映画『永遠の人』(1961年公開)を観た。見ようと思った動機はTBSラジオ「たまむすび」内コーナー「伊集院光の今週TSUTAYAに行ってこれ借りよう」で映画監督の大根仁が紹介していたから。
 モノクロ。すぐに解る大画面向きの構図。阿蘇の裾野に広がる広々とした田んぼ。その中を傷痍軍人の帰郷を祝う行列。大地主の邸宅の外壁。パースペクティブが裾野から阿蘇の丘陵へとつながる美しいライン。日本家屋は間取りが奥までつながっている。などなど、いやはや、これまで観た邦画のどれよりも計算しつくされ大画面を意識した絵は圧倒的に素晴らしい。
 シンメトリーも多用されている。主人公高峰秀子があぜ道や屋敷の前の道を走るシーンが多いのだが、その道を場面センターにおいて高峰が画面に迫ってくる。着物は走るために作られてないと今更ながら納得する。ペンギンのよちよち歩きだ。
 物語は、かなり過酷。男尊女卑、父権制、大地主と小作人、強姦による望まない結婚。と個人では超えることが難しい壁が立ちはだかる。一度は越えようとするも失敗。その後の、女の視点で物語は描かれる。
 やはり、高峰の演技はすごいと思わせるものがある。二十歳前後から50代?まで違和感がない。特に、第二章への場面転換で声まで変わっていることに驚いた。それと喋らない場面でもちゃんと絵が持つのもあらためて女優だなあと思う。
 ただし、この映画にはすごい欠点がある。音楽だ。フラメンコに乗せた熊本弁。斬新過ぎて、今の我々の耳で聞いても違和感ありあり。この映画に関して音楽部分を普通のクラッシクに差し替えるのは、許される。

昔の映画は女が元気、映画『盗まれた欲情』

 今村昌平監督映画『盗まれた欲情』(1958年公開)を観た。モノクロ、日活スコープ。映画内でのタイトルは「「テント劇場」より 盗まれた欲情」と出ている。欲情なんて仰々しいことは起こらないので殿方は期待しないように。
 大阪難波、乞食芝居とやゆされる山村第一座。そこに大学出の演出家長門裕之がいる。
 一座は難波のテントが取り上がられ、地方巡業に向かう。座長の娘二人と長門は三角関係になり、その一人とは不倫関係でもある。
 夫と別れさせ一座からも独立しようとした長門だったが、以外な結末に。男が考える展開よりも、女の行動力のほうが優っている、という皮肉な結果。
 今の目から観ると、モノクロだし、全編にわたって集中力を維持するのは厳しい内容。
 南田洋子が影のある役柄をうまく演じている。

日本の役者は仕事選んだら、映画『スマグラー おまえの未来を運べ』

 石井克人脚本監督編集絵コンテ『スマグラー おまえの未来を運べ』(2011年公開)を観た。奇妙なテイストで引きつけられる部分はあるも全体としては退屈。
 なんでこんな役をみんな引き受けたんだろう。妻夫木聡は完全な汚れ役。今更、こんな役でスキルアップとか芸の肥やしになるのだろうか。永瀬正敏は可もなく不可もなし。満島ひかりはそのまんまだし。松雪泰子は登場シーンは多いも芸達者を発揮することなく終わる。道化役の我修院達也が奇妙。
 もっとも目立つのは高嶋政伸。暴力団員のサディスティクな切れ役を演じている。オムツ姿など体当たりではあるけど、アニメチックなキャラ設定が邪魔して、せっかくの熱演が空回りしている。シリアスに描かれていたなら怪演として評価されていたかもしれないのに、ただただムダな熱演にしか見えない。
 格闘シーンと残酷シーンに独特な映像が散見されるけども、ギャグのような演出が、相殺していてもったいない。本当に映画にギャグとかいらないから。
 物語としては巻き込まれ型の成長物語のようだが、妻夫木が成長したのかどうかすらわからないし、群像劇としても大した仕事をしたわけでもなし、アクション映画としてもありえない殺し屋(安藤政信)が何の説明もなくマシンガンのたま避けたり屋根に張り付いたりするし、と断片的な映像の寄せ集めで、大団円のカタルシスみたいなものはなにもない。

邦画を400本観て感じること。

 東日本大震災を取り上げた作品がない。僕が観てないだけでどこかに埋もれているのか?
 これまで邦画を当てずっぽうで観て、『R100』で「あ、揺れてる」というセリフと、『しあわせのパン』で老夫婦が被災した経験を話すだけ。震災を直接取り上げた映画は皆無。3年も過ぎているのに、自国で起きた出来事を描かないなんて、どう考えても異常。不気味である。
 『ゴジラ』がリメイクされて自尊心をくすぐられて喜んでいる人が多いようだけど、ゴジラが原子力発電所を踏み潰すシーンがなぜ邦画で描けないのか。
 『太陽を盗んだ男』のリメイクでもいいだろう。
 前にも書いたけど、世界の亀山モデルなら『踊る大捜査線 原子力発電所を奪還せよ!』をすぐに撮れるはず。
 伊丹十三が生きていたら『マルオの女』というおれおれ詐欺専属捜査班を描いていただろうし、細田守ならアニメ『イアンとフー』という慰安婦とは何なのかを各国間のからくりなんかを絡めて描くだろう。
 押井守なら領海侵犯を繰り返す中国船や個人的な金をもらっている環境保護団体の船が繰り返すマルシップへの脅威を取り除く『海上警備隊ツナミ』なんていう完全独立国家が描けるかも。
 なんてね、そんな下世話な話題に各巨匠興味なぞないはずだが、誰かがやってもいいでしょう邦画で下世話な映画を。

なんと福山雅治が浮いてない、映画『そして父になる』

 是枝裕和脚本監督映画『そして父になる』(2013年公開)を観た。じっくり最後まで観れた。
 なんとあの福山雅治が映画から浮いてない。ちゃんと映画の中の人物として機能している。アマルフィやアンダルシアとはえらい違い。
 福山を父親とする妻と息子が私立小学校?入学試験を受けている。福山は大手建設会社の社員。その日常が描かれる。と、病院から一本の電話が。
 自然光を多用したちゃんと暗い画面。物語を邪魔しないショットの積み重ねは『船を編む』を思い起こさせる。
 子供の取り違えによって二つの家庭が描かれる。リリー・フランキーが父親のもう一方の家庭は子供が三人で小さな町の電気屋。経済格差が描かれるのだが、二つの家庭が交互に描かれることで「さて、家族としてどちらがいいのか」「子供にとってどちらが幸せか」という疑問が観客の頭の中にも湧いてくる。
 演出は細かくうまい。久しぶりに公園で息子と遊ぶ福山。息子に一眼レフカメラを「あげるよ」というのだが、息子は「いらない」と拒否する。たったそれだけの見過ごすようなショットなのだが、これが、ああたあ、ちゃんと泣ける場面への前フリなんですねえ。書かないけど。うまい。
 真木よう子の腕の筋肉の割れ目がすごい。やり過ぎで不美人に見える。
 兎にも角にも福山がインテリの悪人ではないが嫌な性格を演じることで、二枚目キャラが映画から浮くことを防いでいて、キャラ設定のうまさとその役に徹した福山の新しい役者像を観たよう。

 個人的なことだが、この邦画で400本目になった。邦画についての雑感はまたあとで書く。

高校時代の回想シーンのみ必見、映画『Love Letter』

 岩井俊二監督映画『Love Letter』(1995年公開)を観た。酒井美紀は必見。
 雪の上の女性(中山美穂)、短いショットを畳み掛ける。俯瞰ショット、非常に長く流す。ここだけ見ても腕のある監督であることがわかる。
 だけどなあ、例えば中山がアンティークな家で、玄関から部屋へ戻るシーン。普通なら背中を追うショットで済ますところを一回、前から撮ったショットを挟んでまた背中のショットに戻す。うーん、もう、腕があるのは分かったから物語に感情移入させてくれよ、と思う。
 中山が時々、松本明子に見える。後、意図的に背景をごちゃごちゃさせているな。
 のべつ幕なし鳴り響く弦楽器とピアノ曲。英語のクレジット。時制と人物特定が混乱する中山の二役。と、過去『リリィ・シュシュのすべて』というゲロゲロ映画に痛い目にあっているので細心の注意で見続ける。
 と、まあ、岩井は相性の合わない監督の一人なんだが、観る価値はあった。回想シーンに登場する酒井美紀が素晴らしい。
 思いを秘めた少し顎を引いて見上げるような眼光が実に名演技だし、それを引き出す岩井の腕も冴えまくり。雪の上を走りそれが勢い余ってスケートのように滑りだすシーン、悔しいけど、岩井、やっぱり腕はある。
 特に、鈴木蘭々が絡みだす図書館のシーンは出色の出来。酒井の意志の変化や鈴木のコミカルな演技が実にマッチしていて青春のあるひとときを見事に切り取っている。
 死んだ男のことを女二人(中山美穂による二役)が語る、棺桶の中に入ってからの物語。映画全体としては「あざとい」けど、酒井と鈴木以外の場面はノイズだと思えば2時間我慢できる。

指紋を拭きとったナイフ?映画『麒麟の翼~劇場版・新参者』

 土井裕泰監督映画『麒麟の翼~劇場版・新参者』(2012年公開)を観た。最後まで見れるけど穴も多い。
 阿部寛と溝端淳平が真相を解明するバディ刑事もの。足で稼ぐ捜査で徐々に事件の真相に迫る部分は良いのだが、独特な部分と疑問も多い。
 どうも前作(テレビドラマ)があるようでそれを引き継いでいることを匂わす場面がある。日本橋の土産屋を訪れると二度目。喫茶店の店員なのに大切な情報を流す黒木メイサ。ジャーナリスト志望という以外の情報がない。特に支障はないけどテレビドラマを見てないと理解できない部分を残すのはマイナス。
 偶然、日本橋にみんな集合しすぎ。犯人と疑われている人も日本橋が重要な場所だったてどんだけ偶然だよ。
 後、日本橋の上で、阿部寛がいる歩道は歩行者いっぱいなのに、向かいの歩道は誰も歩いていないのはいくらなんでも変。まあ、早朝撮影しているんだろうけどさあ。だったら、もっと人、散らしてよ。
 物語として変なのは、中井貴一に刺さったナイフの指紋を調べないこと。初動捜査ですごく短時間触れているだけ。被害者の身体にナイフを残したまま「指紋は拭き取られていました」っておかしくないですか?最後のほうで、中井自身がナイフの指紋を拭きとったことが描かれる。指紋がないとすると警察は計画的犯行だと思うわけだし、プロの犯行という線も出てくるわけで、捜査方針に影響を与える非常に大切な情報だと思うけど、出し惜しみするということはここが物語のウイークポイントだとわかっているからなのか?
 後、水泳顧問役劇団ひとりが物語の最も悪いやつとして描かれる場面がある。そうかなあ?劇団以上に中井の父親像、相当悪くねえ?だって息子をぶん殴って落とし前つけていれば、別に水天宮巡りも折り鶴折る必要もないし、犯罪者二人も出す必要ないし、そのうち一人死んでるし。
 『重力ピエロ』ではムダな放火しているし。いまどきの邦画は無駄なエピソード、無理なストーリー、人間工学に反した動きが多いこと多いこと。
 収穫は、新垣結衣が不幸そうな役うまかったり、日本橋の上の高架、本当に景観的に邪魔、と思ったことぐらいかな。
 
 

ばれそうでばれないハラハラがない、映画『ロボジー』

 矢口史靖脚本監督映画『ロボジー』(2012年公開)を観た。矢口作品にしては盛り上がりに欠ける。
 汚い開発室からロボットが落下するまで、コード類のショットなどを細かく見せる映像、タイトルが出て、機械類の部分アップから病院の検査室という場面転換はうまく、今後を期待させる。
 が、意外に盛り上がらない。原因はロボットの中にミッキー・カーチスが入っているのかいないのかの真相がばれるハラハラ、ドキドキがない。疑われだすのは後半からで、それもロボットオタクの吉高由里子、ケーブルテレビの田畑智子、後、スポーツニュース紙面と海外サイトのプリントアウトのみ。開発者三人は焦っているけど、観客には伝わらない。
 矢口映画の場合はちゃんと作りこんでいく上で生じる笑いという、映画的な笑いをいつも見せてくれるけども、今回笑える部分は少なかった。唯一笑ったのは、ローカルテレビ局から貸し出してもらったカメラ。吉高がミッキーを盗撮するために使うのだが、超望遠レンズが付いた一眼レフで、プロ用機材が素人には過剰であるというのが良く出ている。
 演出もうまくいってなくて、狭いホテルの部屋で開発者三人がロボットを修理していて大変そう。ドアが開いていて向かいの部屋がみえる。そこにはミッキーが按摩さんやルームサービスを受けている。という、まあ、両者の関係性を出すための場面なんだが、ミッキーの部屋がしょぼく見えて、格差の表現になっていない。
 大学内での講演の場面もうまくない。大学生が開発者の意見を聞く前に先回りして話してしまい、ロボットに関する無学を露呈しなくて済むという場面。学生ばかりが盛り上がっているのもしらけるし、尺が長すぎる。後ほど実際にロボットが作られる場面があるわけでもなし、何かの前フリでもないし、講義の絵はムダだしダレる。
 ミッキーが行方不明になると開発者三人が川を捜索しているのも唐突。何か意味があるのかと思ったけど別になし。こういう展開が多い。
 また振り出しに戻るというラストは、開発者もミッキーにも成長物語になってなくて、がっかりな終わり方。
 エンディング曲、ミッキー・カーチスこと五十嵐信次郎とシルバー人材センター「MR.ROBOTO」はミッキーって英語の歌うまいんだ、と思わせる。
 ロボットとミッキーの関係性に主眼に置くのではなくて、好演しているミッキーの老いと娘家族との関係を主眼においたホームドラマなら面白かったと思う。

30分で済む話を水増し、映画『重力ピエロ』

 森淳一監督映画『重力ピエロ』(2009年公開)を観た。退屈。
 放火及び謎解きの部分が全くいらない。映画の主要な部分であり映画を見に来て面白そうだとハラハラ・ドキドキする部分がまるっきりいらなくて犯人がやる必要がない。なんと、ただの付け足し!
1、放火の意味が無い。誰に向けての放火なのか。まず、面白半分の愉快犯ではない。世間へのアピールというのもおかしい。だって、強姦魔は刑期を終え出所してシャバに出ているんだから。後考えられるのは、血縁的父親に会っていたことが明かされるから、この父親にむけてのアピール?だとすると、、
2、放火とDNAを絡める意味がわからない。この謎を解けるのは兄貴(加瀬亮)だけだよねえ。だったらそんなまどろっこしい放火しないでさあ、兄貴に話せば。だって、兄貴も同じ計画しているんだし。憎んでいることは明らかなんだから。
3、例えば、吉高由里子がいうように狂っていたとする。自己顕示欲が強い放火魔なら、みんなに知ってもらいたいわけだから、事件の後は名乗りでるよねえ。なのに、二人で楽しく暮らしている姿がラストに描かれるという辻褄の合わなさ。
 とまあ、この映画の核心であるところの犯人の行動がまったく意味不明で、物語に絡んでいない。原作通りだとするとこの原作を選んだ時点で、映画として終わっているのでは?
 犯罪映画で警察が一切介入してこないという点も駄作になる要因。まったく緊張感がない。

神は細部に宿る、映画『ターン』

 平山秀幸監督映画『ターン』(2001年公開)を観た。素晴らしい。
 金属に傷をつけて模様をほり込んでいる。何だ?とつかみはオッケー。牧瀬里穂が超ショートカット。タイトル縦文字スーッ。この冒頭だけで映画のやる気を感じさせる。
 「帰りに寄ろっと」「少し急がなきゃ」牧瀬のひとりごとがわざとらしい。一応、後の展開を印象づけるものではあるが、中村勘太郎の「どこかにアイディア売ってないかなあ」も非常に取ってつけたようで、セリフ回しはこの映画の引っかかる部分。
 短い時間を何度も繰り返す物語は『時をかける少女』『タイム・リープ』をすぐに思い浮かべるが、別な時空というのがみそ。それぞれの世界をつなぐのが電話という点からだと『マトリックス』だとも言える。
 冒頭のシーンもそうだけど、神は細部に宿るというのが如実に出ている。牧瀬がターンに入り始めてからの野外映像、人が全く写り込まない映像をよく撮ったなあと感心する(首都高はCG?)。『blue bird』と比較してほしい。細部を作りこむことで二重世界の矛盾を観客は忘れ物語に没頭できる。何が映画を成功に導くのかが如実にわかる。
 登場人物にムダがない。柄本明にもちゃんと電話を切るという役を与えている。
 オオギバショウを見に行く牧瀬の中国風?白いワンピース姿が可愛い。水泳シーンはあるも全身は映らない。サービスショットなし。全く残念。
 二重存在の矛盾が現れた時に「ただいま」でエンド。引きずらない終わり方も実に潔い。
 

国旗とダメ父親が象徴しているもの、映画『少年』

 大島渚監督映画『少年』(1969年公開)を観た。当たり屋家族のロードムービー。
 国旗のような布。赤い部分が繰り抜かれクレジットが出る。主人公のモノクロ写真に「少年」とタイトルドーン!
 あちこちに国旗が掲揚されている。祝日?不思議な感じだな、と思っていると後々意味を持ってくる。
 当たり屋を生業としている夫婦と子供二人、家族四人で日本各地を転々としながら生活する姿を少年(中学生?)の目を通して描く。
 父親はとにかくダメおやじ。仕事をしない理由は戦争で受けた傷のせい、将来の計画を訊かれると先延ばし、家族が稼いだ金を自分の都合で使う。「なんでこんな奴についていくの?」という疑問が湧くが、それは家族の永遠の謎だ。
 昔の映画に共通している問題だが、アクションシーンは今の時代の眼から観ると通用しない。
 両親がいぎたなく酔っている姿を見た少年が宿を出る、という演出はうまい。
 少年が時々見せる一人芝居は幼児化退行現象を示しているのか?また、少年に合わないメガネを掛けさせるくだりも理解できなかった。
 映像は世間から隔絶されたような少年の孤独感が表現されている。
 80分頃、セピア色の画面。戦争体験をたてに少年に対して威張り散らす父親。しかし、他人が来るとぺこぺこする。その奥には巨大国旗。ははーんとこれまでの頻出した国旗の意味がここでやっと理解できる。このだらしないダメ父親は国家と日本軍の比喩なのだ。威張り腐って何もできなかったくせに今ではぺこぺこする「日本」。と納得。
 雪原に赤い雨靴は日本と死のイメージ?
 思わせぶりな映像ばかりを散りばめて回収しない黒沢清監督などの作品にはただただうんざりするばかりだが、この『少年』は散りばめられたイメージがちゃんと意味を持って回収されている。これまで見た映画の中では稀有な成功例。

荒い作りだけど一か所光る部分あり、映画『愛する』

 熊井啓脚本監督映画『愛する』(1997年公開)を観た。
 オープニングは美しい風景と一人の女(酒井美紀)。回想に入ると作りが荒い。冒頭から男女の接近や沖縄音楽がかかるタイミングが急。
 沖縄方言はかなり適当。沖縄出身吉岡(渡部篤郎)のてーげー性格(だらしない性格)の設定は沖縄区別的でよい。
 吉岡、子供の頃に小児麻痺。うーん、なんで恋愛映画って病気対決になるのかなあ(例『100回泣くこと』の癌対記憶喪失)。もう少し感情移入しやすい普通の人の設定でおねがいしますよ。
 急に怒り出したり、電気つけぱなしで目合ったり、布団で寝ている二人が死体みたいだったり、朝浴衣がきちんとしていたり、いちいち沖縄音楽がうるさかったり、ホステスになっていたり、交通事故にあったのにベッドの上の酒井が寝てるだけにしか見えなかったり、かなり荒っぽい演出。帰郷しようとした酒井が電車にのるのを躊躇してからのカットバックが非常にわかりにくい。セリフも酒井が嫌がらせのように「かわいそう」を連発。
 物語としては、棺桶に入ってから評価が固まる形式。安直でいかにもな恋愛映画に作られているのだが、一か所だけ意外な展開で感動したシーンがあった。
 施設の応接室で誤診だったことを告げられた酒井、泣き出す。しばらく泣いているとそれが笑顔に変わっていく。それに連れて周りの患者は表情が暗くなり、職員はどういう顔をしていいのか戸惑う。他人の幸福をどう見るかとか、去る者と残される者とか、心理が表面化していていい。
 ハンセン病患者の身体欠損が描かれていない。ハンセン病患者がみんないい人に描かれている。吉岡が沖縄出身者でひねくれ者なんだからハンセン病患者だってひねくれ者がいたっていいわけだ。それが差別しないということでしょ。
 ハンセン病つながりだと、『砂の器』もハンセン病が物語の背景にある。

第二話「鋼」は必見、映画『コワイ女』

 映画『コワイ女』(2006年公開)を観た。第二話「鋼」を見逃しているならもったいない。
 三つの物語からなるオムニバス形式。
 第一話、雨宮慶太監督『カタカタ』
 不条理な巻き込まれ型。怪物というか妖怪というのか、赤が印象的な魔物は最初からきちんと姿をあらわす。物語は意外に切なくて、ラストにもう一つのオチがある。のだが、欲張ったせいで切ない物語が薄められる結果に。もう一つのオチを付けるなら、電話にしか出てこない女友達が主人公の婚約者と肉体関係にあったという三角関係のほうが生臭くて面白そう。
 第二話、鈴木卓爾監督『鋼』
 最高。いろいろこちらの想像力を刺激してきて笑える不思議な話。ちなみにタイトルは「はがね」と読んで女の名前。
 仕方なく鋼(菜葉菜?)とデートすることになった面構えのすごくいい柄本佑(たすく)。出てきた女が頭から腰までズタ袋をかぶっており上半身は全く見えない。下半身は、赤いハイヒールに超ミニスカート。で、デートが始まるのだが、傑作なのは川に浮かんでプカプカ流れる鋼を柄本が助けるシーン。これ絶対「押すなよ!」だよねえ。
 いろいろあって、で、柄本の部屋で男女の距離を詰める場面なんだけど、これがSM。鋼が強いもんだから柄本を足蹴にする。で、鋼、足の指に柄本の鼻血をつけ窓ガラスに「もっと」と書く。うーん、せつない。
 コミュニケーションとは何か?SMの関係性とは?身体障害者とは?情報遮断による足芸、など、いろいろなことが頭のなかをぐるぐる回る実にスルドイ作品。最後は男女の同一化がめでたく実現、鋼の楽しそうなダンスで終わる。必見!
 第三話、清水崇監督『うけつぐもの』
 古い日本家屋と土蔵という舞台設定はいいのだが、母子の関係性が薄く感じる。母親役をモデル体型の女優(目黒真希)を選んでいて綺麗に撮ろうとしているけど、母子相姦を匂わせているのだからもっと性的な部分に切り込まないと。殺したくなるほど可愛い、という設定が空回りしている。日本家屋ももっと古いロケ地が欲しかった。

映画サークルで撮ったのかな?映画『八月のかりゆし』

 高橋巌監督映画『八月のかりゆし』(2003年公開)を観た。映画の技量が低い。これで劇場公開したのか?
 沖縄で民宿を営む謝花家。オバア(兼城道子)はユタ。孫のマレニ(末永遥)はユタ候補。そんな家族のところへテル(松田龍平)が訪れる。
 墓の前でのオバアの言葉はちゃんと琉球語。燃やす紙銭(かびじん)。民宿内での食事。台風の時の停電。などなど、映画冒頭の沖縄の描き方は普通で好印象。沖縄を描くと、マイナスかプラスにバイアスがかかるものが多いが、この映画は至って普通で、期待したが、、
 ギターを持ってピョンピョンはねたり、歯磨き体操をする末永あたりから大失速。
 演出とか映像のつなぎが悪すぎて、何をしているのか何を伝えたいのかが、わかりづらすぎて、観ているのが苦痛。いくら沖縄の不思議なお話とはいえ、辻褄ぐらいは合わせてほしい。映画の基本とか、脚本の基本が押さえられていないと、映画とはこんなに見苦しいのかと改めて思った次第。
 過去の回想が紙芝居レベルっていくらなんでも。
 北川えりだと思うけど、小泉今日子と国生さゆりをたして二で割ったようで、この映画の中だけだがすごい美人に撮れている。沖縄に映える顔立ち。
 沖縄戦を絡めたり、死者を送り出す過程が描かれていたり、やりたいことはわかるのだが、いかんせん、やりたいことを伝える技術が追いついてない感じ。

さくやと弟が可愛くない、映画『さくや妖怪伝』

 原口智生原案監督映画『さくや妖怪伝』(2000年公開)を観た。色んな所が不発に終わっている。
 冒頭、音楽が勇ましい。屋敷内、弟(河童)の登場とさくや(安藤希)の叱りつけが急。この後も急な展開多数。
 時代劇の大道具小道具、言葉遣い、所作などが稚拙に観える。邦画に時代劇を支えるだけの余力がもうないのか、新しい脱皮と捉えるべきなのか。この映画を見る限り「余力がない」ということだと思われる。
 意味不明なショット、さくやの棒立ちのショットが多い。編集に変な間がある。
 配役は、藤岡弘、丹波哲郎、松坂慶子、妖怪映画といえば嶋田久作と脇はちゃんと固めている。
 弟役の俳優がすごい嫌な目つきと表情をする。最初は、河童だから演出のうちかなと思っていたが、ラストでも同じ表情。地の演技みたい。今後これでやっていけるのだろうか。
 映画にギャグとかいらない。弟の表情からのフェードアウトがギャグのつもりなのか特殊。寒い。
 突然、松坂慶子が歌い出す。「愛の水中花」以来、久しぶりに歌声を聴いた。女郎蜘蛛役で巨大化。松坂、こういう役もこなしていたんだ。ただし、顔の変形はなく綺麗なまま。
 ラスト、盛り上げ部分のCG+特撮+時代劇な映像は、邦画独特でそういう方向もあるかなとは思うけど、画面全体を覆おう、高画質に追い付いていない隅々まで光の当たったのっぺりした時代劇映像はやっぱり興ざめ。ドラマ部分といいアクションシーンといい、編集の奇妙な間、言葉道理の「間の抜けた」感じがテンポを悪くしている。
 後、さくら役の安藤希をもう少し綺麗に撮ってよ。変な眼つきしていたり棒立ちだったり、本人に魅力がないのか、引き出せてないのか。

スキンシップの描き方が怖い、映画『鉄道員(ぽっぽや)』

 降旗康男監督映画『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年公開)を観た。
 雪の中、客がいないのにホームに出て笛をふき指差し確認。律儀というのか杓子定規というのか、そんな駅長を高倉健が演じている。
 人物評価がみんな周りの人のセリフ。
 特異な行動を諌められると「ぼっぽやだから」の決め台詞。「不器用ですから」に通じるステレオタイプ。高倉にはそんな役しか与えられないしやりようがないのかも。
 後輩小林稔侍と高倉の駅長室につながる居間での会話が長い。
 高倉の身のこなしというか所作が変。年取ったからかと思っていたが、この辺をデフォルメしてホラーに拡張すれば名作になっていたかも。
 人と人との接触が奇妙。これは意識的なのか無意識なのかわからない。
 まず、高倉と小林の新年を迎えるシーン。肩に触れたり手を握ったり、横になって顔を近づけるシーンも有る。いくら先輩後輩同士とはいえBL風。駅に訪ねてくる女の子。すぐに腕を組む。排泄欲を宣言、挙句にキスをする。これはロリータ調。イタリアに料理の勉強に行く青年に寄り添う金髪女。ボディタッチをする。広末涼子は高倉の身につけている物をいじる。こちらは完全に大人の表現。
 97分ごろ、正体がバレる。映像的には自然な表現のハサミ男とも言える。ただし、広末側の行動動機はかなり弱い。
 物語としては、広末が出現する理由が殆ど無いので、高齢者のボケによる幻覚か。脳溢血、脳梗塞、心筋梗塞前の病的幻覚なのか。もしくは、臨死体験よりも手前の直前死体験を映画化しているという新しいジャンルの映画かもしれない。

製作チームの進歩がみえる、映画『アンダルシア 女神の報復』

 西谷弘監督映画『アンダルシア 女神の報復』(2011年公開)を観た。
 主人公黒田(織田裕二)の役割がまだ良く理解できない。説明する絵や事例を前半部に挟み込んでくれるとわかりやすい気がするけど。不勉強で実際黒田のような部署があるか?
 冒頭、小さなレストラン。日本外交の小物感をうまく印象付けている。
 びっくりしたのは、タクシーでの連行シーン。タクシー運転手がスペイン語でまくし立て振り返ってからの大型トラックドーン!からの銃撃戦。やはり映画にはこういうこちらの予想を上回るシーンが一か所でもあると、とりあえず見たかいはあったのだなあ、と思える。
 男女の関係性も進歩。天海祐希とのベランダ倒れこみはかなりぎこちなくて「なにもない」状態だったわけだけど、黒木メイサとは濃厚キスからの睡眠薬で何もない状態へ。一様進歩はしている。だけど、目合(まぐわい)までは遠いなあ。
 スペイン観光映画としての機能も忘れてなくてところどころに美しい風景や風俗がアマルフィよりさりげなく散りばめられている。
 エンドロールは長いなあ。もっとすぱっと終わって欲しい。
 『アンダルシア 女神の報復』は単体で見るより『アマルフィ 女神の報酬』とセットで観るのがおすすめ。アマルフィでの失敗を同じ轍を踏まずに消化しているのは、さすがプロ。
 ただ、映画単体としてはそこそこ。やっぱり黒田っているのかなあ。主人公のキャラとして魅力が乏しい気がする。

イタリア観光と思えば文句はない、映画『アマルフィ 女神の報酬』

 西谷弘監督映画『アマルフィ 女神の報酬』(2009年公開)を観た。
 通常映画は全くの当てずっぽう事前情報をほとんどいれない状態で見るのだが、この映画は進んで感想や批評を先に読んでから観た。
 というのもゴリゴリに映画用語や哲学用語を多用した映画批評サイトがこの映画を80点と評価していた。あれ、アマルフィは金をかけた割に出来の悪い映画、という世間の評価ではなかったのかな、と「ライムスター宇多丸のムービィーウオッチメン」聞き直すとかなりの酷評。さて、どっちだろうかということで観たわけ。
 確かに世界の亀山モデルとやゆされる作り。出だしからキャッシュカードのCMそのまんまの映像が流れだす。
 急に画面が切れてブラックアウト、タイトル、ドーン!が来る間もなく元の映像に戻る。斬新だけど、なんと、場面転換しない。なんでショット切ったんだろう?謎。
 GPS付きピンの映像の反復がひつこい。サラ・ブライトマンの曲もひつこい。ベランダに出る天海祐希もひつこい。
 金の受け渡し場所を点々とすることでイタリア観光をしている気分が味わえる。ストーリーが先にあったのではなく各地をカメラでめぐるためにストーリーを作ったんだろうなあ。脚本に名前が出ないのもわかる気がする。
 事件の真相が明るみに出る謎解きが始まると、後付の説明ばかり。前ふりとか伏線が殆ど無い。
 また、画面がぶちっと切れて、暗転。すごい。これを二度やる編集と監督に脱帽。何の効果があるんでしょう?
 絵葉書を観ているような画面で映画終了。
 で、映画を観た感想はというと、宇多丸ほど腹も立たず。映画批評サイトの好評価は映画自体に興味が有るのではなくて自己顕示欲で書いている(サイトの日本語がかなり可怪しい)ことが分かった。ま、映画は事前情報を遮断して観るのが正解という当たり前の結論に至った。
 

冤罪製造システム、映画『日本の黒い夏-冤罪-』

 熊井啓脚本監督映画『日本の黒い夏-冤罪-』(2001年公開)を観た。映画の出来はそこそこだけど観る価値あり。
 1994年年に起こった松本サリン事件の報道について地元テレビ局と容疑者とされた神部(寺尾聰)に高校生が取材するという形になっている。
 テレビ局の会議室で高校生二人がテレビ局側の四人から当時の話を聞くという現代の時制と、四人が回想する過去の時制の映像が交互に挟まれる。
 絵としてはかなり説明的な部分が多い。容疑者宅にかかってくる脅迫電話、それを受ける容疑者の息子、家に投げ込まれる投石、など、説明的すぎてこちらが恥ずかしくなる。テレビ局デスク中井貴一が警察署内で吉田警部(石橋蓮司)を問い詰める「人権とは?」の問答も唐突で場を壊している感じ。
 中井貴一がものすごく人徳者だったり、場面が変わると女子高生(遠野凪子)が急に感情的に話し始めたり、男子高校生に何の性格も割り振られていなかったり、と、映画としてはかなり欠点も目立つ。
 だが、観る価値はある。特に、前半部分の事件発生から冤罪が警察発表、マスコミ、視聴者によって作られていく有り様は、無意識的なことを映像によって意識化されていて気づく事は多い。また、後半部部の毒ガス発生の仕組みを映像化している点もいい。
 暑い夏に涼しくなりたいなら『日本の黒い夏-冤罪-』と『それでもボクはやってない』の二本立てで観ることをおすすめする。
 それにしても、こうやって現実の事件に対して挑戦的に映画を撮っている時代というのがあったのだなあ、と思う。震災が起こって三年。邦画が震災に対してだんまりを決め込んでいるのはなぜなのか?金が無いからか、問題意識が低いのか、外部からの圧力?自己規制?邦画界は不気味でしょうがない。
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グブリー川平(かびら)
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